二階踊り場

妄想小説

監禁された女巡査



 第十五章 万事休す


 真穂は再び屋上ベランダのフェンスに向って攀じ登っていった。二度目となると、更に手際よくなっていた。素早くフェンスを乗り越え、階下へ降りる3階部分のドアの前に立つと、慎重に音を立てないように、ヘアピンを使って鍵を開ける。そおっと中に滑り込むと、壁に耳を当てて、様子を窺がう。下のほうで音がすることから、二人はホールに居るらしいことが窺がわれ、真穂はそっと二階部分まで忍び足で降りてゆくことにする。電話をしているらしい声が途切れ途切れに聞こえてくる。真穂は一階へ降りる螺旋階段のすぐ傍まで行って、床に蹲るように伏せって、聞き耳を立てた。

 「だからまだ行き先が判らないっていうの。若が早く探せって。早くしないと、親方の耳に入るからって。・・・。そう、・・・。そうよ。そうなの。・・・。」
 朱美の甲高い声だった。何か緊急事態が起きているらしかった。もう少しよく聞こえないかと首を伸ばしかけた時、突然背後に殺気を感じた。
 バシーン。
 鋭い木刀の一振りが伏せっていた真穂の頭目掛けて振り下ろされてきたのだった。一瞬首を避け、何とか交わしたが、肩をしたたかに打たれた。すぐさま転げるように身を交わすと、次の一振りを避けて身を引く。木刀の先が空を切った。
 「お前か。いつの間に。」
 木刀を構えているのは若こと真行寺光彦だった。真穂は痛む肩を抑えながら、光彦に隙を見せないように構えながらゆっくり立ち上がる。
 「どうしてここが判ったんだ。お前ひとりか。」
 真穂は慎重に相手の武器を確かめながら構えを取る。木刀以外は持っていないようだった。拳銃などが無ければ、素手でも戦えると思っていた。真穂は光彦もてっきり一階に居るのだと思っていたのだ。どうも部屋に居て物音を聞きつけた様子だった。木刀一本を持って出たのは、光彦のほうも、まさか真穂が忍び込んでいると思いもしなかったからだろう。
 「いやあっ。」
 甲高い気合と共に、光彦が木刀を突いてきた。が、所詮は素人の動きだった。鋭く身を交わすと木刀を持った手に、真穂の手刀が飛んだ。カランと音を立てて光彦は木刀を取り落とす。
 「痛てっ。」
 叫んだ時には、既に真穂の腕が光彦の手首を捉えて背中に捩じ上げていた。
 「ううっ、く、くそっ。は、離せ。」
 合気道に長けている真穂にとって、光彦と与するのはマサよりも容易かった。殆ど格闘らしき格闘にもなっていなかった。腕を取ると、捩じ上げて二階の廊下の壁に光彦の身体を押し付ける。
 「公務執行妨害及び、拉致、監禁の罪で現行犯逮捕するわ。もう逃げれないわよ。証拠も押収済みよ。」
 「く、くっそう・・・。どうして、どうしてここが判った。」
 「貴方の間抜けな部下のおかげよ。」
 「何だと・・・。じゃ、やっぱりマサか。あいつ・・・。」
 光彦のほうも事情をある程度理解している風だった。真穂は忍び込むだけの目的で来ていたので、生憎手錠を持ってきていない。連行するにもそのままでは不便だった。さっき部屋を物色していた時、女が磔にされて監禁されていた部屋に手錠やら拘束具がいっぱいあったのを思い出していた。
 (あれを利用させて貰うか。)
 そう真穂が考えていた時だった。
 「若っ、・・・あっ。」
 何かを告げに携帯を片手に持ったまま、下から上がってきた朱美が真穂に腕を捕えられている光彦の姿を目にして声を挙げたのだった。
 「あ、貴方っ。あの時の女警官ね。ど、どうしよう。」
 朱美も突然のことにどうしていいか判らず、付かず離れずのまま立ちすくんでいる。
 「そ、そうだ。若っ。ちょっと待って。・・・。ねえ、マサっ。聞こえるっ。まだその女警官、ちゃんと確保してるっ?」
 朱美は突然、携帯電話に向って話し始めた。
 「いいこと、そいつを逃がしちゃ駄目よ。大事な人質なんだから。」
 突然、朱美が言い出した「確保」、「人質」という言葉に、真穂は嫌な予感を感じる。
 「そいつの名前を聞いて。そう、そう、内田、内田由紀ね。わかった。・・・。ねえ、あんた。こっちはアンタの仲間の内田由紀ってのを捕えているんだからね。今、マサが縛り上げて首根っこにナイフを当てているのよ。判ってる?」
 「な、何ですって。」
 由紀は突然の事態の展開に慌て始めていた。全く寝耳に水の話だった。内田由紀は確かに間違いなく、自分と同じ痴漢撲滅キャンペーンの派遣員の一人だった。それがよりによって、マサの歯牙に掛かっているというのだ。
 「そんな出任せと言っても駄目よ。」
 真穂は、捉えた光彦を掴んでいる手の力を篭めながら言った。
 「マサっ、その携帯をその女の口に当てて名乗らせてみてっ。」
 暫く、沈黙が流れた。
 「・・・・。う、内田、由紀よ。その警察手帳を見れば、判るでしょ。大体、貴方は私のことを知ってて近づいてきたんでしょ。ううっ、い、痛いわ。何するの・・・。」
 真穂のほうへかざされた朱美の持つ携帯のスピーカから微かに向こうの声が聞こえてきていた。
 「ようし、朱美。マサに言って、その女警官をちょっといたぶってやれ。なるべく悲鳴を挙げるようにな。」
 腕を取られたまま、光彦が朱美に指示する。
 「マサ、ちょっとその女を痛めつけて。なるべく悲鳴が上がるようにね。」
 そう電話口でマサに伝えると、朱美は携帯電話のスピーカの音量を最大限に上げる。

