アカシア夫人
第二部 和樹の嫉妬と貴子の迷い
第二十六章
「それじゃ、貴方。いってらっしゃいませ。」
また三日間の東京勤務に出掛けてゆく夫を見送った貴子は、何故かほっとしたような安堵の溜息を吐いていた。
不貞を疑われて、縛られて尻を鞭打たれるという折檻まで受け、更には二度と不貞を働かない誓いとして、股間の恥毛を全て剃り落されるという辱めを受けたのは四日前のことだった。その後の三日間は、夫は一切その事に触れなかった。貴子のほうでも、まるで何も無かったかのように振舞っていた。もしかすると、あれは夢の中でのことで現実ではなかったのではないかと、貴子は何度も思った。その度にこっそり一人になってスカートを捲り上げショーツをおろしてみて、そこにあるべきものが剃り落されて無くなっているのを、紛れも無い事実として確認せざるを得なかったのだった。そうなってしまったのは、自分に非があったのだということは貴子は認めざるを得ないと思っていた。だからこそ、剃り上げると和樹が言い出した時には、最後には受け入れると宣誓したのだった。現実に夫との間で、股間の毛を剃り上げられたということを話題に出来ないことも窮屈なことであったし、かと言ってそのことを自分のほうでも話題にはしたくないのだった。そういう気拙い状況から早く脱却したかったという気持ちがあったので、夫が久々に出勤の為に出掛けていくという事実が貴子に安堵の気持ちを起こさせたのかもしれなかった。
そうは言っても、夫が自分の不貞を封じ込める為に、股間のモノを剃り上げたという事実は貴子には受け入れがたいことだった。しかし、それは逃れられない事実だった。そのせいで、いつもの日用品の配達の三河屋の青年でさえ、普通の精神状態では応対出来ないのではという気さえしていたのだ。
夫が出掛けてしまった後、短いスカートの上から股間を抑えてみて、剃られてしまった無毛の股間をどうすることも出来ないことをもどかしく感じている貴子なのだった。
夫が仕事で出掛けていってしまい、独り残されて所在無さを感じずには居られない中で貴子は夢のことを思い返していた。目を瞑ると、夢の最後の一瞬が思い起こされてくる。あの、夢が醒める一瞬前にどうしても戻りたくて居られないのだった。
気づいた時には一枚の写真を手にしていた。実家から持ち出していたたった一つの文箱の中から出てきた貴子が入社当時の一枚の写真だった。その写真を手にすると、自分の書斎へ向かう。自分のパソコンを開いて、スキャナに接続する。そして写真を読み込み窓に挟んで蓋をしてからスキャナソフトを起動させる。以前にも撮り込んであるデータだったが、今回はもう少し解像度を上げておく。これも夫に習ったやり方だ。そうしておいて出来上がった画像データを画像編集ソフトの中で立ち上げる。写真の中の特定の人物部分をマウスを動かして指定し、トリミングを掛ける。その上で、今度はスキャナの印刷機能を起動させる。インクジェット機能が軽い音を立てて一枚のスーパーファイン紙を吐き出してくる。それにはさきほどトリミングして選択した男の顔が等身大で印刷されていた。
貴子は寝室の壁に掛けてあった山の写真の額を取り外すと、再び書斎に戻ってきて、山の写真を裏返し、代わりに今印刷したばかりの男の顔の画像を額に入れる。それを持って再び寝室に戻り、壁に掛けるのだった。
額の写真の男は、優しい眼差しで貴子に微笑みかけているようだった。
(ああ、私を見て。私を縛って・・・。)
貴子は、額の中の写真に向かって心の中で声を掛ける。そして両手を後ろに廻して交差させる。そのままの格好で、写真をみつめながらゆっくりベッドに仰向けに倒れこむ。
貴子は目を瞑って、少し膝をあげる。自分の姿を想像してみる。ミニスカートが擦りあがって、下着が覗き始めている筈だ。脚をぴったり閉じているが裾から純白の下着が逆三角形に覗き出しているだろう。目の前の写真の眼差しがその部分を注視している筈だ。貴子は堪らず、背中の手を交差させたまま尻の間に伸ばし、指先で会陰をまさぐる。既にその部分はしっとり湿っているのがわかる。貴子はさらに上半身を後ろに仰け反らせるようにして、会陰からその先の恥丘の膨らみをまさぐってゆく。
(ああ・・・、し、してっ。)
貴子は男が自分の太腿に手を掛けて開こうとしているのを想像する。そしてその力に身を任せるようにして脚を少しずつ開いてゆく。
遂に貴子は堪らなくなって、尻のほうからショーツを膝の上までずりさげ、両手を前に廻して股間に充てる。つるっとした無毛の恥丘から濡れそぼった肉襞が剥き出してしまっている。それを優しく両側から挟みこむ。
その一瞬だった。ガサっという物音が近くで聞こえた気がした。貴子は身動きをしないで耳を澄ます。しかし、もう何も聞こえてこない。
急いでショーツを引き上げスカートの裾を引き降ろしてから、起き上がって窓際に近寄る。一瞬だけ男の影が階下の庭先に見えたような気がしたが、すぐに死角に入ってしまったようで、見えなくなった。
身繕いを確認しなおして、貴子は階下へ降りてみる。意を決して玄関から外に出てみる。しかし、誰も居なさそうだった。さっきちらっと見えたような気がした男の影を思い返してみる。バードウォッチャーと自称する男の背中だったような気もするが、自信はなかった。
(まさか、覗かれて居た筈はないわよね。)
そう思おうとする貴子だったが、そんな気がしたのは初めてではない気もしているのだった。
「あれ、こんな写真、どっから出てきたんだ。」
和樹が取り上げた一枚の写真を斜め後ろから見て貴子ははっとなった。すぐに寝室の壁に掛けてある額を見やる。ちゃんと元の山の写真に戻してある。悟られないようにそうっと深呼吸してから、和樹の傍に近寄り後ろから声を掛ける。
「なあに。あ、それっ。この間、転居通知を出すのに、住所録を探してた時に昔の文箱から出てきたものよ。会社入ってすぐの頃よね。みんな若いわね。ほらこの文江ちゃんなんかも。」
「俺は写っていないな。俺、居なかった時のかな?」
「どうだったかしらねえ。もう随分昔だから。あら、いやだ。私の顔も今の自分と随分違うから恥ずかしい。」
そう言ってさり気なく、和樹の手から写真を奪い取って恥ずかしいから見せたくないような振りをして裏返してベッド脇のテーブルに戻す。自分の寝室だからと思って油断したのだった。上に本を置いて隠していた筈なのに、夫はその本をどかして見つけたらしかった。
「あそこに写ってたの、確か樫山だよな。あいつも今、どうしてるかなあ。」
突然、樫山の名前が出て、貴子は心臓が飛び出るような思いがした。
「樫山さんて、もう同じ会社じゃないんでしょう。前にそう言ってたわよね。」
貴子は自分より夫のほうがよく消息を知っている風に装うのだった。
「そうだったな。それももう大分前だ。あ、あいつにも転居通知、出したんだっけ。」
「・・・。え、ええ。そう。文江ちゃんなんかと同じ古い住所録に載ってたから、一緒に出したと思うけど。でも、住所、合ってるかしらねえ。」
そう言いながらも、貴子が出した転居通知は、宛先不明で戻ってきてはいないことを思い出していた。
次へ 先頭へ