屋上バルコニー

妄想小説

監禁された女巡査



 第十三章 単独行動


 マサはその日を決行の日に決めていた。マサは本来ずぼらな性格ではあったのだが、自分が目を付けた性欲の対象には執拗なところがあった。マサはその後も執念を燃やして電車内の由紀を捜しつづけ、遂には由紀がパトロールに廻るローテーションまで嗅ぎ付けたのだった。
 その日もマサはホームの片隅に隠れて由紀がやってくるのを待ち、同じ電車にドア一つ分を隔てて乗り込んだ。ターゲットはあくまで、痴漢検挙の為パトロールで乗っている内田由紀だった。
 マサの目の前には少し前の駅から女子高生が乗り込んできていた。手を伸ばせば届きそうな位置に居る。電車も次第に適当に混んできていた。しかし、女子高生に痴漢を働くことに対して今のマサには食指は動かない。由紀に検挙されて懲りていたこともあったのだが、復讐と嗜虐心に燃えていたのだった。

 由紀はいつものように車内に目を見晴らせながら注意を怠らないように監視していた。その朝の車室内はいつものように混んではいたが、まだ都心まで幾つか駅があり、超すし詰め状態まではいっていない。この先、幾つか停まる度にまだまだ大勢が乗り込んでくるので、痴漢のメッカになるのはこれからの事だと踏んでいた。
 電車が減速を始め、郊外から都心へ差し掛かる境目あたりの駅のホームに電車は滑り込んでいった。ホームには乗り込もうとする乗客が列をなして並んでいるのが窓越しにちらっと見える。
 (ああ、またいっぱい乗り込んでくる。)
 溜め息まじりに由紀がそう心の中で呟いたその時だった。
 「キャーっ、止めてえ。」
 突然聞こえてきた金切り声は、由紀の居るドア傍からもうひとつ前側のドア付近からだったようだ。爪先立ちになって、声がした方をなんとか覗こうとする。人影の隙間から、悲鳴を挙げた本人らしい女子高生の横顔がちらっとだけ見えた。その直ぐ後にドアが開き、少女の脇から誰かが外へ走り出るのが見えた。慌てて、由紀も後を追う。走り去る男がちらっと一度だけ振り向いた時に、由紀は確信した。警察官という職業柄で、一度みた検挙者の顔は忘れない。間違いなく、暫く前に由紀自身が検挙した痴漢犯だった。
 被害にあった女性に事情を聴取している暇はなかった。それに由紀には確信があった。再犯に違いない。掴まえて問い詰めれば白状するだろう。
 男が駆け上がっていった跨線橋を由紀も駆け上がりながら、由紀はその男のことを懸命に思い出していた。
 (確か初犯だったので見逃してやった男だった筈・・・。)
 男はひと気の少ない裏通りの側へ降りていた。駅の反対側は新興住宅街で多少は賑わっているが、こちら側は寂れる一方の旧商店街だった。走っていく両側の店々のシャッターは尽く閉じられたままのようだ。古い商店街の先を走ってゆく男を追い駆けて、由紀も全速力で後を追うと、その勢いで、閉じられたシャッターがパタパタと寂しげに音を立てた。
 男の姿が急に消えた。由紀が走り寄ると、男の姿が消えた辺りに古い廃墟ビルがある。素早く中に入って耳を澄ますと、上のほうで駆け上がっていく足音が聞こえる。由紀は確信した。
 なるべく足音を立てないようにしながら、小走りで由紀も駆け上がっていく。二階は入口のドアが板で打ち付けられていて忍び込めそうにはない。更に上だと由紀は見当をつけた。
 三階に上がると大きな鉄の扉が閉まりきっていない。ここかと中を覗きこもうとした時に、奥のほうでバタンと鉄の扉のようなものが閉まる音がした。
 古い事務所跡のようで、什器は殆ど取り去られていたが、幾つか机や椅子が乱雑に残って放置されたままになっているものもある。角になった事務所の奥へ回り込んでみると、一番隅に古い事務ロッカーが置いてある。さっきの音はあれだなと由紀は素早く判断した。
 ゆっくり息を整えながら近くによる。そおっとハンドルに手を伸ばすと一気に開けようとした。が、中からも必死で抑えているらしく、簡単には開かない。
 「そこに隠れているのは判っているのよ。おとなしく出てきなさい。」
 由紀はドン、ドン、ドンとけたたましい音で薄い鉄板の事務ロッカーのドアを叩きながらドアノブを強く引いた。が、中からも必死で抑えているらしく、なかなか簡単に開かない。
 両開きになっている片側の扉に足をかけ、再度もう片側の扉を両手で掴んで一気に引こうとした時、突然ロッカーの扉は中から急に開き、反動で、由紀はバランスを崩して後ろへ転んでしまった。その由紀の上に何かがどさりと落ちてきた。
 「いや、何っ。」
 お尻で転がりながら両手で払いのけようとするが、それは手足に絡み付いてきた。更にその上から男がのしかかってきた。絡み付いてきたのは、投網のようだった。男のほうを掴もうとするのだが、網が邪魔して思うようにならない。男のほうは、そのことを計算の上で無理に由紀のほうを掴もうとはせずに大きく手を広げて、のしかかり自由を奪うほうに専念している。予想外のことに動転してもがくばかりの由紀には、明らかに不利な状況だった。
 もがきながらも、絡み付いてくるのが投網だと知り、何とかそこから抜け出そうと網の端を手繰っていた由紀だった。その手がやっと網の外に出たと思った時、その手首を激しい衝撃が走った。余りのショックに一瞬、由紀は目が眩んだ気がした。
 男が由紀の身体の上に馬乗りになって、体勢を整えたところで、尻のポケットに手を伸ばして用意してきたスタンガンを由紀の手首に当てたのだった。すかさず、男は由紀のもう片方の手首にも狙いをつける。
 バシーン。
 鋭い音と閃光が走るのと、由紀の身体がショックでぴくっと仰け反るのが同時だった。それでもうすっかり戦闘力を失っていた様子だったが、男は念の為に由紀の剥き出しの足首に再度ショックを与える。三発のショックで由紀は完全に痺れて、手足をばたつかせることも出来なくなっていた。朦朧とする意識の中で、由紀は投網が自分の身体から引き離されるや、身体をうつ伏せに返され、背中に回された手首に手錠が噛まされるのを遠のく意識の向こうで感じていた。


