260バレー選手

妄想小説

牝豚狩り



第六章 栗原瞳の悲劇

  その2



 瞳がピストルの音を聞いたのは、コの字になった二階のとある教室にある教壇の下に身を隠した時だった。走ってきた為の息切れというより、恐怖からの震えで荒い呼吸になっていた。必死で息を殺そうとつとめるが、身体の震えはなかなか止まらなかった。
 直に廊下を踏み鳴らす荒々しい音が遠くから聞こえてきた。三方に分かれて、廊下を走っている男達の足音が、深閑とした古びれた廃墟に木霊していた。

 瞳が身を縮めて隠れている教室のすぐ外の廊下を男が荒々しげに走ってきて、そのまま走り去るのを聞いた時は、心臓が止まりそうな思いがした。しかし、男はざっと教室内を観ただけで、また走り去ってしまった。
 どの位時間が経過したか、判らなかったが、まだ最初のピストルの合図から10分も経っていないのは確かだった。このままじっとしていて、最後まで逃げおおせるとは瞳も思っていなかった。
 (男たちは、ざっと校舎全体を検分してから、見つからないと判れば、教室ひとつひとつをくまなく調べはじめるだろう。山の中の小さな学校だから、そう教室の数も多い訳ではない。いずれこの教室にもやってくるだろう。そうしたら、こんな教壇の隅に隠れていたって、簡単に見つけ出されてしまう。)
 そう考えて、瞳は身を移すことを考えた。が、何処へ行けば安全か、皆目見当もつかない。

