tovalconyr

アカシア夫人



 第七部 罠と逆襲




 第七十六章

 「ね、またそんなもので私を繋ぐの?」
 和樹が出してきた首輪と手錠を見て、貴子は怯えてしまう。貴子が身に付けるのを許されているのは、薄いシルクのスリップ一枚のみである。ブラジャーもショーツも剥ぎ取られてしまっている。スリップは太腿にかろうじて届くだけの丈しかないのだ。
 後ろ手に手錠を掛け、首輪も嵌めてしまうと、和樹は首輪に取り付けられた金具の輪に荒縄を通す。
 「今日は、目隠しはしないよ。顔が見えたほうがそそる筈だからね。」
 そう言いながら、貴子をバルコニーに押しやると、首輪に付けた荒縄の端を物干し棹用のフックに引っ掛けて縄を引き絞る。和樹が縄を引くので、貴子は物干し棹フックの真下に引かれて吊られる格好にならざるを得ない。
 「あんまりきつくじゃ苦しいだろうから、少しだけ弛みを持たせておくからね。」
 少し縄の引きを緩めると、反対側の端をバルコニーの柵の一本に括り付けるのだった。これで完全に貴子は自由を奪われ、バルコニーの上で磔になったも同然の格好にされてしまう。カチンと音がして、防犯用のライトが点けられる。和樹がその向きを調整して繋がれて吊るされている貴子のほうへ向きを直すと、真っ暗な闇の中に貴子のあられもない姿が煌々と照らし出される。
 「嫌っ、こんな格好で晒されるの・・・。」
 「暫くの辛抱だよ。首尾よくいくまでのね。」
 そう言うと、和樹はフレンチ窓から室内に戻り、出ていってしまったのだった。

 和樹がバルコニーを出ていった後、暫く貴子はただ呆然と目の前の暗闇を見つめていた。自分の方にライトが当てられているせいで、逆光になって、前の林のほうの様子は殆ど何も見て取れない。時折、自分の身体や後ろの壁で反射した光が風にそよぐ樹の葉にあたって揺れるのが感じられる程度である。
 貴子は逆に林の茂みの陰から自分のほうを窺がってみたら、どんなに見えるだろうかと想像してみる。スリップ一枚に剥かれて下半身はほぼ丸出し状態だ。バルコニーの手摺りの間から白い腿が覗いているに違いなかった。後ろ手の手錠が身体を隠す自由も奪っていた。透けて見えるのではないかと思われる胸元を覆うことも、あまりにも短いスリップの丈のせいで下から見上げると覗いてしまっているかもしれない無毛の股間を隠すことも叶わないのだった。
 (夫は首尾よく、薪小屋に身を隠すことが出来たのだろうか。本当に、こんな夜中に岸谷は現れるのだろうか・・・。)
 殆ど全裸に近い格好で、戒めを受けて夜の闇の中に放置されていると、不安だけが募ってくるのだった。
 その時、目の前の暗闇の中の叢で、ガサッという音が聞こえたような気がした。
 (誰・・・、誰か居るの?)
 声を挙げたいのを必死で堪える。
 しかし、自分に当てられている明りが眩しくて、暗闇の藪の中ははっきり見えない。

 「ぎゃあああ・・・・。」
 突然、悲鳴に近いような叫び声が、夜の闇の中に響き渡った。
 (岸谷を夫が捕らえたのだ・・・。)
 そう咄嗟に思った貴子の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 「た、助けて・・・、助けてくれええ。た、か、こ・・・・。」
 夫の和樹の声だった。
 「あ、貴方なの・・・。和樹さんなの・・・。いったい、どうしたの・・・。」
 突然、聞こえてきた和樹の苦しそうな呻き声に、貴子はバルコニーの手摺りのほうに身を乗り出そうとするが、首輪に繋がれた縄のせいで、少し前のめりになれるだけだった。それでも目の前の眼下の暗闇の中に何かが蠢いているのが気配で感じられた。
 「あ、足が・・・。足首が、何かに挟まった・・・。助けてくれっ・・・。」
 「あ、貴方っ。いったい、どうしたっていうの。」
 「あ、貴子っ。早く来て、助けてくれえ・・・。」
 「ああ、貴方っ。でも、首輪と手錠があって、動けないのよぉっ。」
 貴子は身をもがいてみるが、頑丈な手錠も、首輪を繋いでいる荒縄もびくともしない。
 「く、くそうっ・・・。何てことだ・・・。」
 何かは判らないが、夫の和樹が窮状に陥っているのは間違いなかった。しかし、今の貴子にはすぐに助けにいく手立ては何も取れないのだった。
 (とにかく、まずは何とかして首輪を吊りあげている縄を解くしかない。)
 貴子は、頭を上げて首輪が繋がれている縄の先を追う。物干し竿を通すフックに一旦引っ掛けられた縄はそのまま降りてきて、貴子から少し離れたバルコニーの欄干の柱の一本に繋ぎ留められているのが判った。貴子が吊るされている場所から2mほど離れた場所だ。
 (届くかしら・・・。)
 自由になるのは裸の足だけだった。それでも、首を吊られたままの格好で足の先を伸ばすことしか出来ない。はしたない格好になってしまうのも構わず、貴子は大きく股を開いて片足を欄干の手摺りの上へ上げた。手摺り沿いにすこしずつ足の先を縄の繋ぎ目のほうへ伸ばしてゆく。後ろ手錠なので身体を手で支えることも出来ない。不自由な格好で、手摺りに頭を擦り付けるようにしながら、必死で足を伸ばす。
 足の先に縄の結び目が当たった。
 (あと、少しだわ・・・。)
 貴子は自分の身体を支えている足のほうで爪先立ちになる。少しだけ首輪に繋がった縄が緩んでもう少し先まで足を延ばせる。足の指を曲げるようにして結び目を探るのだった。

