栗原聴取

妄想小説

牝豚狩り



第八章 思いがけぬ手掛かり

  その1



 その月の期限付きサイトには、これまでにはあまり無かったと思われる、狩りの結果の画像が配信されていた。女剣士は捕らえられて、樹の枝から架けられた首輪で逃げられないように吊られていた。両手は縛り上げられ、股間に竹刀を渡されて、それで責め立てられているというものだった。公開ビッドに掲げられた可憐な女剣士の無残な姿だった。この後、どんな陵辱が彼女を襲ったのか、様々に観る者の想像を逞しくさせるような画像だった。その画像がサイト上に載ったのは、たったの一日だったが、掲示板での反響は物凄かった。おそらくそれを見落とした会員は皆無だったのではないかとさえ思われた。
 冴子は、今はパソコン界では完全に主流となっているOS、ウィンドウズの機能であるプリントスクリーン機能を使って、画面のコピーをダウンロードする。掲載サイトにコピーガードが掛かっている場合でもイメージをパソコンに残すことが出来るのだ。ビッドの為に掲載された狩り実施前の画像も証拠写真として保管してある。

 背景の山野の様子は、ほんの一部であり、場所の特定にまでは使えるようなものでは無かったが、冴子や良子が連れてゆかれた林道に雰囲気だけは似ていた。

 狩りの場所の確認と今度の場所の推定に何かヒントにならないかと良子と瞳を一緒に丹沢奥へ連れていってから、二人はすっかり意気投合していた。しかし、それは話題があの時の経験以外の話の時だけで、どちらもあの狩りの話題となると、暗くなってしまうのが常だった。しかし、瞳のPTSDの症状はみるみるうちに快方に向かっていた。

 いたいけな女子高生が非道な男達の歯牙にかかったという話は、しかしながら、二人の犠牲者に犯人に立ち向かう勇気を奮い起こさせていた。もう、これ以上犠牲者を増やしてはならないという思いは三人に共通のものとなっていた。

 栗原が自分の経験をすっかり話すことで、何かの手掛かりを掴めるかもしれないと言い出したのは、栗原本人の申し出によるものだった。三人は再度、静岡山奥の老舗温泉旅館の奥の間に集まっていた。離れになっているので、他の客に聞かれる気遣いは要らなかった。
 栗原はそばで熱心にメモを取りながら聞いている冴子と良子を前にして、バンコクで行われたアジア選手権試合敗退の夜以降のことをぽつりぽつりと詳細に渡って話し始めた。

 「ちょっと待って。それじゃあ、あの男に最初に逢ったのは、到着ロビーの中ということ?」
 メモを取る手を止めて、突然冴子が遮った。大きな声に、話していた瞳のほうがびくんと身体を震わせた。

 「間違い無いわね。再入国審査を受ける前だったのね。」
 「ええ、そうです。だって、再入国審査は名古屋の空港で受けたんですもの。」
 (そうなのだ。それは自分も知っていた話だ。当時の捜査本部は、成田ではなくて、小牧空港での入国管理記録に栗原の名前があったことで、週刊誌に載った写真が撮られた場所を小牧空港の駐車場と特定出来たのだった。)
 「ということは、その男も小牧の税関で再入国審査を受けたということ?」
 「ええ、そうだったと思います。同じ飛行機に乗ったのですから。入国審査を受ける時は別の列に並んだのだったと思いますけど。」
 冴子の頭脳がぐるぐる回転を始めていた。一緒に並んで審査を受けなかったのは、自分の存在に気づかれたくなかったからだろう。栗原瞳は有名人だ。審査官が顔を知っていたとしても不思議ではない。その連れ合いだったと知られては困るのだろう。冴子は犯人の側に立って、心理を確認していく。
 (ならば、当日の成田―小牧便に搭乗記録がある筈だ。待って。もっと大事なこと。そう、男は成田に海外から到着しているのだ。あの日、あの到着ゲートに一緒に居たのならば、空港の玄関口から入ったことは考えられず、何処か海外か、国際空港のある国内の何処かから到着したのでなければならない。)
 すぐさま、冴子は成田の発着管制センタに電話を掛ける。あの事件以降何度も電話で確認をしているので、事情を知っている係官を呼び出すのは訳なかった。
 (迂闊だった。そのことにもっと早く気づいていれば・・・。)
 係官に事情を話し、三ヶ月ほど前の栗原瞳がバンコクから到着した時間帯に、同じゲートに到着した便名すべてと、同じ日に成田から小牧へ向けて飛び立った便名を当たって貰っていた。
 返事の電話は直に冴子の下に掛かってきた。

