栗原聴取

妄想小説

牝豚狩り



第七章 忍び寄る魔の手

  その2



 瞳が解放されたのは、もう夜明け近くだった。ホテルの部屋へ戻ると、すぐに着用させられていたバレーの贋ユニフォームを脱ぎ捨てた。処分してしまいたかったが、考え直して小さく畳み込むとクロゼットの一番奥に仕舞った。
 (自分はもうあの全日本のユニフォームを着ることは出来ないんだろうか・・・。)クロゼットの扉を閉めながら、そう瞳は思い返していた。

 瞳が目を覚ましたのは、もう午前も遅くになってからだった。テレビを付けると丁度ワイドショーの時間帯だったが、大変な騒ぎになっていることに気づいて、思わずテレビの音を大きくしたのだった。
 「それでは、繰り返してお伝えします。失踪騒ぎが報道されていた、元、全日本女子バレーボールの栗原瞳選手が、昨夜未明、何者かの暴漢に襲われたという事件が起きています。悲鳴を聞きつけて助けに向かった青年は、大怪我を負って病院に入院中とのことです。襲われたのは、東京都、・・・・」
 ニュースキャスターは同じ台詞を何度も繰り返し、繰り返し喋っていた。報道番組が同じ情報を何度も繰り返し流すのは、報道材料が少ない時の常套手段だった。あまりまだ情報としては流れていないものの、自分の名前が既に報道されているのには瞳自身も驚いた。
 (どこからか、情報のリークがあったに違いない。)
 警察がそんなに早く、そんな情報をマスコミに流すとは考えられないからだ。その時、脳裏に自分を追いまわしていたあの記者の顔が浮かんだ。
 (そうだ。あの男ならやりかねない。)
 「大怪我を負った」とは報道されていたが、重態や危篤ではなさそうだ。得意げにいずれかの報道関係の人間に喋り捲っている姿が想像されてきた。

 「あ、今、新たな情報が入ってきたようです。・・・・。」
 キャスターが下目遣いに横から渡されたばかりの原稿を早読みしている姿が画面に捉えられている。
 「えー、先ほど、警察署のほうから、犯人の顔写真が公開されました。・・・えー、この写真は悲鳴を聞いて駆けつけた青年が、手に持っていたデジタルカメラで咄嗟に撮ったもののようです。・・・今、写真、出ますか。あ、いま映っている写真。これが先ほど公開されたものです。」
 画面は多少不鮮明だが、表情のはっきり分かる男の顔を映し出していた。顔の部分のみがアップになって映し出されていて、背景はよく分からない。
 「え、被害を受けた男性からの申し出により、早期解決のために、写真が公開された模様です。この顔に見覚えのあるかたは、今テロップで出ています、この局の受け付けか、その下の所轄警察のほうまでご連絡をお願いします。えー、繰り返します。・・・」

 最初、画面の顔はまったく見知らぬものだった。が、どこかで観たことがあるような雰囲気は持っていた。まるでデジャブのような、頭の奥底に記憶のかけらがあるような気がしたのだ。
 少し冷静になって考えていて、瞳は思い当たったのだった。昨夜、ホテルのインターフォンで掛かってきた内線電話。そしてその声の主はこう言っていたのだ。
 「お前のことはよく知っている。失踪したことも、失踪前のことも。」
 あの時、あの現場に居た男に違いないと思った。あの時は目無し帽を被っていて、はっきり顔は見ていない。が、顔の輪郭だけは忘れない。それに時々発した声が、ゆうべのインターホンの電話の声に限りなく似ているような気がしてきたのだった。


