妄想小説
監禁された女巡査
第十二章 漸く掴んだ手掛り
その日は、都内の痴漢撲滅キャンペーン事務局の連絡会がある日だった。真穂も月一回開催されるその会合にはいつも出席している。都内の各所轄署から駆り出されたキャンペーン運動員が一同に会し、検挙者などの情報交換をするのだ。検挙率の発表もこの場で行われる。ずっと検挙率ナンバーワンを誇っていた真穂だったが、このところ、成績は全くといっていいぐらいに芳しくない。代わってナンバーワンを誇っているのが内田由紀だった。
真穂は由紀とは合気道の試合で何度か対戦しているので、見知ってはいたが、特に親しいと間柄という訳ではなかった。出遭うと会釈を交わす程度である。
キャンペーンの運動員は殆どが女性警察官である。女性を守る女戦士たちというふれこみだったが、実際のところは、痴漢逮捕なんかは男のやる仕事ではないという風潮がどこの警察署にもあったのだ。その女巡査たちも集まれば、噂話に花が咲く。
「池上真穂さん、今回も成績駄目だったわね。どうしたのかしら、彼女。最近、元気もないみたいだし。」
「あれだけ痴漢を検挙したんだから、痴漢たちのほうだって警戒するわよ。こいつは危ないってお触書でも廻っているんじゃない。」
「いかにもありそうね。痴漢仲間たちの回覧版。」
「幾ら私服で偽装してても、顔が割れちゃったらなかなか検挙も難しいわよね。何せ、現行犯逮捕じゃなきゃ、取り押さえられないものね。」
「それにしても、最近、やけに痴漢が増えていない?」
「そう言われれば、そうね。検挙数には繋がっていないけれど、被害届や目撃者なんかは増えているみたいね。」
「なかには、痴漢されたがっている女性も居るって噂よ。させ子って言って、痴漢に態とさせて上げて自分も感じて悦んでいるみたいなの。」
「そういうのが居るから、男達が図に乗って、手を出したりするのよね。」
真穂の耳にもそんな噂話が微かに聞こえてきていた。「させ子」と言われて、真穂は口惜しさと情けなさに思わず下を向いてしまう。
(自分だって、されたくて、やられているのではないのに・・・。)
しかし、今の真穂には依然のように、勇敢に痴漢たちに立ち向かうことは許されないのだった。
そんなことを考えている真穂のところへ、最近の検挙者リストが廻ってきた。検挙者情報も回覧され、共有化されているのだ。顔写真付きで廻ってくる検挙者リストをぱらぱらとめくっていた、真穂の手が止まった。
(こ、これは・・・。)
その顔は、忘れようもないマサの顔だったからだ。
(岡島マサ。32才。職業、無職・・・。検挙者・・・。内田由紀巡査、港南署・・・。)
印刷されたワープロの文字の横に手書きの書き込みがあった。
(暴力団、真光会組員との情報もあり。確認中・・・。暴力団?真光会・・・。)
真穂には、あの秘密のアジトのような洋館で、何人もの柄の悪そうな男達が出入りしていたのを思い出していた。
若の立てた策略を基に、内田由紀巡査を拉致しようというマサの提案は、にべもなく朱美から却下されていた。朱美から、若の頼みだというからあんな芝居をしてやったのだ。アンタみたいな男の為に働くなんて、真っ平よと冷たく断わられてしまったのだ。
確かに朱美は次郎の情婦であって、若は、次郎が警護役を仰せつかっている真光会の会長の息子なのだ。義理立てするのは当然だが、マサにはそんな義理はない。下っ端の組員の邪まな企みに加担して、問題でも起こそうものなら、どんなにこっぴどく叱責を受けるか判らない。
マサもすぐに朱美の手助けを借りるのは諦めざるを得ないことを悟った。しかし、若が立てた周到な計略を参考にさせて貰うぐらいはいいのではないかと思い始めたのだ。マサは無い知恵を振り絞って内田由紀を陥れる方法を考え出そうとしていた。
