妄想小説
牝豚狩り
第七章 忍び寄る魔の手
その５
警視庁桜田門のビルの最上階付近にあるオフィスに戻った冴子は、早速、小牧空港警備会社に連絡を取る。栗原瞳帰国日の防犯カメラの録画テープに、瞳から聞き出したリムジンの特徴を伝え、写っていないかを調べる。一方、内田由紀殺害事件の担当刑事にも連絡を取り、当時の捜査線上に不審なリムジンが浮かび上がっていないかを確認した。同じ独身アパートに住んでいる住人への聞き取り調査の中に、みかけないリムジンが朝近くに停まっていたという証言があったが、それ以上は内田由紀との関連性が見出せなかった為、その方面の調査はそこまでで打ち切られていた。公務員である警察官の海外遠征出張にリムジンが使われるということが、非常識過ぎてあり得ないというのが一般的な見方だった為だ。
しかし、これだけの情報から冴子は、内田が出国予定だった朝と、栗原が帰国した夕方にほぼ同一の手口が使われたことに確信を持つようになった。
当日の小牧空港駐車場付近に据えられていた防犯カメラの映像に、白いリムジンが見つかったのは、連絡をしてから数時間後だった。かろうじてナンバーを読み取ることが出来、青梅街道沿いにある帝都リムジンサービスという会社のレンタカーであることが判明する。白い大型のリムジンで、運転席と後部座席がガラス扉で遮蔽出来るものなど、そうそうあるとは思えない。
冴子は、今度は、内田が拉致されたと見られる遠征出発当日の横浜インターから乗る横羽湾岸線沿いのナンバー自動読み取り装置Ｎシステムの記録と、リムジンのナンバーを照合する。果たして同じナンバーのリムジンの走行記録が捉えられたのだった。
成田への道のりの途中数箇所にあるＮシステム記録から、リムジンは都心に入る手前、鶴見付近で高速を降りていることが確かめられた。
リムジンの借り手は、内田の日と、栗原の日では別人物だった。免許証の住所から所轄署へ照会すると、いずれも今は住所不定という返事が返ってくる。またしても、ホームレスなどの浮浪者をアルバイトに使った手口が考えられた。
しかし、このふたつのリムジン使用の手掛かりは重要な進展だった。使われた二つのケースの走行距離記録が、犯人の潜伏先の特定の重要な決め手になるからだ。内田の場合は、350km強、このうちレンタカーの営業所のある田無から内田の住まいのある神奈川県横浜市瀬谷へ向かい、そこから海岸沿いの高速を通って鶴見近辺で降りると50kmほど。それを差っぴいた約300kmで往復出来る距離となると、東京、神奈川、静岡の伊豆、山梨、埼玉、千葉西部あたりに絞られる。
同じようにして栗原の時を調べてみると、550kmの走行の中で、田無から小牧へ行くのに、250kmが使われ、残りの300kmで行って戻れる場所というと山梨か静岡の山岳部に限定される。
更には、冴子の時の現場に使われた丹沢奥、国仲良子が解放されたラブホテルがあった長野県の茅野という地点から考えると、中央道、国道20号沿い、もしくはその路線からそれほど離れて居ない場所という線が濃厚となってきた。
しかし、捜査はそこまでで、一番怪しい中央道、国道２０号に設けられたＮシステムの記録には当該ナンバーの記録は見当たらない。犯人は高速道路以外では巧みにNシステムの監視網のある路線を避けて走っている。それだけ、手掛かりを残さないように慎重にルートを取っていることが判明してきたのだった。
医者から盗み取ったアドレスを設定している冴子のパソコンに、あらたなURL を報せる電子メールが届いてきた。それを医者から怪しまれないように、今度は医師のダミーのアドレスへ当てて同じ物を転送しておく。この転送を続けている限り、主催者から毎月送られてくる電子メールを盗み読まれていることは気づかれないのだ。
新たに得たURL に早速アクセスしてみる。今回は前回の有名アイドル選手狩りの報告と、それにまつわる会員からの憶測記事が主なものになっている書き込みの掲示板のみだった。
これまでの一連の事件から、狩りはほぼ３箇月周期で開催されることが判っている。次に新たなイベントの提示があるのは、次月のものの筈だった。
