アカシア夫人
第十部 名探偵登場
第九十四章
「おかしいなあ。やっぱり出ない。そんなにずっと留守してる筈はないんだがなあ。」
ベッドの上で、何時までも続く携帯の呼び出し音から耳を離した和樹は、傍らの朱美のほうへ振り返ってみる。
「今朝からずっと山荘の固定電話に電話してるんだが、全然出ないんだ。」
「携帯電話に入れてみれば?」
「それもやってみた。だけど、山荘は圏外なんで、いつもどおり電波の届かないところにいますって、メッセージしか流れない。」
「ふうん。朝からかあ・・・。」
朱美は、まだ包帯が巻かれている和樹の足先を見つめる。
「ねえ、前から気になっていたんだけど、何か都合良過ぎない?」
「えっ、何がさ・・・。」
「その足の疵よ。ある男を罠にかけようとして誘き寄せたら、逆に自分が罠に引っ掛かっちゃうなんて。そんな偶然って、ある?」
「だって、実際に起こったんだから・・・。」
「・・・。ねえ、もしかして盗聴とかされてんじゃない?」
「盗聴?誰がっ・・・?」
「女の人が独りで留守番している山奥の別荘を、盗撮しようとしている男が居るとしたら、盗撮だけってことはないんじゃない?」
「あいつが盗聴器も仕掛けているってのか。」
「ないとは言えないわね。」
「ふうむ・・・。」
「ね、どうせ心配でならないんでしょ。あんたのその足じゃ、大変だから、あたしが運転して蓼科まで乗せてってあげるわよ。私もどんなとこか見てみたいし。」
「えっ、そこまでするかなあ・・・。」
しかし結局、妻の安否を確認する手立てのない和樹は、朱美の車で蓼科まで戻ることにしたのだった。朱美はパトロンの誰かに買って貰ったのか、真っ赤なスポーツタイプのオープンカーで和樹を迎えに来たのだった。朱美は、和樹の想像以上に運転が上手く、高速を使ってあっと言う間に蓼科高原へ辿り着いたのだった。
山荘から少し離れた場所に車を停めた朱美は、和樹から山荘の鍵だけ借りると、和樹に車で待っているように言い諭して、独りで向かっていったのだった。盗聴器や盗撮カメラが仕込まれているとすると、慎重に行動する必要があった。しかし、朱美は自分の職業柄、この手のものには慣れている。SMプレイの部屋に盗聴機や隠しカメラを忍ばせる事などよくあることだった。その手のものも見慣れているし、どういう場所に設置するのかもよく観てしっていたのだ。
「やっぱりあったわよ、盗聴機。あなたの奥さんの寝室のベッドの裏側。ほらっ、これよ。」
朱美が和樹に見せたのは、親指ほどの黒い機器でちいさなアンテナが付いている。吸盤で取り付けられるようになっている。
「それから隠しカメラも据えられてたわよ。寝室の天井の隅。結構、やばい映像も撮られてたかもね。あと、バルコニーでも撮られてたと思うわ。バルコニーの前の林に、妙に幾つも巣箱が据えられてるんだけど、その巣箱の出入りの孔がみんなバルコニーのほうに向いているの。変でしょ?」
「巣箱の中にカメラが隠してあるっていうのか・・・。」
「多分ね。あんたが男を誘き寄せようとしていた時も、カメラであんた達のほうがしっかり見張られてたんでしょうね。」
「まさか・・・。そんな・・・。」
「あんた、家の鍵。玄関の傍の植木鉢の下とかに隠してない?」
「ああ、あるけど・・・。」
「そのこと、家の中で喋ったでしょう。多分、家の合鍵も作られてるでしょうね、」
「そ、そんなことまでするのか。」
「ウチのお客の中にも、ストーカーとかしてる人も結構来るから。そういう話、よく聴くわよ。ちょろいもんだって。他人の家に忍び込むのなんて。」
「く、くそう・・・。そうだったのか。」
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