アカシア夫人
第五部 新たなる調教者
第五十七章
「何か最近、お前。随分元気だな。」
急に夫にそう言われて、びくっとする。
「え、そうかしら。そう言えば、夏になったからかなあ。私、暑い夏のほうが元気なの。」
「そうだったっけ。」
夫に指摘されて初めて、最近ちょっと浮かれ過ぎていたかもしれないと貴子は反省する。電動自転車をこっそり買って、夫の居ない間だけではあるが、好き勝手に走り回っていると、蓼科に越してきて塞ぎ込んでいた気持ちが、ぱあっと明るくなるようだったのだ。
貴子は夫に電動自転車を買ったことを話そうか逡巡していた。言って反対され、取り上げられるかもしれないと心配したのだ。敢えて危険を冒すこともないと、もう少し黙って使っているつもりだった。
夫が寝室に忍び込んでくるのが気配で判る。わざと振り向かないでベッドの中で寝たままでいる。夫の手がベッドシーツの中に差し込まれてきた。その手が貴子の手首を捉える。
(また縛られるのだわ・・・。)
不思議と期待感は湧かない。
ガチャリ。冷たい金属音がした。手錠だった。和樹が手錠を持っているのは随分前から知っていた。貴子自身はそれを使ったこともあるが、まだ夫に嵌められたことはなかった。実際、その手錠は貴子自身が東京へ出掛けていって、買い直したものなのだ。
片方の手首に手錠を掛けると、和樹は貴子の背中を押してうつ伏せにさせ、もう片方の手首も背中に廻して後ろ手錠に掛けてしまう。貴子は黙ってされるがままになっている。
和樹は貴子の両手の自由を奪うとさらにアイマスクを頭から被せる。
「あっ・・・。」
急に視界を奪われて貴子は不安になり、つい声を挙げてしまう。
上に掛けていたシーツが剥がされる。ベッドの上に乗ったらしい和樹が足で乱暴に貴子の身体を上向かせる。短いベビードールのネグリジェは肌蹴てしまって、ショーツが覗いてしまっているかもしれないと貴子は思うが、自分では直すことも出来ない。
和樹の手が首を支えて貴子の身体を抱き起こす。頬に生温かいものが一瞬触れた。和樹の屹立したペニスだと貴子は悟った。
(また咥えさせられるのだわ・・・。)
そう覚悟した貴子だったが、唇を割られることもなく貴子は抱きかかえられるようにしてベッドから降ろされ、そこで立たされた。
「何、どうするの・・・。」
訊いても無駄と思いながらも、貴子は不安で聞かずにはいられない。こういう時は決して和樹のほうから説明などしてはくれないのだ。
首に何かが巻かれた。何か硬いものだ。でも金属ではない。引き絞られる。
(ベルト・・・?)
ジャラッという音がして鎖が付いていることが分かる。その鎖を引かれたようだった。
(首輪なのね・・・。)
犬のように首輪で牽かれていく自分の姿を想像する。
ヒューッと冷たい風が頬を撫でてくる。夏の高原の風だ。寒くはなくて、却って心地良い。貴子は寝室から直接出られるウッドデッキのバルコニーに連れ出されたことを知る。
「嫌っ。誰かにみられちゃうかも・・・。」
山荘の周りには他に家はない。誰も訪ねては来ないと分かっていても気が気でない。
首輪が引かれて、反対側の端が何処かに固定されたようだった。動こうとすると首が引っ張られてそれ以上進めないのだ。それだけではなく、後ろ手錠で拘束された両腕の肘の部分にも縄が巻かれ、何処かに繋がれたらしく、身体の向きを変えることさえ出来なくされてしまった。
カチンと音がして、アイマスクの向う側に光を感じる。ウッドデッキの端に取り付けてある防犯用のライトが点けられたのだ。それが首輪で繋がれた貴子の身体を明々と照らし出しているのに違いなかった。
「い、嫌っ。明かりを点けないで。」
しかし、ライトは情け容赦なく、貴子を照射し、裸に近い身体を夜の闇の中に煌々と照らし出すのだ。肘に結わえつけられた縄が真正面から照らされる光を避けるように身体の向きを変えることさえ、ままならないのだ。
更に、貴子の身体をかろうじて蔽ってくれていた筈のネグリジェまでたくし上げられ、首元の襟のなかに突っ込まれてしまう。そしてショーツまでもが膝上まで引き摺り下ろされてしまう。最早、貴子は乳房から股間までを晒した格好で、バルコニーの上に磔にされてしまったようなものだった。
背後でフレンチ窓が開いてまた閉じられるのが気配で感じられた。暫くして和樹が愛用している米国製四輪駆動車レンジローバーのエンジンをスタートさせる時の甲高い音が聞こえた。
(まさか、このままで放置したまま、夫が何処かへ行ってしまうのでは・・・。)
その心配は杞憂には終らなかった。レンジローバーが山荘前の私道を下っていく音を聞きながら、貴子は全裸に近い格好で、バルコニーに放置されてしまったのだった。
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