 冴子が栗原の事件を知ったのは、同僚で警視庁の刑事をしている仲間からの情報でだった。冴子が以前に、バレーボール選手の栗原瞳の失踪について、あれこれ訊きまわっているのを憶えられていたからだ。その当時はまだ失踪の捜査本部も立てられていたのだが、直に事件性がないという判断があって、捜査は打ち切られたのだった。打ち切られると同時に、それまでの捜査内容のことを事細かに訊いて来たのが、冴子だった。
 警察のほうから、マスコミに情報提供をするという話になって、冴子にも伝えておこうとその同僚も思ったのだった。
 「ということは、テレビに使われている写真は、その松田っていう記者が撮影した写真の一部だという訳なのね。」
 「ああ、そういうことだ。だって、全体を映しちゃったら、いまにも犯されそうになっているバレー選手の恥かしい格好も出ちゃうからね。それは幾らなんでも被害者の栗原がOKを出さないだろう。」
 「まあ、そうね。それで、その写真は、犯されそうになっているのは、栗原だって判るの。」
 「えっ、何言ってんの。そりゃ目の部分はアイマスクで隠されてるけど、本人が言ってるんだし。それにあのバレーのユニフォームはどうみたって、栗原だよ。」
 「何ですって。その写真の被害者。バレーのユニフォームを着ているの。」
 冴子は思わず大声を上げてしまった。
 「すぐに私のアドレスに画像のコピーを送って。それから、今、栗原は何処かしら。え、赤坂署。聴取中?すぐに所轄に連絡をとって。絶対、栗原を外に出しちゃ駄目よ。引き止めて。急いで。私もすぐに赤坂署へ向かうから。」

 嫌な予感がこみ上げてくるのを必死で払いながら、冴子は自分の車を赤坂署へ向けて駆り立てていた。
 (あの男が関与しているとしたら、今にも手を打ってくるだろう。それより先回りしなくては。)
 冴子は自分の事件の時に、仲間の応援を呼ぶのに電話をしている間に、すべての証言者たちを殺害されてしまったことを思い出していた。
 あの狩りの関係者の情報が流れる危険があると判断したら、即座にそれを止める行動に出るだろうことは容易に想像できた。
 運転をしながらも、冴子の頭の中はクルクルと回転していた。
 (栗原が襲われ、しかもバレー選手のユニフォームをその時着ていたのだとすると、あの狩りの関係者である可能性はとても高い。というよりほぼ間違いないだろう。都心の街中でそんなことをするとはあの周到な男には考えられないから、やるとしたら客のひとり。おそらくは、狩りに失敗してお預けを食わされた男の一人に違いない。あの首謀者には内緒でこっそり、栗原を襲うことを考えたに違いない。そんな情報が洩れそうな危険な行為をあの男が許しておく筈がない。)
 テレビに報道されてしまった写真の男を救うのは、ほぼ無理だろうと諦めていた。助けようにも居場所も名前もまったくわからないのだ。どうあがいてもあの首謀者より先回りすることは不可能だ。(それなら、せめて栗原瞳だけでも救わなければ・・・。)そう機敏に判断したのだった。

 ホテルを出るのに、栗原は大変な目に遭っていた。マスコミの報道陣がホテルの玄関に詰め掛けていたのだ。その中を警護の警官たちに守られながらやっとのことでパトカーへ乗ったのだった。報道陣は、事情聴取の為に瞳が向かった赤坂署までパトカーを追ってずっと付いてきて、赤坂署の前に陣取っていた。

 被害届は額に傷を負った記者のほうから出されており、傷害罪として告訴する予定であることを教えられた。瞳のほうにも被害届を出すつもりがあるかを訊かれた。しかし、その言いっぷりには、これ以上騒ぎを起こしたくないでしょうという憐れみと、殴られた男のほうから訴えが出ているので、もう十分というような響きが感じられた。確かに、瞳のほうは、強姦罪だが、未遂であり、男のほうは紛れもない既遂の傷害事件である。
 瞳も被害届を出さないで済むのなら、そうしたかった。男のほうの傷害事件さえなければ、これ以上調べて貰いたくない思いもあった。が、さすがにそうは言い出す訳にはいかない。
 瞳が自分のほうは、被害届けを出さないと告げると、そうですかと警察側もあっさり引き下がり、事情聴取も、男が証言したらしいことの裏付けを取るだけになった。
 瞳が一番注意を払ったのは、公園のトイレへ連れ込まれた経緯と、悲鳴をあげたかどうかであった。瞳は男に命令されてそれに従ったのだ。公表されたくないことがあって、弱みがあったので、従わざるを得なくて自分のほうから、トイレへ向かったのだなどとは口が裂けてもいえない。
 殴られ傷を負わされたあの記者が、自分がトイレに忍び込むところを見ていなければいいがと思いながら、瞳は、「あの時は気が動転していて、よく憶えていないのだが、声を立てたかもしれないと思う。」と再度曖昧に申し立てておいた。警察のほうもそれ以上は追及はしてこなかった。

