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アカシア夫人



 第一部 不自由な暮らし



 第十一章

 (しまった。やっぱりないわ。)
 貴子は洗面台の上部にある作り付けの化粧キャビネットを再度確かめてから、脚立を降りた。生理用品はいつも手の届きにくいキャビネットの上部の奥にしまっていた。子供は二人とも男の子だったので、ずっと生理用品の置き場には気をつけてきた。すぐには目に付かないところに置くようにしていたのだ。蓼科に越してきて、夫と二人だけの生活になってからは、そんな気遣いは不要なのかもしれなかった。それでも長年、夫にも目に付かないように気をつけてきたこともあって、夫にも自分が使っている生理用品の置き場所なども知られたくなかった。
 置き場所だけではなく、生理が来ていることも気づかれないようにしてきたつもりだ。トイレでさえ、一階と二階とで普段使うほうを分けている。最初の家の時も、山荘を設計する時も、お互いゆっくり出来るように、男性小用付きの大きめの個室と、やや小さめだが、化粧用鏡を大きく取った化粧台付きの個室とを別々に作ってあった。夫のトイレには掃除の為に自分が入ることがあっても、夫が自分のほうのトイレに入ることはまずない。
 若い頃は夜の営みを迫られて、生理を理由に拒むことはあったが、今ではその営み自体が滅多にない。
 先週、夫の運転で茅野の街の唯一の大型スーパーに買出しに出た時に、もしかしてと気づいたのはレジを通して荷物を車に積み込んだ後だった。生理用品だけ買いにもう一度店内に入るのは躊躇われたし、自分だけ買いに戻れば何を買っていたのか間違いなく夫は訊ねる筈だと思った。夫に聞かれて困ることではないかもしれないが、出来れば知られずに済ませたかった。それでまだ大丈夫の筈と思い込んだのだった。

 貴子は自分が車の運転が出来ないことをつくづく悔やんだ。そんな山奥に引っ込んだら普段の生活でもきっと困ることがあると反論してみて、絶対大丈夫と夫に強硬に言われて自分の意見を引っ込めてしまったことも悔やまれた。
 生活用品は何だって、注文すれば配達してくれる三河屋が居るし、週末の買出しには自分が車で連れていくのだから大丈夫だというのが夫の言い分だった。確かに殆どのケースがそれで済んだ。
 しかし、それが仕事とは言え、三河屋に生理用品まで配達して貰うのは気が引けた。それを使うのは自分しか居ないのだし、それを箱に詰める際に想像されるのも嫌だった。だからストックは切らさないように気をつけなければとは思っていたのだ。
 そもそも蓼科に越してきて、ストックを切らしたのは初めての経験だった。こんなに困ったことになるとは思ってもみなかったのだ。

 夫が帰ってくるまでまだ二日ある筈だった。それまでナプキン無しで凌ぐのは、どう考えても無理がある。貴子一人では茅野の町まで行けない。バスを使うにしても一日往きと帰り一便ずつしかないのだ。タクシーも数が少ないので、この別荘地までは来たがらない。
 (あの店まで歩いてゆくしかないか。)
 貴子がそう考えたのは、別荘開拓地の入口付近に一軒だけある、雑貨店だ。薬屋も兼ねていて、小さなドラッグストアみたいな店だと越して来て直ぐの頃思ったことがある。問題はそこまでの距離で、山小屋喫茶カウベルまでの倍ぐらいの距離があった。でも行くしかないと貴子は思った。

 汚してしまったショーツを洗面器に浸け込んでバスルームの隅において、バスタブの蓋で覆って隠しておく。それからティッシュを何枚も折り畳んで重ねて新しいショーツの内側に挟み込む。自分が女学生だった頃は、生理用のビニル製のおしめカバーのようなものがあった。が、生理用品が発達した現在ではそんなものを使う人は居ないし、貴子も持っていなかった。

madam

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