 「きゃあ、や、止めてっ。ううっ、な、何するの、嫌っ、・・・ひいーっ。」
 悲鳴が止めどもなく続いていた。突然に真穂は決断を迫られた。
 「ま、待って。ちょっと止めさせて。・・・も、もう一度、声を聞かせて。」
 真穂の声のトーンが低くなった。
 「マサ、もう一度、名乗らせてやって。」
 朱美が直ぐにマサに指示をする。
 「・・・。わ、私は、・・・、こ、港南署の巡査、う、ち、だ・・・、ゆ、き、です。」
 息絶え絶えに聞こえてくる声は真穂の聞き覚えのあるものに間違い無かった。
 「判ったわ。」
 がっくりとうな垂れるように首を落とすと、真穂は光彦の腕を捉えていた手を離した。痛めつけられた肩をさするようにしながら、憎々しげに真穂を睨み返していた光彦だったが、突然、真穂の下腹部目掛けてパンチを繰り込んだ。
 「うっ・・・。」
 咄嗟のことで手で受け止めようとしたが間に合わなかった。膝が折れそうになるのをかろうじて堪えて鳩尾を抑えた。
 「手を挙げろ。両手を挙げて頭の後ろで組むんだ。」
 容赦ない光彦の命令だった。真穂は従わざるを得なかった。ゆっくり両手を挙げると後頭部で組んだ。無防備になった下腹を二発目のパンチが襲った。
 「手を離すんじゃない。」
 堪らずに手で抑えようとするのを光彦が制した。素人のパンチでも、無防備で打ち込まれるのは相当応えた。
 「携帯をよこせ、朱美。」
 光彦が携帯を朱美から受け取る。
 「マサ、聞こえるか。・・・。よし、俺がやれって声を掛けたら、その女を痛めつけるんだぞ。いいか。ようし。おい・・・。お前だ。膝を床につけてしゃがめ。手は頭の後ろに組んだままだぞ。そうだ。ようし。」
 膝をついた真穂の真後ろに回りこんだ光彦は、真穂の脛の上に足を乗せて体重を掛ける。こうされてしまうと、咄嗟に飛び掛ることが出来ない。簡便に身動きを封じる方法だった。
 「朱美、あの部屋へ行って手錠を持って来い。」
 (まずい。)
 内田由紀を人質に取られて言う事を聞かざるを得なくなった真穂だったが、ここで手錠を掛けられ、身動きを封じられてしまったら、もう助かるチャンスはないかもしれないと思われた。朱美が居なくなって、光彦一人になった時が最後のチャンスかもしれない。そう思うと、一瞬の隙も逃すまいと神経を張り詰めて機を窺がう真穂だった。しかし、光彦のほうが用意周到だった。
 「おい、朱美。ちょっと待て。その前に、そこに落ちている木刀を拾って持ってきてくれ。」
 木刀は先ほど、光彦が取り落とした廊下の隅にそのままあったのだ。光彦は朱美からそれを受け取ると、いきなり振り上げ、真穂のアキレス腱の辺りをしたたかに打ったのだった。
 「あうううっ・・・。」
 激痛が走るのに、骨が折れたかと思った真穂だった。かろうじて骨は折れていないようだが、暫くは立ち上がることも出来ない。光彦は用心深く、もう片方の足首にも狙いをつけた。ビシッ。
 「ううっ・・。」
 あまりの痛さに最早、膝をついて立っていることすら出来ず、その場に蹲ってしまう真穂だった。その間に、光彦が顎で合図すると、朱美は隣の部屋へ走っていった。光彦が朱美が取ってきた手錠を蹲る真穂の両手を背中で繋ぎ廊下の端の玄関の吹き通しを見下ろすバルコニーの手摺に繋ぎ留めてしまうまでに1分と掛からなかった。足全体が痺れて立ち上がることも出来ない真穂には、為されるがままになっている他はなかったのだった。