廃校3

 瞳は耳を澄ます。遠くで物音や足音はしているが、今はこの棟には居そうもなかった。音を立てないようにしゃがみながら廊下へ滑り出て、そっと廊下の窓から顔半分だけ出して、向かいの校舎を盗みみる。1階と2階にそれぞれ男が廊下と教室の間を行ったりきたりしているのが見えた。もう一人は姿が見えなかった。瞳が考えた通り、男たちは教室をひとつずつ虱潰しに調べているようだった。その時、瞳の居る棟の廊下の突き当たりにある階段を荒々しく上ってくる足音がし始めたのが聞こえた。咄嗟に瞳は廊下を反対側へ走り始めていた。下へ降りる階段に繋がる角を曲がるのが、かろうじて男が廊下へ走り出るのより早かったようだった。瞳は音を立てないように細心の注意を払いながらも、すばやく階段を駆け下りていた。コの字型の校舎の隣には古い校舎に不釣合いなほど立派で新しそうな体育館が建っているのが見えた。体育館へは渡り廊下が繋がっている。瞳は振り返って、校舎の廊下に男が居ないのを見計らって、渡り廊下を体育館へ向かって走り抜けた。
 入り口は大きな観音開きのガラス扉で、幸い鍵は掛かっていなかった。肩で押し開けるようにして身を中へ滑り込ませる。入ったところは小さなホールのようになっていて、事務所だったらしき小部屋へ繋がる扉と、二階へ上がるらしい階段、真正面には体育館内部へ通じる窓のない観音開きの大きな扉がある。瞳はまず、その大扉を同じように肩で押し開けて、体育館ホールの中へ入ってみた。
 (どこか、隠れる場所を探さねば・・・。)
 真正面に、左右に緞帳の下がった演台がある。その両脇には運道具置き場らしい部屋への鉄の扉、更にその脇にトイレへの入り口が見えた。入ってきた扉のほうの壁を振り返って見上げると、二階になった場所に応援席らしきスペースが広がっている。さっきあった階段を昇っていける場所なのだろう。応援席は体育館ホールの両サイドにも細い通路のようになって繋がっていた。
 (何処か身を隠せる場所・・・。)
 瞳は暫く思案していた。普通の場所ではどのみち時間の問題で見つかってしまう。瞳は中学生時代に演劇部に居たときのことを思い出していた。
 (講堂の演台には照明係が入る小部屋が付いていたわ。そこならすぐにはそんな場所があるのを思いつかないかもしれない。でも、どうやって入るんだったっけ・・・。)
 瞳は舞台になっている一段高い演台のほうへ近づいていった。舞台の左右の端の上方を見上げると、照明を当てるらしき小窓のようなものが緞帳の陰に見えた。
 (やはり、あるのだ。でもどうやってあそこへ辿り着くのだろう。)
 瞳は照明部屋らしき場所の真下にある運道具置き場の重い鉄の扉を後ろ手で掴んで開いて運道具置き場の中へ入る。ぷうんと黴臭いにおいの庫内には、古びたマットや跳び箱などが乱雑に置かれていた。そしてその部屋の一番奥の隅に手摺のような梯子があるのが見えた。
 瞳は後ろ手に縛られて自由が利かず、手摺の梯子を上るのはかなり難しいように思えたが、そんなことを言っておれる状況ではなかった。最初の段はかなり高い場所にあって、背中の手は何とか届くが脚は届かない。梯子に脚が掛けられなければ、縛られたままでは昇ることが出来ない。それで埃の溜まった古い跳び箱を脚で押して、梯子段のしたへ運んだ。跳び箱の上に跨ることでなんとか最初の手摺に脚が届いた。上のほうの手摺を背中の手に掴み、下のほうの手摺に足を掛けて、背面のまま、梯子をなんとか捩じ昇った。すぐに頭が天井に届いた。四角い穴に蓋がしてあるが、下から押し上げることで、上に蓋が開いた。四角い穴を抜けると、そこは衣装道具などをしまう小部屋になっていて、そこから更に上へ手摺の梯子が続いている。そこを昇ると照明係りの部屋になっている筈だった。
 瞳は衣装具室の入り口の四角い蓋をきっちり閉め、上に後ろ手で衣装などをしまうらしい重たいトランクのような箱を載せて簡単に開かないようにする。
 それから再度背面に梯子の手摺を掴んで、照明係用小部屋へ捩じ昇った。照明係用小部屋は明かり取りの窓はなく薄暗い。窓として開いているのは、舞台を見下ろす小窓だけだ。下を見下ろすと、半分緞帳で隠れた向こう側に舞台の床と体育館の床の端だけが覗いてみえた。
 (ここでどれだけ時間が稼げるだろうか。)
 彼らは、所詮いつかは体育館へもやってくる筈だ。隠れる場所と言えば、運道具置き場はすぐに思いつくだろう。そして、部屋の隅に跳び箱が寄せられていて、そこに梯子階段があるのを見れば、容易に思いつくだろう。
 彼らがそこまで追ってきたら、最早袋の鼠で、瞳には逃げる場所がない。
 (もっと違う逃げやすい場所のほうが良かっただろうか。)
 しかし、照明用の小窓から下を見下ろしてみても、他にもっとましな隠れ場所は見つけることが出来なかった。
 その時、体育館への入り口の扉の向こう側で物音がした。探しても見つからない教室校舎のほうに見切りをつけて、体育館のほうへやってきたようだった。
 扉の外の階段を駆け上がって二階の応援席のほうへ向かったようだった。その時、もう一人の男もやってきた。こちらは真直ぐに体育館内部へ入ってきた。すぐに運道具置き場に目をつけたようだった。そのすぐ背後にもう一人もやってきていた。最初の男は、瞳が隠れているのと反対側の倉庫へ向かった。それを見て、もう一人は、瞳の居る側へやってきてしまう。
 瞳がじっと身を潜めている小部屋の下のほうで、乱暴に物をひっくり返している音が聞こえてきていた。
 (最早時間の問題だわ。)
 瞳は観念し掛けた。が、諦めて捕まってしまえば、その後には非道な陵辱が待っているだけだ。(諦めてはならない・・・。)
 どこかに逃げ場はないかと瞳は照明用の小窓から舞台の下を覗き込む。その時、舞台の丁度反対側の同じ照明用小部屋の窓に最初の男の顔があった。
 「居たぞ。」
 反射的に男は叫んでいた。下に居た男はまだ照明小部屋には気づいていないようだった。反対側の照明小部屋から瞳の姿を認めた男は、一目散に梯子を駆け下り、こちらへ向かっていた。二階応援席を探していた男も、その気配に気がついて、こちらへ向かい始めた。三人の男が一斉に自分のほうを追い出したのを瞳は小部屋の窓から認めていた。男たちが我先にと争いながら梯子を昇ろうとしている物音が足元でしだした。
 最初に昇ったらしい男がもう衣装具室まで上がっているのがわかった。
 (万事窮すか・・・)そう思ったが、瞳は最後の賭けに出た。照明用の小窓から身を乗り出したのだ。両手首を背中で縛られたままなので自由が効かない。が、運動神経だけは優れている。見えない背中で緞帳の端を手首にしっかり捉えると、小窓の枠を脚で蹴って、舞台のほうへ滑り出た。手首だけでは体重を支えきれないので、股で緞帳を挟み込むように掴んだ。瞳は舞台の袖で背中に緞帳を手足で掴んで宙吊り状態になった。その時、最初の男が照明小部屋に飛び込んで来た。小窓の外に居た瞳のほうへ手の伸ばしかけたのと、緞帳が瞳の体重を支えきれずにつり具が端から外れだしたのがほぼ同時だった。切れていくつり具に従って、瞳の身体は舞台めがけて落ちていった。

 どーんと大きな音を立てて、瞳の身体が舞台の上に転がった。が、つり具が徐々に外れていったのと、回転レシーブなどで鍛えた身のこなしでうまく転がったのとで、瞳は膝をすりむいた程度で済んだ。肩に大きな衝撃を受けたが、立ち上がれないほどではなかった。見上げると、照明用小窓から手を伸ばしている男の姿が見えた。最早緞帳が取れてしまったので、そこから瞳を追って下りてくることは出来ない。男たちは一斉に今度は梯子のほうを降り始めた。瞳も大慌てで演壇を飛び降りると、体育館出口めがけて走り出した。


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