 同じ日に、真穂のほうも計画を実行に移つすことにしていた。

 光彦たちの秘密のアジトを探り当てたあの日は、警戒して、まわりから様子を窺がうだけにしておいたのだ。何にせよ、用心深い光彦や次郎たちが居る場で、屋敷に忍び込む訳には行かなかった。明るいうちは木陰に隠れて潜んでいて、夕闇が迫ってから音を立てないように屋敷の周りを闇に紛れて移動し、屋敷の様子を把握する。屋敷内部に付く灯りから、内部の人間の大凡の行動は把握出来る。屋敷は、遠く芦ノ湖が見渡せる山の中腹の断崖に沿って建てられている。一般車の通っている街道からは随分離れているので、相当騒いでも外部の人間には聞こえそうもない。真穂が最初に捕えられて屋上に放置された晩も、組員達が大勢庭に出てドンちゃん騒ぎをしていたが、外部には音は聞こえて無かった筈だ。湖を見下ろせる筈の東南の角が一番いい部屋らしく、東と南に面する鉤型の大きな出窓が付いている。灯りがずっと点っているのが判るが、夜景には興味がないのか、ずっとブラインドが下ろされたままになっている。真穂はそこに光彦が居るのだろうと見当をつけた。湖に面した反対側北東の角にも明かりが点っているのが判る。こちらは薄いカーテンが掛かっていて、時折内部の人間の影が見える時がある。身体を揺すって髪を振り乱しているのは、ベッドに仰向けになった次郎に騎乗位で跨って腰をくねらせている朱美に違いなかった。山の裏手に当たる北西の角にも灯りが点っていたが、早々に消えてしまったのは、おそらくマサで、寝床を共にする相手もいないので、ふてねでもして早く寝てしまったのだろう。実際は、真穂を犯しそこなった恨めしさに、自慰で真穂のことを思い出しながら果てて、寝てしまったのだったが、まさかそんなことまでは真穂にも想像がつかなかった。玄関や一階の窓は飾りになっている鉄格子に覆われていて、堅牢そうだった。長く留守にすることが多い別荘なので、侵入者への警戒は厳重そうだった。真穂は屋上バルコニーになっている部分に目をつけた。真穂か下半身を晒して、その外側に括り付けられたフェンスがある部分だ。忍び込むにはそこからというのが一番確実そうだった。真穂は必要になるロープの長さなどを計算し頭に叩き込んでおいた。

