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アカシア夫人



 第十部 名探偵登場




 第九十六章 

 「お前には、駄目押しの演技をして貰うつもりだ。アカシア夫人に相応しい役どころをね。」
 「駄目押し?わたしにこの上、何をさせようというの・・・。」
 「自分のほうから、セックスを求めるって設定さ。シナリオはもう大体書いてある。目の前のスクリーンに台詞や演技を映し出すから、それに従って演じればいいんだ。」
 「なんで、そんな事を・・・?」
 「縛られて強要されてやったんだという言い訳が出来ないようにする為さ。手錠も枷も全て外して、自分から犯してくださいって言いながらやるんだ。」
 「そ、そんな事っ・・・。」
 「それを撮り終えたら、晴れて釈放だ。嫌だと言うのなら、このまま監禁を続けるだけだ。その間に、映像をひとつずつ、この住所録で送り続けるだけさ。」
 「なんて事を。」
 「お前には拒否することは出来ないのさ。」
 貴子は、うな垂れて自分の運命を呪うしかないのだった。


 「ねえ、やっぱりこのすずらん夫人って言葉で何度も何度も検索してるわね。鎌倉夫人とか軽井沢夫人って、このすずらん夫人からの連想で調べてたんじゃないかしら。」
 「ふうん、すずらん夫人なんてアダルトDVDがあるのかな。あれっ、待てよ。ここの別荘街にもすずらん平って地名があったなあ。」
 「あの喫茶店のマスターなら何か知っているんじゃないかしら。」
 「よし、もう一度カウベルへ行ってみるか。」
 朱美は別荘から持ってきた貴子のパソコンを傍らに置くと、スポーツカーのエンジンを始動させる。