 事情聴取が終わり、最後に瞳が立ち上がろうとした時に、証言を聞いていた刑事がふと洩らした。
 「あの写真は、警察のほうで押収していますから、外に出ることはありません。報道の捜査協力に使ったのも容疑者の部分だけですから。」
 刑事は何気なく言ったつもりだったのだろうが、その言葉は瞳の心臓をどきりとさせた。
 (やはり、あの写真は一部で、自分も写っていたのだ・・・。)
 しかし、瞳には刑事に、自分はどう写っていたのか問い質す勇気はなかった。警察はあの写真を封印してしまうように言っている。あの時のことは、もう闇の中に葬ってしまわなければならないのだと、瞳は自分にも言い聞かせていた。

 警察側のほうは、傷害罪で訴えると言っている殴られた青年の事件だけに注目をし始めていたが、マスコミ世間が注目しているのは、その傷害事件ではなく、アイドル的存在だった女子バレー選手のほうであった。殴られた男の病院のほうへも報道陣が出ているが、栗原瞳が居るという赤坂署に詰め掛けた報道陣の多さの比ではなかった。

 冴子は、栗原瞳が出てくるのを今か今かと待ち構える報道陣の横をすり抜けて、地下の職員専用駐車場のほうへ、自分の車を滑り込ませた。栗原が被害を受けた現場の写真は冴子の車据え付けのパソコンのほうへ転送され、既に見ていた。写真が世間に公開されるのは何としても阻止しなければならないと思っていた。それは栗原瞳が辱められたのが世間に晒されるのを防ぐというのとは意味が違っていた。
 あの男には見せてはならないのだった。世間に、あの暴行事件の裏に何かがあることを示唆してしまうものが世間に知れ、何かに気づく人間がいるかもしれないとあの男に思わせてしまってはならないのだ。それは栗原の命の危険を意味した。

 冴子が地下駐車場から一階へ駆け上がった時に、まさに婦警と警官たちとで防御しながら、栗原を報道陣から守りながら護送の車へ案内をしようとしているところだった。報道陣のあまりの多さに一旦戻った瞳たちだったが、ガードする警察官を多数用意して、再度報道陣の間を突破しょうと試みようとしていた、その時だったのだ。

 「待って。止まって。外に出ちゃ駄目。」冴子は、特殊捜査官の身分を示す身分証をかざしながら、叫んだ。
 「特殊任務があります。この人の身柄を確保します。」
 そう言って、栗原瞳の腕を強引に掴むと、報道陣から見えない奥へと引っ張っていった。
 「後は私のほうで処理します。マスコミには、時間稼ぎをして、もう暫く調べがあると言っておいてください。」
 冴子は敬礼して挨拶すると、そのまま栗原瞳を地下の駐車場へと引っ張っていった。

 冴子の小型スポーツクーペの助手席に座らせられた瞳は、何がどうしたのか判らずただ呆然としていた。が、冴子の横顔に、一見冷たそうな表情とは裏腹に、何か安心して頼れそうな雰囲気だけは感じ取っていた。

 冴子は車を猛然とスタートさせてからすぐ、瞳のほうは見ないようにして一言放った。
 「あの記者の写真、悪いけど見させて貰いました。あのユニフォーム、貴方のものではないわね。」
 瞳の顔に動揺が走るのを、冴子はバックミラー越しに確認していた。そしてそれからは無言のまま、車を静岡のほうへ向けて走らせていった。

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