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アカシア夫人



 第一部 不自由な暮らし



 第七章

 (あったわ。これだわ。)
 もうずっと開けてもみなかった昔の文箱から貴子が探していた住所録が出てきた。会社に入社した頃に作られたものだ。その後、住所変更がある度に、手書きで修正して書き足してある。結婚前のものだから、もう随分住所が違ってしまっているが、付き合いの多かった人の物は大体が手書きで直してある。その名前のリストの中に、貴子が探していた名前もちゃんと入っていた。ただ、その住所は最新のものではないように思えた。喪中葉書を出した際にも住所はほぼ同じだが、番地が違っていたような気がする。
 (確か、住居表示変更があって変わったとか言ってたような・・・。)
 しかし、それもさすがに随分前のことになり、記憶は定かではない。
 (昔の住所でも届くかもしれない。それで駄目だったら諦めよう。)
 そう思い返しながら手紙などの束を繰っていた貴子は一枚の写真が出てきて、目が釘付けになった。会社に入社してすぐの頃の夏、休みの日に誘われて、会社の仲間たちと川釣りに出掛けた時のものだ。仲間の誰だったかがカメラを持参してきていて、スナップをあれこれ撮っては後で焼き増して送ってくれたものの一枚に違いなかった。そこに優しそうな昔の面影のその人と、そのすぐ後ろに寄り添うようにして嬉しそうに笑っている自分の姿があった。貴子は胸がじいんと熱くなるのを感じていた。
 貴子は今度こそ、捨てられないように何処かへ仕舞っておかねばと思うのだった。

 和樹はとっても嫉妬深い性格であるのを、貴子は結婚してから知った。そんなこともあってか、貴子の結婚前の写真アルバムなども実家に置かせて、自宅に置くことを許さなかった。実家が元々広か
 ったせいもあって、貴子も実家に置いてくることを何とも思わなかった。何せ、自宅そのものが実家の敷地内にあったのだから。
 しかし、両方の親が相次いで亡くなり、古い屋敷は建て直すのも勿体ないと解体処分されることになった。その作業は夫が業者と相談して執り行い、世間知らずの貴子の出る幕はなかった。すべてが終ってしまった後、貴子は自分の過去の持ち物だった筈のものは殆ど処分されて捨てられてしまっていたことを知らされたのだった。気づいてみれば、貴子の手許に奇跡的に残っていたのは、一つの文箱だけだったのだ。
 (そうだ。この写真もスキャナで撮っておこう。)
 貴子は、転居通知の葉書を作る際に、和樹に教えて貰ったスキャナの使い方を憶えていた。転居通知は新しく我が家となった山小屋風の山荘をバックに、和樹と並んで撮った写真をスキャナを使ってパソコンに取り込み、それを使って編集して作ったものだ。
 機械音痴な貴子一人では到底出来なかったものだが、会社でパソコンなどを使いこなしている和樹に色々教えて貰って、なんとか完成させたのだ。写真を拡大、縮小する技も、それらの画像をプリンタを使って印刷することも教えて貰ったのだった。

madam

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