一方の真穂のほうは、ようやく掴んだ手掛かりを基に、積極的に調べを始めていた。暴力団関係は捜査二課の仕事で、生活安全課の真穂のほうには情報は廻ってこない。しかし、捜査二課にも何人か知り合いはいた。その伝で、暴力団真光会のことをいろいろ聞きまわっていったのだった。真光会の事務所は世田谷区の街中にあった。会長の真行寺光三郎は同じ世田谷区の近くに屋敷を持っているらしかったが、その住所までの情報はない。真穂は監禁された洋館のまわりの様子からみて、世田谷区の屋敷ではないだろうと推測した。
真光会は表向きは金融業と不動産業を営んでいる。金融業と言っても、悪徳サラ金で、不動産業のほうは、借金の肩に債務者から取り上げた土地や家屋を、転売して儲けているという専らの噂である。真穂が連れ込まれた洋館はおそらくその類いの、転売前の空家だったのに違いないと見当をつけた。
真穂は非番の日に、真光会の組員事務所の前のビルの二階にある喫茶店で見張りを続け、とうとう若、次郎、朱美、マサが一緒に出てくるところを見つけたのだった。若と呼ばれていた男は、真光会会長、真行寺光三郎の息子、真行寺光彦であることは既に調べがついていた。コンパクトな双眼鏡で目立たないように監視を続ける真穂の目の下で、派手なスポーツカーに乗り込む光彦、その後から白いワゴン車に乗り込む次郎と朱美、最後に残ったマサがスクーターに乗り込むのを見ると、すぐさま席を立ち、ビル前の駐車場に停めておいた自分のスポーティクーペへ急いだ真穂だった。
真穂は最初から後を追うのはマサに決めていた。たった三日間の経験だったが、一緒にいて、光彦と次郎は、ともにとても用心深いことに気づいていた。尾行をするなら、注意力が散漫なマサがいいと判断していたのだ。マサは性的嗜好ではとても陰険で暴力的だった。捕われていた時には一番嫌な相手だと思っていた。が、自由の身で対等に闘うのならば、一番与し易い相手でもあった。現に、真穂は一度はマサの身柄を確保しかけたこともあったのだ。
一番下っ端らしいマサがスクーターで光彦や次郎達の後を追ったのは、追跡する真穂にはとても都合が良かった。スピードの出ないスクーターは撒かれてしまう危険が少ないのだ。世田谷区の事務所前から、光彦のスポーツカー、次郎の白いバン、そしてそれを追うマサのスクータは同じ方向へ向っていたが、世田谷通りから環八に出たところで、用賀のほうへ向う光彦、次郎たちと246号線へ向うらしいマサが二手に分かれた。スクーターでは高速に乗れないので、246を南にむかうらしいマサのほうを追う事にした真穂だった。行く先を東名、246と推測して、到着地を箱根か御殿場と検討をつけた真穂だった。
マサが向った先は真穂の推測通り、箱根を抜けて御殿場へ向う長尾峠の少し手前だった。途中から県道を外れ、細い路地を山の上のほうへ登ってゆく。別荘地へ向う私道のようだった。道の細さからして、別荘街ではなく、個別の山小屋か何かの様子だった。先行するスクーターの甲高い音を頼りに見つからないように少し距離を置いて追っていた真穂だったが、スクータのエンジンが切られる音を聞いて、少し手前で車を停め、目立たない樹木の木陰に自分のクーペを停める。そこからは歩いていくつもりだった。
真穂は動き易いように、黒いオートバイ用の革ジャンにぴったりした黒のパンツという出で立ちで着ていた。木陰に隠れながら進めば、ぱっと見ただけでは樹の陰に紛れ易かった。
途中に錆びかけた鉄の門がある。古い石の門柱の間に掛けられた鉄柵のようなものだが、鍵は掛かっていない。真穂は音を立てないように慎重に人一人が滑り込めるほど門を開くと、そっと奥へ忍び込む。鬱蒼とした屋敷の植え込みをぐるっと廻ると建物が見えてきた。まぎれもなく数ヶ月前、真穂が拉致され監禁された洋館だった。二階建ての四角い矩形の建物の上に、一部に三階部分があり、その部分以外は鉄柵で囲われた屋上バルコニーになっている。その鉄柵に括り付けられ晒し者で放置された自分の姿を真穂は思い出していた。
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