260バレー選手

妄想小説

牝豚狩り



第六章 栗原瞳の悲劇

  その9



 同じ頃、冴子とは別に、失踪した栗原瞳の消息を辿っている一人の男が居た。写真週刊誌「ザ・スキャンダル」の記者、松田俊郎だった。松田はスポーツ選手のスキャンダルネタを専門に書いているライターのひとりだった。それで、匿名で寄せられた栗原瞳のキスシーンの写真が彼の手に渡ったのだ。これまで数多く手がけてきた女性選手の恋愛沙汰の素っ破抜き記事のどれよりも栗原瞳の記事は反響が大きかった。しかし、それは松田の取材によるものでも、彼独特の文章力によるものでもなかった。空港からの突然の失踪と、女子バレー日本代表で、アイドル的存在という栗原瞳自身の人気とキスシーンの盗撮という衝撃の大きさによるものだ。

松田

 松田自身の取材でないだけに、その続編は書きようがなかった。とにかく材料がないのだ。女子バレー関連も取材はしたことがある。が、栗原瞳に限っては、色恋沙汰は縁が遠く、練習一筋の彼女にはこれまで火も煙も立たなかった。だから書けるのは憶測記事だけで、それに読者が付いてくるのは一回がせいぜいだった。
 それなので、遅ればせながら、栗原関連の取材を始めたのだった。記者仲間からの情報で、一旦は作られた栗原失踪事件捜査本部が解散になったことを聞いていた。それで、本部が作られた成田署へ向かったのだが、けんもほろろに追い払われたのだった。それは、失踪直後、スクープした写真記事の情報入手元について、警察へ捜査協力するのを拒んだことのしっぺ返しであった。松田のほうも、相手の判らない投稿写真だとは言えなかったのだ。
 しかし、松田は成田署へ赴いてみて、これまでの経験から来る直観で、警察は栗原瞳について事件性がないことの確証を掴んでいるように感じたのだ。

 (栗原瞳はちゃんと生きて何処かに居る。となると、恋愛逃避行の可能性も高い。)
 松田はそう確信すると、栗原の郷里の親元を訪ねることにしたのだ。

 「ですから、私は瞳ちゃんのことを思って、彼女の身の潔白を晴らす為の記事を書きたいんです。そして早く女子バレー界に復帰してもらって、元気な姿をファンの前に出させてあげたいんです。」
 電話口の向こうの母親に向かって、松田は切々と説得の言葉を吐いた。しかしそれは真っ赤な嘘で、彼自身がスキャンダルを撒き散らした張本人であることは伏せていた。
 「彼女の身になって、彼女の側に立って記事を書きたいんです。あんなに練習に真面目に取り組んでいる瞳ちゃんが、恋愛逃避行なんてする訳は絶対ないんですから。・・・え、そうですか。それは助かります。是非、・・・あ、はい。今、メモを取ります。はい、どうぞ、・・・。えっ、バリ?あのインドネシアのですか・・・。はい、・・・はい。」

 松田が実母から突き止めた栗原瞳の潜伏先はインドネシアのバリ島にあるさるホテルだった。栗原は親元だけには居場所を報せていたのだった。しばらく精神療養してくるという風に南国から送られた絵葉書に詳しい事情は何も書かないで、元気でいるとだけ伝えてきていた。絵葉書はホテルに備え付けのもので、ホテル名と住所が書かれている。松田は母親の口からそのホテルを聞き出したのだった。

 小さな雑誌社でそうそう海外取材の許可はおりない。が、栗原の記事のおかげで、その回の発行部数はこれまでの記録を塗り替えていた。それだけ栗原関連の記事への期待も大きかったのだ。すぐさま松田はバリへ飛ぶことになった。

