アカシア夫人
第五部 新たなる調教者
第五十五章
「ねえ、岸本って人、知ってる?」
「そりゃあお得意さんの一人ですからね。バードウォッチャーとか自分の事、言ってきどってる写真家ですよね。」
「ああ、そうそう。お家も判る?」
「勿論。だって配達もしてるんですから。あ、そうだ。岸本さんの別荘がある辺りは、すずらん平っていいますね。奥さんのところはアカシア平だけど。」
俊介が地名を言うのを聞いてやっと、貴子等も山荘を購入する際に、不動産会社の営業からいろいろ聞いた地名のひとつだったことを思い出したのだった。
「それじゃあ、帰りに通り道だから、ちょっと寄って教えてあげますよ。あ、勿論、中に入るんじゃなくて、遠くから見るだけですけどね。」
「あれですよ。」
俊介が指差す先に、建物の上半分ぐらいが、葦の茂みの中から垣間見れた。貴子等の山荘は山小屋風の丸太造りなのに対し、岸本の別荘はコンクリート打ちっ放しの四角い建物だった。道から少し私道を登っていった丘の上に在るらしかった。
「ふうん。この辺りをすずらん平って言うのね。こっちもそんなに別荘は多くはないのね。」
「アカシア平よりは在るかなあ。でも少ないのはすくないですね。」
さすがに俊介は配達で廻っているだけあって、どこに誰の家があるかは詳しいようだった。
「奥さん。あの岸谷って人、ちょっと危ない気がするんです。あんまり近づかないほうがいいと思いますよ。」
「そう、そうなのかしら。」
貴子は何を根拠に俊介がそう言ったのか知りたいと思ったが、つい聞きそびれてしまったのだった。
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