狩りの中身についての会員同士のやり取りは、前回の月にほぼ出尽くしていて、今回のものでは、その後に起きた事件への憶測が盛んに飛び交っていた。中でも注目を引いたのは、埼京線十条駅付近の踏切で起きた飛び込み自殺事件に関するものだった。
会員のひとりが、（あれは、自殺じゃないんじゃないかな。）と書き込んだことから始まっていた。それは、前回のアイドル選手狩りの参加者、それも最終的な獲物ゲットに失敗した参加者だったのではないかという憶測の書き込みだった。実際に狩りに参加したもの、首謀者とその手下以外には、参加者の顔を知っているものは居ない。掲示板に書き込みをしている殆どの会員は、獲物の顔と、テレビで報道された栗原瞳を襲ってその後に自殺したと見られる男の顔以外は知らないのだ。勿論、自殺したと思われている男が参加者の一人だったとして、会員の中に、あと二人は真実を知っている者が居ることになるのだ。が、その会の参加者は何故か沈黙したままだった。
やり取りの間に、あの自殺者は、勝手に掟を破った会員への制裁という意味の殺害だったのではないかという空気に変わっていった。実際の参加者からの発言がひとつもないことがそれを裏付けているかのようにも思われていた。掟、すなわち、狩りの主催者が提供するイベント以外で、似たようなことを企てるという行為をしたものは、厳罰で処するというものだ。冴子は書き込みのやり取りの中から、この会員の契約をする際に、そういう条項が織り込まれていたことを悟ったのだった。
一方の通常の捜査陣のほうの調査からは、重要な事項は何も判明しなかった。自殺若しくは殺害された男は、無職で、かなりの資産家の息子だった。一人暮らしの贅沢なマンションからは、女子バレーボールなどを扱った雑誌や写真集、ポスターなどが多数押収され、バレーボール選手フリークだったことを窺わせてはいたが、それ以上の情報は得られなかった。部屋から押収されたパソコンからも、事件に関係するようなものは出てこなかった。かろうじて判ったことは、田舎の親元から仕送りされてくる多額の残高がある預金口座とは別に、本人名義の口座があり、銀行の記録では毎月数百万円が振り込んでは引き出され、記録のある最後の月には数千万円の引き降ろしがあったこと。その口座の銀行カードは本人は所持していなかったことなどであった。
田舎の親元も、警察から（自殺の線以外の疑いもなくはない）と言う報告があったにも関わらず、これ以上の捜査を望まない旨の返答が返って来て、やむなく捜査本部は解散となっていた。死んだ男が掛けられていた実際の容疑は、栗原瞳の強姦未遂容疑ではなく、殴られた記者の傷害容疑で、容疑者本人が死んでしまった以上、記者のほうでもそれ以上の追求を警察に要求するのも出来なかったのだった。
男はいつもの日課であるかのように、自分の取ってきた始末について、微細に見直しをしていた。何の手掛かりをも残していないか、ひとつひとつチェックするのだった。
今回、始末をした客は、最初のうちから危ないとは思ってマークしていた客だった。金の払いはいいのだが、他の客のように、自分で稼いでいる金ではない。失うような社会的地位も持っていない。このビジネスの最も上得意は、社会的地位が高く、高収入で、自分の趣味の為には金を惜しまないという客なのだ。あの手の客はもう会員には引き込まないのが無難だと男は反省していた。
牝豚狩りに失敗したハンターというのは、どうしてもリベンジをしたがるものだ。大抵は、新しい次のイベントに応募してくるということで、リピーターとなって客としては好ましいのだが、極たまには、自分の手で狩りまがいのことを仕掛けようとするものが出てくる。大抵は、それが出来ないように、獲物となった女を解放する時には、客が後を追えないように身元を明かさず、行方も判らなくするのだが、栗原瞳のような有名人の場合は難しい。今度の場合、栗原をしつこく追い回していたスクープ記者が計算外だった。
栗原瞳の恋愛沙汰での失踪を装った盗撮写真を送りつけ、それらしい記事を掲載させるところまでは読みどおりだったのだが、更に追い続けるとまでは読んでいなかった。