忍び込み


 そしてその日がやってきた。自分のスポーティクーペを発見されることを畏れて、少し別荘から離れた目立たない空き地の隅に停めると、そこからは荷物をリュックに詰めて背負って歩いた。夕暮れ時を狙った。監禁されていた時の経験からすると、組の連中があそこを使うのは、夕方から夜に掛けてが多いようだった。泊り込むのは滅多にないようで、光彦も最後は自分のスポーツカーで夜中にでも帰ってゆき、組の連中も、誰が運転するのか酒を飲んで騒いでも、皆夫々に帰ってゆくのが普通なようだった。
 真穂は忍び込むのに安全を見て、夕暮れから夜更けに掛けて、灯りが点くことがないことを確認してから未明の明るくなってから忍び込む予定だった。暗いうちは向こうが居ないことが確認し易いが、逆に忍び込んだ後、灯りをつけなければならないので外から発見される畏れもあったのだ。
 真穂は持参したスリーピングバッグに身を包んで、灯りがつかないことを確認しながら未明を待った。

 箱根外輪山の稜線がくっきり見えるようになる明け方4時きっかりに、真穂はスリーピングバッグから這い出た。動き易いように黒の革製のジャンプスーツに身を包んでいる。特殊訓練などで使用しているものだ。真穂は刑事を目指す勉強をするようになる前、SP特殊部隊の隊員を目指すか迷って、訓練にも何度か志願して参加した経験があった。
 用意してきた鉤手のついたロープも、そうした訓練で使用してきたものだ。裏手になる西側から屋敷に近づくと、ロープの鉤部分を投げ上げ、一発でフェンスの枠に引っ掛ける。ロープを手繰りながら窓枠などに脚を掛けて、煉瓦造りの屋敷の壁を攀じ登っていくのは訓練を受けた真穂にとっては容易いことだった。手を掛けてフェンスをひょいと乗り越えると、屋上のほぼ中央部にある三階部分に近寄る。そこは二階からの登り口であると共に屋上への開口部にもなっている。ほぼ前面ガラス張りで、天候の悪い時でも眺望を楽しむことが出来るスペースにもなっている。
 真穂は音を立てないように屋上への出入り口に身を寄せる。手袋をした手でドアノブを探ると施錠はされているのが確認できる。しかし、この手のシリンダ錠は、玄関ほどの防盗性を求められないので、ちょっと訓練した者にはヘアピンで簡単に開けることが出来る。勿論、真穂もその訓練は受けていた。
 三階部分から屋敷内に侵入すると、目指す二階部分につながる螺旋階段を音を立てないようにそっと降りてゆく。光彦が使っているらしい部屋は外から見当をつけてあった。頑丈そうな分厚いオーク材のドアにはそれに相応しくない簡易なシリンダ錠しか付いていなかった。真穂がヘアピンでそれを開けるのに1分も要しなかった。
 部屋の中はシンプルだった。大きな作業用テーブルに革製の立派なロッキングチェアが一つあるきりだ。テーブルには大きな液晶画面とパソコンのモニタ用らしい小さな液晶パネルが二つ乗っているきりだ。パソコン本体や、DVDレコーダーの類いはラックに入って、テーブルの下に収納されている。テーブルの両脇には抽斗として使っているらしいキャビネがあったが、中は殆ど空と言っていいようだった。
 真穂は光彦の性格を想像した。潔癖過ぎるほどの綺麗好きらしい。証拠の品などは、そこらに放置することは無さそうに思えた。真穂が目を付けたのはパソコンだ。最新鋭の機器で、光彦がそちら方面には相当造詣が深いことを予想させる。
 真穂も訓練の一環としてそちらの教育も専門家から受けている。その気になればハッカーまがいのことも不可能ではない。
 真穂はもう一度部屋を見渡す、壁の上部に掛け時計が二つ。飾りになっているイミテーションのマントルピースの上に置時計が二つある。そのうちの置時計の一つだけが電池が切れているのか、止まっている。真穂は確信した。
 テーブルの下のパソコンのスイッチに手を伸ばし、パソコンを立ち上げる。画面が一瞬明るくなってすぐに真っ黒になり、パスワードを訊いてくる。
 もう一度真穂は後ろのマントルピースのほうを振り向いて、止まっている時計が指し示している11時48分をみて、2348と打ち込んでみる。
 「ビンゴー。」
 あまりに呆気なかった。パスワードは複雑にすると覚えきれない。万が一忘れてしまった時はとても不便だ。それが業者に任せられないものだったりすると、始末に負えない。それに安全上は頻繁にパスワードを変更しなければならない。そうなると益々忘れ易くなる。時々パスワードを変え、その数値を何等かのメモに取る。しかし、メモを見つけられてしまうと万事休すだ。メモではないが、確実に部屋にあり、暗証番号を指し示すもの。置時計を止めて数字をあわせておくというアイデアは、以前に真穂のパソコン教師をしていた指導員から教えられたものだった。

