妄想小説
牝豚狩り
第七章 忍び寄る魔の手
その1
公衆便所の中で倒れている男にはすぐに救急車が手配され、病院へ運ばれた。瞳のほうは、現場から持ってこられた瞳のコートを肩から掛けてもらい、やってきたパトカーに載せられて、所轄署のほうへ運ばれた。手錠を外してもらえたのは、所轄署に着いてからやっとだった。警察署ではさすがに手錠の扱いに慣れていて、何種類かある合鍵の束のようなものを持ってきて、婦人警官がすぐに手錠を外してくれたのだった。
肩を震わせている瞳はすぐ傍に婦人警官に連れ添うようにされたまま、男の刑事から事情聴取を受けた。
瞳はどう説明しようかずっと考えていた。そして言い過ぎにならないように注意しながら、説明をしていった。
男に急にナイフのようなものを突き立てられて、ホテルから外へ連れ出されたのだと説明した。そして、公園の男子トイレへ連れ込まれ、手錠とアイマスクをつけられて犯されそうになったところへ誰かがやってきて、もみ合いになり、気づいたら、男が血を流して倒れていたと証言した。
ホテルを出ることになる経緯のところは事実と違うので出来るだけさらっと言う積もりだったが、刑事は見逃さない。じわり、じわりと事細かに聞いてくるのだった。
瞳は気が動転していて、はっきり思い出せない風を装って、辻褄が合わなくならないように言葉を選びながら少しずつストーリーをまとめながら話していった。
男はサングラスをしていたので、顔ははっきり見ていない。トイレに連れ込まれてからは目隠しをされたので、男の顔は最後まではっきり見ていないが、トイレの床に倒れていた男とは違うように思うと言っておいた。実際、瞳はアイマスクを掛けたまま男を待たされていたので、全く男を見ていないのだった。
男に最初に襲われたのは、ホテルの廊下だったことにした。夜中、喉が渇いて、ビールでもないかと廊下を歩いているところを後ろから羽交い絞めにされ、ナイフを首に当てられて、声を挙げられなかったのだと嘘をついた。
そう言ってしまってから、フロントでホテルマンから預かり物の紙包を受け取ったことを思い出してしまった。
(どうしよう。このままではいずればれてしまう。)
瞳は咄嗟に頭をフル回転させる。
「あ、そうそう。夜中にバレーのユニフォームを届けて貰ったのを忘れてて、突然思い出して取りにいったんです。その後のことだったと思います。一応ちゃんと揃ってるか確かめて、着てみていたんです。その時に、喉が渇いたので、上にコートだけ羽織って、廊下に出たら、急に後ろから襲われたんだったと思います。」
急に思いついた嘘で、後でホテルマンが証言する、瞳が荷物を受け取った時刻と、瞳が交番へ駆け込んだ時刻から、辻褄が合わなくならないかさっと頭の中で計算する。
(荷物を受け取って、トイレの中で着替えてから外に出たんだし、トイレでも少し待たされているから時間的には辻褄は合うだろう。)
最初にバレーボール選手であることを名乗っていたので、交番に駆け込んだとき、バレーのユニフォームを着ていたことはあまり不審には思われなかったようだった。刑事も顔ぐらいは見たことがある風で、名乗った時に、「なんかテレビの試合で観たことがあるような気が・・・。あ、もしかしてあの失踪事件の。」と素っ頓狂な声を上げたのだった。
失踪事件に関しては、いろいろ事情があったのだろうと勝手に察したようで、事件として取り上げられてもいなかったので、その辺りは詮索されないで済んだのだった。
「男に心当たりは・・・。」と訊かれて、全く分からないが、少し前から誰かに付回されているような気がしていたと嘘をつく。「姿ははっきり見たわけではないので、断言は出来ないんですが、いつも、誰かが後をつけているような気がして。」
そこまで言ったところで、床に血を流して倒れていた男のことをやっと思い出した。そちらのほうはそれこそ気が動転していてすぐには頭に浮かんできていなかったのだが、自分のことをバリ島まで追いかけてきて取材しようとしていた記者だったことに、その時になって気づいたのだ。
あの記者が偶然に通りがかったとは思えなかった。
(もしかしたら、あの記者のほうは、本当に私を付けていたのでは・・・。)
「あ、あのう、・・・。血を流して倒れていた男の方はどうなったんでしょうか。」
おそるおそる瞳は切り出してみた。
「ああ、あの記者ね。良かったよね。あの人が偶然に通りかかって。あの人が居なかったら、きっと最後までやられちゃってたね。あ、・・・そのう、まずい状況になってたっていうか。」
刑事は(犯された)という表現を使うのを遠慮したようだった。うっかり(最後までやられちゃって)などという不穏当な言葉を使ってしまったことで、頭を掻いて誤魔化していた。
「命には別状はないって、さっき病院から電話があったので、安心してください。悲鳴を聞いたんで、公衆トイレに駆け込んだら、君とあの男が居たんだって。」
(悲鳴を聞いた?)
あの記者も嘘をついているのだとその時、すぐに察した。おそらく、自分のことをずっと付回していたことには触れないでいるのだろうと瞳も考えた。
「あのトイレで、手錠を掛けられて目隠しをされて、・・・それで襲い掛かられようとしたときに、つい声が出たんじゃないかと・・・。」
曖昧に悲鳴をあげたような、あげていないようなどちらとも取れる言い方をした。が、刑事は当然のことと、頷いて、それ以上疑わなかったようだった。
「大体の様子はわかりました。じゃ、今日は一旦帰って貰って、また明日出頭していただけますか。被害届のこともあるし。今、この婦警さんに送らせますから。君、ミニパトを用意して。」
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