 「すずらん夫人ですか・・・。」
 朱美は、和樹がマスターにすずらん夫人と言うのを知らないかと切り出した時に、マスターの表情がふっと曇ったのを見逃さなかった。
 「ねえ、マスターさん。今、人が二人も行方不明みたいになっているの。お願いだから知っていることがあったら、何でもいいから教えて下さらない。急を要することかもしれないの。」
 朱美もよこから、マスターにすがるように口を挟む。
 「実は、暫く前に奥様からも同じ事を訊かれたことがあるんです。私は、人の噂なんてものは気にしないほうがいいと申し上げたんですが。」
 「えっ、貴子も訊いたんだって。すずらん夫人のことを。」
 「いや、正確には真行寺未亡人のことをお聞きになったのです。」
 「真行寺未亡人?誰、それ?」
 マスターは明らかに言い淀んでいた。
 「すずらん夫人って、実は真行寺という名の未亡人なんでしょ。そしてこの人の奥さんは、そのすずらん夫人って呼ばれた人を追っていた・・・?」
 朱美が推理をしながら、そう訊ねる。マスターの表情は益々暗くなっていた。
 「わかりました。私が聞き及んだ話をお話します。あくまでも噂だけで、裏を取った話ではございませんので・・・。」
 「いいわ。いいから、何でもヒントにでもなればいいの。」
 「実は、もう数年前になりますが、この界隈に真行寺と仰る古い華族の末裔にあたる方が未亡人となって棲まわれていた時期がございます。こちらに来られた時には既に未亡人になられていて、使用人を一人だけ離れに住まわして、お二人だけで生活されていたようです。その真行寺家の別荘といいますか、当時のお屋敷がすずらん平にあったのです。」
 「あった・・・?今は無いんですか。」
 「いや、屋敷跡は今でも残っていると思います。既に廃屋にはなっていると思いますが。」
 「そ、それで・・・。噂というのは・・・?」
 「実はある人が、真行寺の奥様をさるビデオの中で観たと言い出したのです。いや、実際には、その人が別のある人から噂で聞いたということだったと思います。」
 「ビデオっていうと・・・、その、やっぱり・・・。」
 「そうですね。いかがわしい類のものだったようです。ただ、実際にどうだったのかは、はっきりしません。何せ、誰もが人から聞いて自分は観ていないんだけどという格好で、噂話だけが言いふらされていくようになって・・・。」
 「その真行寺夫人って、このお店にも来られていたんですか。」
 「ええ、昔は時々いらっしゃってました。しかし、その変な噂が立つようになった頃からぱったりとお見えにならなくなりまして。」
 「それで、どうなったんですか。その未亡人は。」
 「この地を離れて引っ越してゆかれたようです。そして、これも噂でしかないんですが、自殺されたという話が何時の間にか伝わってきました。」
 「自殺?どうやって・・・。」
 「首を縊られたと聞きました。噂でですけど。」
 和樹と朱美は顔を見合わせた。
 「どう思う・・・?」
 「わからないけど、何か危険な臭いは感じるわね。」
 「そうかなあ。俺はまだ、あの俊介って若僧が信用出来ないんだけどな。何処かにふらっと遊びにでも行ったんじゃないのかな。電車って手だってあるだろ。まさか、駆け落ちってとこまではしないだろうけど。」
 「貴方は甘いわね。何時だって自分の都合のいいように考えてるんだから。いい?貴子さんは、何故か判らないけど、すずらん夫人って呼ばれていた女性を探し回っていた。それはどうもアダルトビデオに関係してるらしい。だからこそ、鎌倉夫人だとか、軽井沢夫人だとかといったアダルトDVDをこっそり匿名で買って貰っている。それからネットでも検索してすずらん夫人っていうのを追っ掛けている。」
 「まあ、そうらしいね。」
 「そして、ある日、突如として姿を消す。」
 「同じ村に棲む三河屋の若僧もだけどね。」
 「でも、その男の子に頼んでアダルトDVDを購入した可能性は高いわね。貴子さんの捜索にその男の子も絡んでるんじゃない。そうだ、待って。マスターっ。三河屋の子が行方不明になったのって、何時の事?」
 朱美は少し離れたところにいた喫茶店のマスターのところまで行って訊いて来る。
 「この間の日曜の夕方から姿が見えないって、聞いておりますが。次の日の朝、使っていた配送車の軽ワゴンも見つかったそうですよ。」
 マスターの元から戻ってきた朱美が今度は和樹に訊いてみる。
 「ねえ、貴子さんに連絡が取れなくなったのは何時からだっけ。」
 「月曜の朝から、全く電話が繋がらない。確か、もう暫く東京へ居るって電話したのは日曜だった筈だからな。」
 「すると、先に俊介って子が居なくなったことになるわね。」
 「先に姿をくらましていただけかもしれないけどね。」
 「ちょっと待ってよ。貴方、何でまたある男を罠に掛けようとしたんだっけ。」
 「貴子の奴が、盗撮で付回されているんじゃないかなんていうからさ。」
 「誰に、盗撮されてるって言ってたの?」
 「あれっ、話さなかったっけ。バードウォッチャーとか自称してる写真家だよ。えーっと名前は・・・。そう、そうだ。岸谷って名前だった。」
 「もしかして・・・。奥さん、もう盗撮されてることを掴んでいたんじゃないかしら。ちょっと待ってて。もう一度、マスターのところへ行って岸谷って男の住所を知らないか訊いてくるから。」

 朱美は、さり気なく岸谷の棲む家の場所をマスターから聞き出していた。二人の失踪には関係がない振りをして、以前から森に棲む写真家に興味があって一度訪ねてみたいと話たのだ。話の成り行きからそれは不自然なことではあった。しかし、マスターのほうも気づいていてか、失踪事件とは関係ない振りに合わせてくれた節があった。そういう事ならと地図まで書いて朱美に渡したのだった。

 「しかし、もし踏み込んでみて、全然関係が無かったなんてことになったらどうするんだよ。」
 「大丈夫よ。私は、この界隈と全然関係がない人間だから。貴方とも知り合いじゃないってことにすればいいんでしょ。」
 「まあ、そりゃそうだが。」
 「貴方は向こうに顔が知られてるし、いざという時、機敏に動けないから顔を出さないほうがいいわ。大丈夫。わたし、危ない男たちの扱いには慣れてるんだから。」
 「あんまり危ないことはすんなよ。」
 「わかってるわよ。」
 朱美は和樹にウィンクしてみせるのだった。

madam

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