 立上げのパスワードの後は、所望のものを得るのに、それほど時間はかからなかった。真穂の警察手帳の身分証名書の部分と、誓約書をあわせてコピーを取った画像二つ。これが一番大事な物件だった。

 もうひとつ、大事な証拠品は、「ami」と書かれたフォルダと「yosiko」と書かれたフォルダの中にあった。二人の女性の辱めを受けた姿を執拗に撮り捲った写真ばかりだった。あまりの酷さに真穂自身目を背けたくなるようなものばかりだ。この時、真穂は自分自身は辱めを受けながらも写真は撮られていなかったことに初めて気づいた。二人の女性の写真はどうやら次郎とマサとで撮影したものらしかった。しかし、自分はそんな目には遭っていない。真穂のことを自分の物と言っていた光彦は、おそらく自分のことを勝手に何かすることを次郎やマサたちには禁じ、その代わりとしてこの二人には好きなようにやらせたのだろう。真穂は胸ポケットから人差し指ほどのスティックメモリを取り出すと、パソコン本体に挿入し、二人の画像を含めた全てのファイルのコピーを取る。数分でそれが終わると、コマンドプロンプトという画面に切替える。パソコンのプロだけが使う特殊なプログラムのエリアである。そこへすらすらっとプログラムを打ち込む。ウィルスなどに用いられるのと同じ、自分で次々に自分のメモリを上書きしていく特殊プログラムだ。これを走らせると、パソコン内の全ての情報が上書きによって消されていくのだ。プログラムを動かし出させると、真穂はほぼその日の目標を終えて、立ち上がった。

 光彦の部屋からは、他には何もめぼしいものは見つからなかった。全ての部屋をチェックしていて、騙されて拉致されてきた女性たちが監禁されたと思われる部屋を南西の奥に見つけた。手製のものらしい、大きな太い柱が壁にX字の形で取り付けてあって、四隅に革と鎖で出来た手枷、足枷がついている。その拘束具に磔にされた女性の姿を真穂はパソコンの画面を通じてしか見ていない。その部屋のクローゼットからは、大量の縄、手錠、鎖、張り型などが見つかった。更に奥には真穂の次に拉致された女子大生の物らしい衣装とおびただしい量の下着類が見つかる。その中には、真穂が通勤電車に乗らせられた際の丈の短いスカートやブラウスなども含まれていた。
 それらの衣類は証拠にはなるが、持ち出すには嵩張るので、置いてゆくことにした。慎重に衣類を元に戻すと、部屋を出て、三階の屋上部に出る螺旋階段へ向った。来た時と変わっているのは全てのデータが消去されたパソコンの中身だけである。ひらりと身を翻すと屋上のフェンスを乗り越え、軽々とロープを伝って下へ降りる。その時、真穂は遠くで微かに聞こえてくる車のエンジン音が響いてくるのを聞き取っていた。特殊なスポーツカーの音で、以前に何度か耳にした光彦のものに間違いなかった。急いで庭の隅っこの植え込みの陰へ隠れる真穂だった。

 やって来たのは、助手席に朱美を乗せた光彦だった。何故か次郎はその日は一緒ではないようだった。光彦が車を奥に停めている間に、朱美が先に出て、屋敷の玄関を開けて中に入っていく。その後続いて光彦も屋敷の中に入ってしまうと、あたりはしいんとした静寂の中に戻ってしまう。
 真穂はどうしたものかと思案したが、胸ポケットにしまった証拠のメモリスティックを近くの樹の手頃な洞に突っ込むと、ロープを下げたままにしてある屋敷の裏手へ音を立てずに戻っていった。

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