栗原聴取

妄想小説

牝豚狩り



第七章 忍び寄る魔の手

  その6



 スクープ写真週刊誌記者、松田俊郎は漸く翌日の退院を認められた。まだ頭の痛みは多少残っているが、身体は元気になっていた。CTスキャンとMRI の結果から、頭部打撲症は頭蓋骨へのひびまでで留まっていた。男が手にしていた短い金属バットのようなもので殴られたのだった。男が逃げていく時に、首から提げていたアナログの銀盤写真を撮るカメラを引っ手繰られるようにして持っていかれた。逆に言えば、このカメラをぶら下げていたのが幸いしたのだ。

松田

 スクープ写真も解像度よりは、スピードのほうが大事な時代になってきて、殆どの仕事はデジカメによってこなされていて、松田もストロボ付きのデジカメを常時携帯していたのだ。
 それでもアナログカメラをぶら下げていたのは、そのほうが記者らしく見えるからで、取材を申し入れる時に、カメラを持っていると信用されることが多い為だった。
 あの日、救急車で運ばれた病院で、警察が取り調べに来るまでの間に、デジカメからメモリーカードを抜き出し、携帯電話のメモリーにコピーを取ってから、警察に証拠として差し出したのだった。下半身を脱がされた栗原瞳が写っているその写真は、さすがに押収され、松田の下には帰ってこなかった。咄嗟にコピーを取っておいたことが幸いしたのだった。
 同僚に病床まで持ってこさせた携帯パソコンで、一人の時にこっそりその写真を初めてみたのだった。栗原の陰部が丸見えになっていて、そのままでは使えないが、陰部にボカシを入れれば、スキャンダル写真として使えなくはない。目にはアイマスクを掛けさせられていて、顔の特定は出来ないが、むっちりとした肢体と、姿格好は、栗原瞳そのものだ。それだけ衝撃的な写真ではあった。なにせ、アイドル選手が、両手を手錠を掛けられて自由を奪われ、ブルマとショーツを膝上まで下ろされて、今にも犯されようとしているその瞬間なのだ。
 しかし、松田はそれを自分の会社のスクープ週刊誌ですぐに使うことは考えていなかった。出しても単発に終わり、取材がないだけにすぐにネタ切れになってしまうだからだ。最初の失踪事件の時から、栗原瞳はマスコミから遠ざかってしまっているので、アジア選手権予選直前の頃のようなバレーフィーバーは最早終ってしまっていたし、栗原人気も一部の熱心なファンだけのものになりつつあった。
 松田には、別の計画があった。あの日、ホテルのロビーの片隅に蹲るようにして張っていた夜、カツカツというハイヒールの音で、目を覚まし、栗原瞳が降りてくるのを目撃した。栗原はそのまま女性用化粧室へ入ってしまって暫く出てこなかったが、出てきた時に足音が変わっていることにすぐに気づいた。ハイヒールではなく、ラバーソールの運動靴を履いていた。上から羽織っているコートはそのままなので、ぱっと見た目にはわからないが、足元を見れば、白いルーズ形のソックスに運動靴だ。それはコートの下にユニフォームを着ていることを連想させた。

 ひと目を忍んでロビーを出る姿を見て、何かあると直観して、気づかれないように後を付けたのだった。相当警戒している様子だったので、あまり近くへは寄れなかった。が、それでも撒かれることはなかった。そして、栗原がビル街の谷間にある小さな公園の公衆便所の中、それも男子用の方へ入るのをみて、何かあるのを確信したのだった。そして、栗原が入って数分したのち、あの男が後を追うように入っていくのを見たのだった。

 松田は手にしたパソコンの画面にある写真と、自分の記憶の中の映像との間を行き来しながら、あの晩、あそこで起こったことを想像していた。
 間違いなく、栗原瞳は連れ込まれたのではなく、男より先に自分から入っていったのだ。そして自分がカメラを手にあそこへ忍び込むまで、抗った様子もなく、悲鳴ひとつ聞こえなかったのだ。
 (何か事情がある・・・。)
 松田は確信していた。そしてそれを掴んでこそ、読者を惹き付けられる記事が書ける。その時がこの写真の使い時なのだ、そう松田は確信していたのだった。