 光彦から連絡を受けた次郎が、山奥のマサの元へ迎えに行って、二人で由紀を連行して隠れ家の洋館に連れ込んできた時、真穂は玄関を見下ろす吹き抜けの二階のバルコニーに繋がれたままだったので、不自由な身体で何とか後ろを振り返り、ちらっとその姿を見下ろすことが出来ただけだった。アイマスクで目隠しをされた由紀が、次郎とマサに両脇を抱えられるようにして、よろけながら入ってきたのは、逃げられないように再度、足首にスタンガンの一撃を喰わされたのだとは、真穂には知る由もなかった。真穂が由紀の姿を見られたのは、玄関に運び込まれる時だけで、マサの手で再びアイマスクを掛けられてしまってからは、二階の部屋へ運び込まれる由紀の様子を最早窺がうことも出来なかったのだった。


 真穂は、以前と全く同じホール中央の柱の前に繋がれていた。首輪は天井からぶら下がる鎖に留められ、両手は後ろ手に手錠を掛けられ、足首は縄で括られ後ろの柱に通されていて、足を上げることも出来ないばかりか、50cmほどに開かされた状態から脚をすぼめることも出来なくされている。
 繋がれた状態は全く同じだったが、雰囲気は微妙に異なっていた。以前は何か判らないなりにも、若と呼ばれていた男から、手出しをしないように男達は厳しく言い含めれていて、あたかも守られているような雰囲気があった。しかし、今では、その若と呼ばれた男を後一歩まで捕らえようとして、逆に捕虜になってしまったのだ。男達の正体も真穂は既に掴んでいる。それは、そのままで解放されるということが、殆ど見込みがないことを意味していた。もはや、痴漢行為を逮捕しようとしたことの仕返しとして、痴漢行為に無抵抗で身を差し出させるということで、辱めて溜飲を下げるというようなレベルでは済まないことをも意味している。
 真穂が繋がれた場所の目の前には、異様な物が据えられていた。木製の三角柱を横に置いたような台で、鋼鉄製の脚が付いている。初めて目にする物だが、真穂にはそれが何であるか判っていた。三角木馬と称される拷問用具だ。昔は魔女狩りなどで拷問を与える道具として紹介されていたが、今の世の中では、専らSMプレイの道具として扱われている。しかし、股が当たる部分になる鋭角な稜線部は、単なるプレイ用というよりは、拷問具に近いように見える。SMプレイでは痛みを与えることが目的よりも、精神的な屈辱を与えることが主な目的だ。角は丸みを帯びていたり、革の鞍が付いていることが多い。しかし真穂の目の前に据えられているそのものは、角は木材の鋭利な角になっているのだった。その高さも、真穂の脚の長さを遥かに越えている。どう、爪先立てて足を伸ばしても到底床には届かない。鋼鉄製の脚の部分に添えられている足枷と鎖で繋がっている鋼鉄球の錘は、更なる責め苦に使われることは疑いなかった。それを目の前にして放置されているのは嫌が応でも恐怖心を煽ろうとしているのだった。

 一緒に拉致された内田由紀の様子は判らなかった。目隠しをされた後の物音から、二階のX字の柱が壁に固定された部屋で、磔にされているだろうことは推測された。しかし、どんな責め苦を受けているのか、どれだけの辱めを受けているのかは想像も出来ない。若と呼ばれた光彦ではなく、マサという欲情の塊りのような男に拉致されたと話していたので、その際に凌辱を受けたのではないかというのが、心掛りだった。自分の時は常に光彦の監視下にあったが、あの時のやり取りを思い出してみると、どうやら、マサの単独犯行だったように思われたからだった。