一番不味かったのは、栗原の日本での潜伏先を判らせてしまう写真を掲載したことだ。成田帰国の際の写真は仕方ないものの、その後を追って、ホテルのロビーでサインするところを後ろから撮った写真は、素人がすぐに判ることはないにせよ、写真の背景にホテルのロゴがちょっとだけ写ってしまっていた。あのホテルを何度か利用したものであれば、何処で撮影したものかは想像が付いてしまうのだ。
あのどら息子も、ホテルのことを知っていたのだろう。こちらに無断でホテルに部屋まで取り、内線を使って脅迫して呼び出したりするとは思っていなかった。それだけならまだ許せたかもしれないのに、栗原を付回していた記者に気づかず、顔写真まで撮られてしまって、テレビで報道までされてしまっては、始末しない訳にはいかなかったのだ。
「館野さんだね。」
「あ、あんたか。よくここの電話が判ったな。」
「そりゃ、こっちも大事なお客様はちゃんと事前に調べをつけているからね。アフターサービスも必要になることもあるし、・・・今回みたいにね。」
「そう、そうなんだ。どうしよう。テレビで流されちゃって、外にも出れない。そのうち知り合いの誰かが気づくだろうし・・・・。」
「あんたも暫く海外に潜伏しておいてもらうしかないだろうね。こちらで手筈はもう整えている。荷物は要らないから、パスポートだけ持って出てきてくれ。サングラスを掛け帽子を深く被って顔をなるべく見られないようにして、新宿西口からまっすぐ北へ向って、青梅街道の立体歩道橋の下で待っててくれ。車で拾いにいくから。」
「わかった。全部、あんたに任せる。金は幾らでも払うから。」
館野はすぐにやってきた。何も疑うこともなく・・・。そして車に乗せ、十条駅のほうへ向う。近くの人通りの少ない路地先に踏切があることは下調べが済んでいた。緊急の渡航用ビザを裏で扱う業者が居るからと、あそこで車を下ろさせたが、全く疑う様子もなかった。踏切前で鳩尾に一発食らわせるだけで、呻いて簡単に倒れた。そして、電車は遅れもなく時刻表どおりにやってきたのだった。
館野の身体から鍵を抜いて、独り住いのマンションへ向かう。用意しておいたバレーボール関係の書籍や写真集をばら撒き、念の為にパソコンも用意してきた別のものと擦りかえる。これまで使ってきたパソコンはどこに何の証拠となるものを残しているとも限らないからだ。女子バレーオタクが昂じて、アイドル選手の栗原瞳を付け狙うようになり、とうとう強姦にまで及ぼうとして、週刊誌記者に写真を撮られ、逃げ場が無くなって自殺したという筋書き通りに誰しも思うだろう。それが、男の今度の計算だった。
（あの男も、栗原を呼び出すまでは用意周到だったが、所詮詰めが甘かったのだ。見つけられた記者に殴りかかって、手にしていたカメラを奪うまでは良かったが、なんとそれがダミーのアナログカメラだったとは。慌てずにちゃんとポケットを調べていれば、別のデジカメを持っていたのに気づいただろうに・・・。）
最近は、撮ってすぐに電送出来るように、記者やカメラマンもデジカメを持ち歩いていることのほうが多いのだ。
「牝豚狩り」サイトの掲示板に、客の一人を装って、自殺した男は栗原狩りに参加した失敗者ではないかと態と流したのも男の仕業だった。これ以上、勝手な事件をして失敗して、警察に尻尾を掴まれてはとんでもないことになる。客にも時によっては、脅しをかけておくことも必要だと男は思ったのだ。
しかし、脅しだけでは客は離れていってしまう。すぐに新しい、それも魅力的な企画を用意しなければならない。
警察で事情聴取を受けたまま、行方が知れない栗原瞳のほうが多少気にはかかったが、あんな暴行事件が起こったことで、暫くは世間には顔を出さないだろうと読んでいた。栗原瞳はもう世間にはあまり出てこないことのほうが男にとっても都合が良かった。変なぼろを出す心配がないのだ。
（もうあの獲物は役目を終えたのだ。あたらしい獲物を客たちの為に探し出さねばならない。）
男はもう新しい企画のほうへ頭を切り替え始めていた。
次へ 先頭へ