アカシア夫人
第七部 罠と逆襲
第七十五章
「ねえ、貴方。本当に下着が覗いて見えない?」
貴子は和樹に言われて穿いてみた、余りに短い丈のプリーツスカートから下着が覗いてしまうのではないか、不安でならない。
「ちょっと、そこで廻ってみてご覧。うん、大丈夫。覗いたりしてない。」
和樹は、貴子がターンしてみた瞬間にスカートが翻って、一瞬お尻のほうで、ショーツがちらっと見えていたのをわざと黙って嘘を吐いた。
「こんな格好したら、頭がおかしいって思われないかしら。」
「平気さ。このテニスラケットを持っていれば、極、普通の格好って感じだよ。」
和樹が手渡したのは、和樹が長年使ってきた革のケースに入ったテニスラケットだった。運動が得意な和樹は、若い頃相当テニスに入れ込んだ時期もあったが、最近はラケットを振ることは殆どない。一方で、運動が不得意な貴子は、結婚前のテニス全盛期の頃、他の仲間達同様、慣れないラケットを持って、避暑地のテニスコートへ何度も繰り出した口だが、結婚を機に、一切ラケットに触れることはなくなっていたのだ。
作戦を決行すると聞かされたのは、その日の朝だった。そして手渡されたのが、何時の間に用意されたのか、真新しいテニスウェアの上下だったのだ。それを身に着けるよう言い渡された。スコートの丈は、貴子が持っている一番短いミニスカートより更に短かった。アンダースコートを念の為着けたいと申し出たが、即座に却下された。ストッキングを着けようとして、テニスをするのに不自然だよと踝までのソックスだけしか許されなかった。着る物のことで和樹に不服を申し立てても、不機嫌になり態度が邪険になるだけだと判っているので、貴子もそれ以上文句は言わずに、素直に従うしかなかったのだ。
和樹も最近では余り使うことが少なくなった自前のテニスウェアに着替えていた。二人並んで立つと、一緒にテニスに興じる仲のいい夫婦としか見えない。
「じゃ、行こうか。」
和樹は、愛車のレンジローバーのほうへ貴子を促すのだった。
「おや、いらっしゃい。ほう、テニスですか。いいですね、お二人して。」
「いや、こいつが年甲斐も無く、また始めたいって言うんでね。僕はお付き合いですよ。」
二人を出迎えた山小屋喫茶カウベルのマスターに和樹が言うのを横で聞いて、ちょっと憎らしく思った貴子だった。テニスの格好をさせたのは、和樹のほうだ。それも本当にテニスをする為ではないことは貴子にも重々判っていた。自分の生脚を岸谷に見せつけようという意図に違いないと貴子も察していたのだ。
いつもの少し高めのスツールに腰を掛けるのに、貴子は細心の注意を払う。ちょっとでも油断すると、スカートの中が覗いてしまいそうなのだ。
和樹が店内をさり気なくゆっくり見渡す。岸谷は居ないようだった。しかし、二人がお茶を注文してまもなく、カウベルの音がした。
「ああ、いらっしゃい。岸谷さん。」
「マスター、いつもの。」
そう答えて岸谷が奥のボックス席に腰をかけるのをじっと目で追っている夫の視線に貴子も気づいていた。その岸谷のほうの視線が、貴子の大胆に露わにされた太腿の辺りをちらっと掠めるようにみるのも見逃さなかった。
「じゃ、そろそろ行こうか。もうすぐ予約の時間だろ。」
夫がそう促すので、貴子もスツールから滑り降りる。奥から岸谷の目が一瞬だけこちらを向いたのにも気づく。
「マスター。じゃ、これで。済まないね、細かいのが無くて。」
和樹は財布から一万円札を取り出して、レジの皿に置く。マスターがお釣りを用意するのを待つ間、貴子は背中にずっと岸谷の視線を痛いように感じていた。その時、和樹の手が伸びてきて、貴子のお尻を掠めた。
(あっ・・・。)
声が出そうになるのを何とか堪えた。和樹は、電車で痴漢がするような触り方で、貴子のお尻を撫でたのだった。スカートが一瞬、めくれ上がったかもしれなかった。
「じゃ、お釣りです。またいらしてください。いい一日になりますように。」
マスターが愛想よく和樹と貴子を送り出す。
「それじゃ、また。」
貴子を従えて、山小屋喫茶の踏み段から道路へ降り立った和樹は、振り向くなり貴子の腰に手を回した。
「駄目よっ、こんなところで・・・。」
「いいじゃないか。ちょっとこっちへおいで。」
和樹はそう言うと、貴子の手を引くようにして道路を横切り、道の反対側の潅木の下へ貴子を導く。緑の木陰は二人の姿を完全に隠してはくれない。和樹の手が貴子の腰に再び回され、貴子を引き寄せる。貴子はいきなり唇を奪われたのだった。和樹のほうから、しかも屋外でキスをしてくるなど、普段は一切無いことだった。
(むむむむ・・・・。)
唇を合わせながら、貴子は岸谷が座っていた席の横の小窓がこちらのほうに向いていたことを思い出していた。貴子には背中側になるので、窓に岸谷の視線があるのかは分からない。しかし、和樹はそれを確認しながらわざとやっているのに違いなかった。
再び、和樹の手がプリーツスカートの貴子のお尻に伸びてきた。その手がスカートの裾をたくし上げながら、下着のほうへ侵入してくるのを貴子は拒むことが出来なかった。
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