バリ

 バリ島の数あるリゾートホテルの中でも、奥まった処にあるヌサ・ドゥア地区の高級リゾートホテル、プトゥリ・バリホテルのコテージで、栗原瞳は時間を持て余していた。来た当初は、観るもの、触れるものが皆物珍しい南国のものばかりで、一時はそれまでのことを忘れさせてくれた。が、海外リゾート地での一人旅は、さすがに時間を持て余してくる。普段、毎日の練習と筋肉トレーニングに明け暮れていた日々しか過ごした経験がないので、何もしないでいられる時間の使い方を瞳は知らなかった。誰も居ないコテージにじっとして独りでぽつんとしていると、すぐにあの忌まわしい思い出が蘇ってきてしまうのだった。夢でもうなされて、何度も男達に追いかけられているところで大声を上げそうになって、はっとして起きるのもしばしばだった。手足を縛られて、男達に身体をまさぐられる夢を見ることも多かった。そんな時、ふと目覚めると、下半身が妙に疼き、下着に手を当てると潤って汚してしまっているのに気づき、情けない思いをするのだった。あの事件以来、追いかけられる恐怖心とは別のものが、身体の中に芽生えてきているのを、瞳は薄々感じ取っていた。縄をみると妙に身体が興奮してくるのだ。身体の中心になにか熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなくなる。そんな時は、決まって下着を汚してしまっている。
 (おかしくなってしまった・・・。)
 瞳が自分が自分でなくなってしまったような不安にも駆られていた。

 気分転換にホテルの外へも出掛けてみたが、瞳のような妙齢の女性がひとりで歩いていると、ナンパしてくる男が多くて閉口した。それで自然とホテルから出ないようになった。ホテル内ならば海岸もプライベートビーチで男たちが言い寄ってくることは殆ど無い。とはいっても、男同士の日本人客がいると、近づいてくる者も居る。だから、プールで泳ぐ時以外は、コテージからも出ないようになっていった。
 瞳は、こちらのホテルに来てから自分用に新しい水着を買った。日本を旅立つ時は逃げるように出てきたので、勿論水着はおろか何も持ってきていない。肌を晒すのは嫌だったが、ひとりでじっと鬱々とばかりもしていられない。何もしないでいるとスポーツ選手の瞳には身体がなまってきて何かしないではいられない。リゾート地で独りで出来るスポーツと言えば泳ぐことぐらいだった。ビーチで手にいれられる水着は大胆なビキニばかりだった。普段から使い慣れている競泳用のスイミングウェアなど手に入れられる筈もなかった。瞳はなるべく控え目なものと思って、真っ白なビキニを買い求めた。が、普段から鍛えて締まった身体は、ホテル内でも一際目立ってしまうのだった。

 ホテル内の大きなプールを連続して10往復ほど泳いだところで、瞳はプールサイドのデッキチェアにあがった。ボーイにトロピカルカクテルを持ってきてくれるように頼む。パラソルの下に入るが、太陽の光が眩しく、やはりホテルに来てから買った細めのサングラスを掛けた。このホテルは欧米人が殆どで、日本人が少ないのが、瞳には鬱陶しくなくて良かった。

 プルメリアの樹の枝の向こうに、青い海に白い波頭が立つのを何となくぼんやりと見ていた瞳の背後にひたひたと足音が近づいてくるのが聞こえた。
 (あら、もうカクテルを持ってきてくれたのかしら。)
 そう思って、サングラスの目を上げようとした時だった。
 「栗原・・・、瞳さん、ですよね。」
 男は、似合わないアロハシャツを着て、これも場違いなストローハットを被ったヤサ男だった。男にじろっと身体を見られたような気がして、瞳はホテルのバスタオルを肩からかける。それでもデッキチェアの上に伸ばした長い素脚は晒したままだ。

 「私は、こういうものです。」
 男は胸のポケットから名刺を一枚取り出して瞳に手渡す。フリーライター、松田俊郎とだけあった。
 「取材・・・?」
 途端に瞳の顔が曇った。夢の中から突然現実の世界に引き戻されたような気分だった。
 「失礼します。」
 瞳は毅然とした面持ちで、男のほうに視線を向けることなく、立ち上がった。そして、ロビーの向こう側にある自分のコテージに向けて、すたすたと歩きだした。
 「栗原さん・・・。」
 男は話を切り出す隙も与えられずに、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。


  次へ   先頭へ




ページのトップへ戻る