 欄干の柱に繋がれた縄が少しずつ緩んで来た時には、もう殆ど脚が攣りそうになっていた。それでも貴子は必死で脚を伸ばして足の指で縄の結び目をしごいていた。
 (と、取れたっ・・・。)
 ずるっと縄が緩んで、するすると荒縄が解かれてゆく。途端に首を引っ張っていた部分が楽になった。貴子はへなへなとバルコニーのウッドデッキの上にへたり込んでしまう。

 貴子は殆ど裸に近い格好のまま、玄関でサンダルを突っかけると、夫が居るらしいバルコニー前の藪の中に走りよった。後ろ手錠も荒縄がまだ繋がったままの首輪も付けたままだった。それでも何とか歩けるだけの自由は取り戻していた。
 「貴方っ、何処っ・・・?どうしたのっ・・・。」
 呻き声が聞こえる暗闇のほうへ向かって声を掛ける。
 「あ、貴子かっ・・・。何かに挟まれている。獣用の罠みたいだ。痛くて動けない。」
 それでも手にしたサーチライトだけは使えるみたいで、貴子のほうに明りを向けて自分の居る場所を示す。
 「すぐ助けてあげたいけれど、手錠が嵌められたままなの。今のままじゃ、私にもどうにもならないわ。」
 「く、くそう。そうだった・・・。」
 「ね。手錠の鍵って、何処にあるの。」
 「そうかっ・・・。俺の・・・、俺の書斎の、抽斗の一番下の段の中だ。」
 「そこは鍵が掛かっているのではなくって?」
 「いや、今は掛かってない。」
 「判ったわ。行ってくるっ。」
 そう言うと、貴子は和樹を置いて、山荘に逆戻りする。

 (和樹の書斎の抽斗の一番下の段・・・。)
 貴子は思い返していた。最初にバイブや手錠を見つけた場所だ。何度かこっそり開けてみたので、よく判っている場所だった。
 不自由な後ろ手で、書斎のドアノブを背中で開けて入った貴子は抽斗が開けたままになっているのを見つける。鍵穴にはいつもの鍵束の和樹の鍵とは別のが挿したままになっているのが見えた。貴子は抽斗を背にしてしゃがみこんで手錠に繋がれた両手を抽斗の中に突っ込んで中を探る。
 (これね・・・。)
 手錠の鍵も何度か握っていた。触った感触だけで、所望の物を見つけ出した。
 (やっと外れた。)
 貴子は手首についた赤い痣の痕を指で摩る。やっと手が自由になったのだった。すぐさま首輪を外す。すぐに和樹の下に戻ろうとして、自分が裸のような格好だったのを思い出す。それで自分の寝室に戻って、スリップの上からジーンズを穿き、上にTシャツを一枚羽織る。着る物をあれこれ選んでいる余裕はなかった。すぐさま、バルコニー下の藪のほうへ戻ることにする。

 和樹は痛いのか、まだ呻いていた。そんな姿が何だか貴子には頼りなく見えた。
 和樹の足首を捉えているものを仔細に調べた貴子は自分の手に負えそうもないことを直ぐに悟った。
 「私ではどうにもなりそうもないから、誰か助けを呼んでくるっ。」
 そう言うと、貴子は再び和樹を残して、山荘の中に急いだのだった。
 人里離れた山奥の別荘地で頼れそうな人間はそうはいなかった。
 「もしもし、俊介君?ごめんなさい、こんな夜遅くにっ。ちょっと大変なことになっちゃったの。お願いっ。すぐに助けに来てくれない・・・。」
 携帯電話は圏外で繋がらないので、山荘に据えてある固定電話から三河屋に掛けて、俊介を呼び出したのだった。
 表の道から山荘のほうへ上がっていく私道の途中で俊介を待っていた貴子はほどなく、三河屋の軽ワゴンが山道を登ってくるエンジン音を聞き分けていた。
 「ああ、俊ちゃん・・・。」
 「奥さんっ。どうしたんですかあ。」
 闇の中に走り寄ってくる俊介の姿をみつけて貴子も思わず走り寄り、俊介に抱きついてしまう。

madam

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