 そんなことを真穂が逡巡している頃、光彦はマサから事情聴取した情報を元に、独りで作戦を練っているところだった。次郎からマサが勝手に組の車を持ち出して行方不明だと聞いたのは、あの日の午前中遅くになってからだった。それで次郎にマサを捜索させておいて、朱美だけ伴って、この秘密の隠れ家へやってきたのだった。
 マサが内田由紀という別の女巡査に、痴漢行為で掴まったという話は初耳だった。伝えなかったのは、次郎の温情によるものだった。身請けに行った朱美も、可哀相だからと一緒になって黙っていたのだった。光彦はきつく叱りかけたが、そのせいで窮地を救われたこともあって、今回は見逃すことにしたのだ。しかし、マサの身元が割れてしまっているのは拙かった。そればかりか、それを頼りに、真穂はおそらくは独自の捜査で、この隠れ家まで辿り着いたようだった。さきほどパソコンを立ち上げて、データが全て消し去られているのにも気づいていた。光彦には、真穂たちが何をどこまで知っているのかを突き止める必要があった。その上で、どうやってあの二人を処分するのかが、目下の所、最大の問題点であった。最も簡単なやり方は、二人を共に始末してしまうことだが、捜査の手が及ぶという限りなく危険なリスクを負うことになるのは、頭の切れる光彦にはすぐに判った。それがあるから、慎重な策略の元に真穂を拉致監禁した上で、解放したのだった。それなのに、マサが何の思慮も無しに、自分の策略を真似て、欲望だけで突っ走った為に飛んでもないことになってしまった。それを打開する方法を、光彦は独り思案しつづけているのだった。

 一方の由紀は、真穂の推測どおり、二階の奥の部屋で、X字の柱に手足を枷で繋がれて磔にされていた。着衣はかろうじて身に着けているが、スカートの下のストッキングはびりびりで、ショーツは剥ぎ取られてしまっている。しかし、マサという男に何度も何度も繰り返し凌辱されたことで、この上の凌辱を受けるであろうことには覚悟が出来ていた。怖ろしいのは、自分がマサたちの正体を知っているということだった。このまま自由に黙って解放してくれる希望がないことなのだ。
 由紀は目隠しをされて連れ込まれているので、もう一人監禁者が居ることを知らない。自分と同じ立場の痴漢撲滅キャンペーンの池上真穂が同じ屋敷内に拉致監禁されているなどとは思ってもみないことなのだった。
 光彦が次郎を送って、マサのところへ由紀を連行しにやった時に、光彦はくれぐれも由紀に真穂の姿を見せないようにきつく指示をしてあった。その頃から、光彦はおぼろげながら、打開策を考え始めていたのだった。だから、由紀は自分一人が、この怪しげなアジトに連れこまれて監禁されているのだとばかり思っていた。自分を投網とスタンガンを上手く操って、まんまと捕獲し山奥で凌辱した男は、痴漢の罪で逮捕されたことの仕返しのようなことを言っていた。しかし、その後、自分がこの屋敷に拉致されたのは単なる仕返しではなく、組織ぐるみの行動であるように見受けられる。それは単なる痴漢逮捕の仕返しだけのこととは思えないのだった。

 真穂の元へ、光彦が次郎を伴ってやってきた。最早サングラスで視線を隠すようなことはしていない。面が割れてしまった以上、無駄だと思ったのだろう。真穂にはマサではなく、次郎を一緒に連れてきていることが不安だった。それはマサが別の場所で別の者を担当していることを意味している可能性を示唆していた。それは真穂に取ってあまり考えたくないことだった。
 光彦が傍へやってきて、真穂の無防備な顎に手をやり、無理やり自分のほうを向かせる。真穂の目は敵愾心に燃えている。
 「いろいろと余計なことをしてくれたようだな。たっぷりとお仕置きをして後悔させてやる。その前に一応訊いておくが、俺のパソコンから情報を盗みだして消去したようだな。あの情報は証拠としてコピーを取った筈だ。何処にある?」
 光彦の声は冷たく非情さが篭められていて、容赦はしないという響きがあった。
 「何をされたって言うものですか。貴方達、絶対に許さないわ。」
 「ふうん、そうか。少しは痛い目に遭いたいって訳だ。これが何か判るだろ。いろいろある三角木馬の中でも本格的な拷問用だ。そんじょそこらのSMプレイ用とは訳が違う。この尾根の鋭角の度合いがいいだろう。ぴったり股に食い込んで、本当に股が裂けるぜ。」
 真穂は恐怖にごくりと喉を鳴らしてしまう。
 「最初はそのままこれに跨らせるんだ。股間だけに体重が掛かると千切れそうな痛みに堪らなくなって、内腿で必死に挟んで支えようとするだろう。そこへこのオイルを上からたらたら垂らすんだ。一生懸命股に力をいれても、ずるずる滑ってしまって、力が入らなくなる。その途端に、ぐりっ、ぐりっと股が千切れそうに痛むって訳だ。」
 男の非情な言葉に、背筋が寒くなる。