 成田に到着した便は数多くある。が、成田から小牧へ飛び立ったのは、中華航空の台北行き一便のみだった。この飛行機はマイナーな路線の為に、日本では名古屋の小牧空港をハブ空港にしていたのだ。その為に成田から一旦小牧を経由して台北へ向かうようになっている。
 そしてその搭乗者リストと同じ名前が、その日成田に栗原たちが到着するより前に到着していた便の中に無かったかを照合して、ソウル発大韓航空成田行きの便を割り出したのだった。
 (クロダセイキ 45歳男性。)どちらの便の搭乗者リストにも同じ名前があった。海外渡航をする場合、発券をして貰うのに偽名を使うことも考えられるが、入出国審査の時にパスポートと照合されてしまうので、発覚しやすい。犯人は偽名やパスポート偽造を行って、そちらから発覚する危険を冒すより、本名と本物のパスポートを使うほうを選んだようだった。全く異なる路線の便での搭乗者リストの照合までされるとは考えなかったのだろう。
 事実、当時の捜査本部もそこまでは調べていない。当時は栗原瞳の失踪は、何者かの拉致に寄るものか、栗原本人の意志によるものか意見が分かれており、拉致被害を疑うものは少数派だった。しかも、直後にキスシーンの写真がスクープ雑誌に掲載されたことが、拉致説をはっきり否定させた。セキュリティシステムのしっかりした空港内のしかも入国審査前のロビーという隔絶された場所であることが、拉致の疑いを排除してしまったのだった。
 冴子が幸運にもそのことに思い至れたのは、最初から栗原が拉致される計画にあったに違いないという思いの中で調べていたからだ。警察官の中で冴子だけが事前にあの公開ビッドのサイトを見ていたのだ。犯人も、警察の中に、あの栗原狩りを公募するサイトを観ている者が居るなどとは思わなかった筈だ。
 冴子はすぐさま今度は入出国管理局へ捜査特権を使って照会を掛ける。コンピュータシステムの発達した今日では、入国もしくは出国した日にちと名前さえ判っていれば、あっという間にパスポートの発行を受けた個人の情報を入手することが可能なのだ。

 すぐに冴子は自分のパソコンに秘匿セキュリティの暗号が掛かった個人情報のファイルを転送させる。

黒田

 「黒田清輝。45歳。現住所、東京都世田谷区砧。」
 過去の入出国履歴を調べ、栗原がバンコクから到着した当日、成田とソウルを往復していることを確認した。さらに古い入出国履歴を調べていて、黒田清輝の過去に遡る重要な事項を発見した。黒田が22歳から39歳の間、長期に亘って海外滞在をしている。最初はポーランドに5年間、その後一旦帰国して、イラクに10年滞在している。
 冴子は自分を捕獲した際の手際のいい所作のことを思い出していた。一瞬の隙もなかったのだ。冴子は自分の鳩尾のあたりが熱くなるのを感じる。
 (これは海外で何かの特殊訓練を受けているに違いない・・・。イラクは傭兵の実地経験があるのかもしれない。)
 海外での傭兵は、日本のような兵役制度の無い国ではあまり知られていない。しかし、現実には確実に存在する。日本人の傭兵も皆無ではないのだ。傭兵志願者はヨーロッパで訓練を受けることが多い。それも闇ルートで、政情不安であった東欧などで実施されることが多いとされているが、実態については警視庁の中でも詳細までは掴めていない。
 冴子は只ならぬ相手であることを感じ取っていた。

 早速、冴子はパスポートから割り出した住所の男の所在地を調べに向かっていった。界隈は古くからの閑静な住宅地で、旧家も多い。東京でも高層ビル建築の少ない、平屋の住宅地が特異的に多い地域になっている。
 住所にあった砧のその屋敷は、昭和初期に立てられたのではないかと思わせる由緒ある建物のようであった。しかし、背の高い漆喰塀の中央に設けられた大型の冠木門に取り付けられていた「黒田」という表札は比較的新しいものである。
 ぴったりと閉ざされた冠木門の表玄関戸は、来るものを寄せ付けない排他的な雰囲気に満ちていた。
 相手の警戒を懼れて、冴子は周辺の住人への密かな聞き込みから開始した。冴子が得たのは、ほぼ想像どおりの情報だった。
 元々、黒田の表札が掛かっている屋敷は、明治から続く旧家の屋敷であったが、戦後は没落の一途を辿り、バブル崩壊、そして古くからの家主の他界による相続税対策として競売に付され、それを何処かの振興IT 関連企業の若い実業家が買い落としたらしいというもっぱらの噂であった。その新しい持ち主の黒木も極稀にやってくることはあるものの、滅多に訪れることはなく、通いの管理人が時折訪れては、屋敷の整備にあたっているぐらいだとのことである。
 古くからこの界隈に棲む誰もが、この新しい住人の顔を見たことがないと口を揃えていっているのだった。
 冴子は、黒田はここではない監禁に使っている、何処か山野奥にある別荘のようなところを本拠地にしているのだろうと推理した。幾ら閑静とは言え、都心の一等地に女を監禁すれば、怪しまれずにいるのは難しい筈だからだ。
 黒田がこの屋敷に帰ってくる可能性は無いとはいえない。が、近所の住人の口ぶりからするとそれは一週間先か、一箇月先かわからない。下手をすれば半年後になってもおかしくないのだ。大量の捜査員を張り込ませることの出来る大規模捜査本部ならいざしらず、冴子のような単独調査では、監視しきれない。冴子の必死の調査によって、何とか犯人の特定まで辿り着いたものの物的証拠は何一つ掴めていないのだ。捜査本部を結成することなど、認可されようはずもなかった。折角突き止めた犯人の所在地であったが、まずはこの方面からの捜査は一旦は打ち切らざるを得ない。またしても、手掛かりの糸の先がぷつんと断たれてしまったのだった。

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