妄想小説
牝豚狩り
第五章 三箇月後
その3
罠の最初の芝居はその後、冴子、良子と美咲の三人で入念な打合せが行われた三日後に実行された。場所は男の勤める病院のある郊外の閑静な住宅街と駅とを結ぶ繁華街の入り口で、男がマンションから通う道筋の途中にあった。角には銀行があって、その建物が道路に面した歩道で死角を作っている。少し離れた店先にそっと佇む冴子の合図で、美咲は見えない角に向かって突進することになっていた。
美咲は手にした紙袋を握り締め、冴子の合図を待つ。冴子が手を振るのが見えた。
(今だ。)
美咲は近づいてくる筈の見えない人影に向けて突進した。
「ああっ。」
「きゃっ。ご免なさい。」
どしんと男の肩にぶつかっておいて、そのまま歩道に手をついて転げ込む美咲だった。どこにでも居そうなOL風を装った美咲は、倒れこんで短めのタイトなスカートから白い太腿を大胆に露わにする。
男は倒れはしなかったものの、手にした鞄を取り落として、銀行のビルの壁に手をついている。
「だ、大丈夫ですか。」
慌てて、倒れこんでいる美咲に手を貸そうと近づいてきた。
「あいたた・・・。ご、ごめんなさい。私が慌ててたものだから。そちらこそ、大丈夫かしら。」
美咲は上目づかいに男を見上げながらも、痛そうにくるぶしをさすっている。
男が手を伸ばして、美咲が立ち上がろうとするのを手助けする。
「あ、ありがとう・・・ございます。」
男に甘えるように手を引かれて一旦は立ち上がった美咲だが、足首が痛くてよろけたように、男の肩をつかむ。その美咲の二の腕を倒れないように支えるように掴まえた男の逞しい腕があった。
「あっと、大丈夫です。すみませんでした。」
美咲はそう言って、男から手を放し、ビルの壁に手をついて独りで立つ。男は落とした鞄を拾ってから、美咲の持っていた紙袋の荷物がぶちまけられてしまっているのに気づき、腰を屈めて拾い始めた。それは傍目にも色鮮やかな赤を基調として黄色のストライプのはいったチアガールのユニフォームだ。伸縮性のある柔らかな素材の上着と、細かい襞の入った短いスコートは、チアガールフェチでなくてもひと目でそれと判る筈だ。それは冴子が公開ビッドに掲げられていた写真を素に、コスプレ衣装の店から極力似たものを探し出してきて、更に写真に近づけるように仕立てなおしたものだった。
「これ・・・、もしかして駒澤大のチアリーディング部・・・?」
男の目に明らかに動揺の色が走ったのを美咲は確認していた。
「や、恥かしい。見ないで。」
そう言って、男の手から派手な衣装を引っ手繰るように奪い取る。
「ごめん。ご免。ほら。」
男はそう言って、美咲に靴下やスニーカーなど、残りの衣装が入った紙袋を手渡す。
「ご免なさい。拾ってもらったのに・・・。でもちょっと恥かしい衣装だったから。」
美咲は、恥かしがる素振りを見せながらも頭の中で、男の言った言葉を反芻していた。
(駒澤大チアリーディング部、たしかにそう言った・・・。)
冴子から、男に衣装をはっきり見られないように素早く取り戻すように言われていた。胸の部分にはダミーの文字がアップリケで縫い付けられていたが、それを確認されてはならないのだった。美咲はそれを見られる前に、男の口から大事な一言を引き出していた。
「相当痛そうだね。そうだ、痛みが引くまでそこの喫茶店で休んでいくといい。ぶつかったのは、僕の不注意もあるから。奢ってあげるよ。」
「えっ、そんなあ。いいんですか。」
甘えるように男に視線を送るのは美咲には訳ないことだった。
「へえ、君も駒大チームの出身だったとはね。」
「そうなんです。もうOBですけれど。でも、ひとめ見ただけでよく分かりましたね。そういうの、趣味・・・ですか。」
態とおどけたように首を傾げる美咲に、男はどきっとしたように唾を飲み込んでいた。
「いや、・・・知り合い・・・がいて、よく見てたもんだから。」
「あら、誰かしら。私の知ってる人かも。名前は。」
咄嗟に美咲は詰め寄る。が、男は冷静に考えながらゆっくり言った。
「いや、直接の知り合いじゃなくて、ダチの彼女。名前は知らないんだ。」
珈琲のカップを口に運びながら、男は美咲の目を見ながら話した。
それから美咲は他愛も無い話を延々男としていた。男から引き出せたのは、冴子から告げられていた近くの病院で医師をしているという情報ぐらいしかなかった。しかし、チアリーダーには異様なほどの感心を持っているのは、その話題になるとみせるうろたえぶりにはっきり読み取れていた。
「それでね。そういう話をしていたら、今度会社の宴会の時に是非見せてくれって、皆んなに言われちゃって、約束しちゃったんで、後輩に言って借りてきたんです。だって、あの頃のユニフォームはもう持ってないし。今になって着るのはちょっと恥かしいんですけど、みんなの前でこれ着て踊ってみたいって気持ちもちょっとあって。」
美咲は、会社の宴会の余興に、昔の衣装で踊ることになったという嘘を吐いたのだった。
「へえ、僕も是非、君の演技する姿、見てみたいな。」
男の目が恍惚感に浸りながら泳いでいるように、美咲には見えた。
「えーっ、じゃあこうしようかな。その宴会の時、終わり近くを見計らって、私を呼び出してくれない。私、その会の二次会、どうしても一緒に出たくない人が居るんで、断りたいの。彼から呼び出されちゃったって、抜ける口実にしたいわ。」
男の喉元がごくっと鳴ったのを美咲は見逃さなかった。
「ああ、それはいいねえ。じゃ、僕の電話を合図にして抜け出して、一緒に逢おうよ。でも、一杯でもいいからお酒付き合うって約束だよ。」
「いいですよ。私、お酒、別に嫌いじゃないもん。ただ、その集まりに来る人が嫌なだけ。あ、これ私の携帯番号ね。」
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