三角木馬

 「それでも我慢する奴には、この足枷に付けた錘だ。こいつをぶら下げられると、どんな屈強な奴でも根をあげちまうんだ。どうだ、試してみるか。」
 「なんて卑劣な男なの。し、死んだって・・・。」
 強がってみせた真穂だったが、痛みに堪えきれる自信はなかった。光彦が顎をしゃくって合図すると、次郎が真穂の肩に手を掛けた。途端に真穂は膝ががくがく震え出すのを止められなかった。
 「どうした。怖いか。・・・。そんなら許してやろう。どうだ。その代わり、あの内田由紀って女警官に代わりになって貰おう。」
 「な、何ですって。だ、駄目よ、そんなこと。やめて、お願いっ。」
 突然、光彦が言い出した言葉のあまりの思いがけなさに、真穂は我を失っていた。それは最初からの光彦の計算だったのだ。三角木馬の拷問に掛けられる恐怖を煽るだけ煽っておいて、その餌食の犠牲を同僚に与えようと言い出すのだ。真穂の義侠心が耐えられる筈がなかった。
 光彦は態と真穂によく見えるように、胸ポケットから携帯を取り出すと、真穂の目の前でボタンを押す。誰を呼び出しているのか、真穂には直ぐに想像がつく。
 「あ、マサか。そっちは準備出来ているか。・・・。ようし、悲鳴が挙げられるように猿轡は外してやれ。・・・。そう、そうだ。」
 「やめてっ、お願い・・・・。そ、そんなこと・・・。」
 光彦は携帯のスピーカを真穂の耳元に当てる。はっきりとは聞き取れないが、スピーカーの向こうからは悲鳴が届いてくる。
 (嫌あ、やめて・・・。助けて。ああ、痛いっ・・。く、苦しい・・・。ぎゃあああ。)
 それは耳を塞ぎたくなるような哀れな悲鳴だった。
 真穂には降参するしかなかった。
 「わ、判ったわ。止めて。すぐ止めさせて。言います。言いますから。」
 首をうな垂れて、やっとのことでそう言った真穂だった。

 屋敷の裏手の茂みの中から、真穂が教えた通りの場所からメモリスティックを持ち帰ってきたのは、次郎だった。光彦がそれを受け取って部屋へ戻っていく。真穂は最後の頼みの綱であった証拠情報を差し出さねばならないと判って、もう彼等を逮捕する望みも、生きて帰れる希望もなくなったと感じていた。

 しかし、光彦の策略はまだ始まったばかりだったのだ。メモリスティックの中身を確かめて、それがコピーされた日時のログ情報を確認して、まだ警察までは流出していないことを確かめると、光彦は次のステップに進むことにした。

 拘束されたままの真穂の元へ朱美が何かを命じられてすごすごと持ってきた。それは一枚の紙の上に載せられていた。真穂の目の前にそれが翳された時、ぷうんと何か嫌な臭いがして思わず鼻を背けた。よく観ると、毟られたような短い毛の束だった。しかし、それは剃り上げられたものではなかった。片側が明らかに焼かれていた。その為に嫌な臭いがしているのだった。縮れ具合から頭髪でないことは明らかだった。
 朱美の後ろに立つ光彦が手にしているものを見て、真穂は蒼白になった。それは電気ゴテだった。半田付けなどをするのに使うものらしかった。先は鋭く尖っていて、今は電気が入れられていない為か黒光りしている。が、それが熱せられて真っ赤になっている様は想像するだけで身が縮こまる思いがした。
 「大丈夫さ。まだ半分も焼き取った訳じゃない。じっと耐えて動かなかったんで、肌も焦がしちゃいないさ。ただ、ちょっと怖かったみたいで、失禁はしてたけどな。はははは。」
 由紀を愚弄するかのように光彦が高笑いをする。真穂は、同僚の由紀がなめされた恐怖と屈辱の思いを想像して、唇を噛んだ。
 「自分の立場がようく判っただろう。お前にはこれから命令に従ってある仕事をして貰わなければならないんだ。」
 真穂は怒りで目の前の光彦を睨み上げたが、どうすることも出来ない自分の非力さに歯がゆい思いをしただけだった。

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