妄想小説
牝豚狩り
第七章 忍び寄る魔の手
その11
真緒は男が喋っている間も、両手をもがいて縛られている縄をなんとか解こうとしていた。男が緩めてくれたので縄は解けかかっていたが、焦れば焦るほど、うまく緩んでくれなかった。
縄をほどきながらも真緒も男の話に耳をそばだてていた。どういうことが行われようとしているか、次第に真緒にも呑み込めてくるにつれ、恐怖で余計に焦りが生じ、縄がうまく解けなかった。が、漸く緩みが広がって片腕が自由になるや、すぐにもう片方の手も解き、すぐに足首の縄に手をかけた。
Y字バランスのままの格好で足首の縄を解くのは、とても苦しかったが、弱音を吐いている場合ではなかった。やっとのことで足首の縄が解けた時に、5分のうちのどれだけが残っているかも判らなかった。脚を地面に下ろすと同時に腰から袴がずり落ちかけた。それを慌てて手で掴み腰の周りに引き上げる。
真緒は袴の両端を両手で抑えながら、走り出していた。とにかく逃げなければならないことだけは判っていた。何処へどう逃げればいいのかも判らないまま、とにかく走り続けたのだ。
帯を失った袴は走るのには邪魔でしかなかった。が、その下には下着一枚つけていない。邪魔になるからと言って、下半身裸のままで逃げる勇気もなかった。上半身の稽古着も帯で締めていないので、すぐに肌蹴てきてしまう。襟元が解けてきてブラジャーをしていない為に走ると大きく揺れてしまう乳房が食み出てしまいそうになる。真緒は襟元を片手でつかみ、もう片方の手で袴を手繰りながらという不自由な格好で走らねばならなかった。しかも下は裸足なので、ところどころに岩の端が突き出ている地面が痛かった。
裸足は寒稽古などでは慣れている。しかし、それは板張りの上のこと。地面の冷たさは何とか我慢出来たが、でこぼこの地面を走りつづけるのはつらかった。
山道は何度か分れ道になっていた。どちらを行ったらいいのか考えている余裕は無かった。下のほうから追われていたので、本能的に山の上のほうへ続くらしいほうを選んでしまっていた。それが次第に追い詰められる結果になろうとは真緒も考える余裕はなかったのだ。
足の裏の痛みが耐え切れなくなって、とうとう山道の傍らの叢に座り込んでしまった。足の裏を見ると、肉刺が出来て潰れかけている。
(こんなことで、逃げ切れるのだろうか。)
絶望的になりかけた真緒の耳に遠くから近づいてくる男の足音が聞こえてきた。分れ道で追っ手は次第に分かれ分かれにはなっているようだったが、そのうちの一人が確実に真緒の背後に近づきつつあった。
真緒は胸元の衿を合わせ、袴の袂を引き絞るように掴むと、立ち上がって再び走り始めた。しかし、このことが結果的に追っ手に真緒の存在を知らせてしまうことになってしまった。
追い掛けていた男は、遠くに白く旗めくように動く真緒の剣道着の姿を目に捕らえた。
(しめた。やっぱりこっちの道が正解だったか。)
男は思わずにやりとして、手にした竹刀の柄を握りなおす。
道は途中から急に険しくなり始めていた。見上げると小山のような大岩が目の前に立ちはだかっていた。その向こうには青空しか見えない。嫌な予感に駆られながら、その岩の真下まで行き着いた真緒だったが、その岩の向こう側を覗いて絶望感に襲われた。
そこで道は尽きていたのだ。岩の向こう側は切り立った絶壁の崖だったのだ。
もう遠くに追っ手の姿が小さく見えていた。向こうも自分の姿を認めているのは間違いないと真緒もわかっていた。最早逃げることが出来ない。
咄嗟に真緒は辺りを見回す。道の端に1mほどの木切れが落ちているのが目に止まった。竹刀より短かそうで、不利だろうが何もないよりはマシだった。
誰かがここまで登ってくるのに杖代わりに使っていたものなのだろう。登りの道がそこで尽きてしまったので、捨てていったもののようだった。
真緒がその木切れを取り上げている間に、男はもうすぐ近くまでやってきていた。すでに戦う体勢を取り始めている。竹刀の先はしっかり真緒のほうへ向けられていた。
真緒は頼りなげな棒きれで、男と対峙した。片手はずり落ちてしまう袴を抑えていないとならない為、片手しか使えない。男はぴったり竹刀の先を真緒のほうに向けたまま、様子を窺うように横へ横へと動いてくる。
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