 栗原瞳のPTSD 症状の為に、聞き取り調査を中断せざるを得なかった冴子は、焦っていた。次の新しいURL を記したメールが届く時期が近づいていたからだ。これまでの経緯からして、次のサイトでは新しい企画の公募ビッドが行われる公算が高かった。それは新しい犠牲者の出現を意味している。
 前回のサイトでの掲示板では、世間では自殺したことになっている男が、実は栗原瞳の回の牝豚狩りで、獲物をゲットし損なったハンターの一人ではないかという噂話が持ちきりだった。だが、それとは別に新しい狩りのイベントを望む声も立ち始めていた。栗原瞳は知名度も高く美貌の上に肉感的な魅力にも溢れていて、狩りのイベントはとても煽情的で刺激的なものだった。それだけに、次回の狩りのイベントについて、よりハイレベルの企画を望む声が強かった。

 冴子は間違いなく、新しいイベントを仕掛けてくると見ていた。ターゲットの手掛かりはない。警察関係者が国仲良子、内田由紀、そして自分と続いたところでぱったり途絶えているのは、警戒していることを物語っているように思えた。冴子も警察関係者の失踪事件にはずっと目を光らせている。が、警察関係者以外となると、範囲が広すぎて、待ち構えることは不可能だった。事実、栗原瞳の時も、その失踪が発覚するまで冴子自身、想像もしていないターゲットだった。

 しかし、何もしないで手をこまねいている訳には行かなかった。栗原瞳から僅かに得られたリムジンに関する情報から、犯人の拉致監禁先のアジトらしき場所は、かなり絞り込まれていて、山梨若しくは静岡の山岳地帯の何処かという線でほぼ間違いないだろうと観ていた。しかし、富士の裾野を中心とするこの一体は、青木ヶ原の樹海にも代表されるように、未開拓地域も多く、それらしき場所の特定も困難を極めた。
 冴子は動物園の営繕係りから辿っていった檻の解体、再販業者から、半年ほど前にアジトの地下が改造され、冴子が収容された牢が作られたのはほぼ間違いないと推理していた。檻の格子の設置は業者にやらせたのでは、幾ら何でも怪しまれる。おそらく自分で最後の工事をしたのだろうと踏んでいた。解体した檻の柵の運搬でさえ、足がつかないように相当の気を使っていることも判っている。
 冴子は一計を案じた。冴子が檻に監禁されていた時、檻の中にあった水洗便器と洋式の浴槽のことだった。何からなにまで自分の手でやるのは相当大変な筈だ。特に水廻りの工事は手馴れていないと漏水などの問題を起こしやすい。冴子はあの男が、地下室を改造するのに、檻を設置する前に、水廻りの工事を先に済ませたのではないかと推理したのだ。
 地下室を新しい浴室に改造すると言って、何も無い床に配水管を埋め込み、浴槽と便器を設置するだけなら、それほど怪しまれないで済む筈だ。
 冴子は職業別電話帳とインターネットの検索を使って、静岡県北部と山梨県南部の配水管施工業者と水廻り設備設置業者を洗い出した。その数は50を超えている。それらの業者宛てに送る、捜査協力依頼のファックスを作成すると、パソコンの自動送信装置に掛け、片っ端から送りつけることを始めたのだった。

 「各配水管施工業者、ならびに水廻り設備設置業関係者各位

 こちらは警視庁特別捜査本部です。ただいま、ある犯罪事件の捜査の為、ある工事について調査をしております。心当たりの工事を受注されたと思われる業者の方は速やかに下記の連絡先までご連絡をお願いいたします。
 捜査は内密裡に行っている関係上、本ファックスの内容については不要な他言の無き様お願い申し上げます。ご協力いただけない場合、もしくは不用意な情報漏洩の場合、犯罪行為加担幇助の罪に問われる可能性があります。

 工事内容

 2005年4月から10月に掛けての受注工事で、別荘、山荘のような建物の地下室、若しくは地下室相当の部屋への上下水の配管工事、ならびに水洗便器、洋式浴槽の設置工事。

 問合せ、連絡は以下に記載する電話、ファックス、電子メールのいずれかに・・・・  」

 同じ文面が自動で冴子のパソコンから数十件ある業者へ宛てて送られていった。冴子も捜査の網を仕掛けていたのだった。

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