妄想小説
牝豚狩り
第四章 冴子の捜査開始
その8
良子の元から戻った冴子は、良子から得た情報を基に推理を組み立てなおしていた。尤も有力な情報は、良子が監禁の間、排泄におまるを使わされていたという事実だった。監禁で一番辛かったこととして、話してくれたのだが、それを良子の口から聞くまで、冴子には思ってもみないことだった。冴子の時には、牢屋のような檻の中での監禁であったが、水洗便器も浴槽さえも据付られていたからだ。部屋の様子も良子の説明とは大分違っていた。冴子の監禁場所は窓がなく、地下室のようだったと思われるのに対し、良子の監禁場所は高い所に明り取り窓があったという。外には空しか見えなかったところからおそらく建物の二階以上の場所であると思われた。
良子の事件が起きたのは、冴子の時から半年ほど前のことになる。おそらく、良子の時には、あの檻と囚人用便器、浴槽のようなものが設けられた部屋はまだ出来ていなかったのだろう。良子を拉致し、数日間監禁するのに、柱に繋ぐことを思いついたのだろうが、数日に渡っての監禁には排泄の処理という問題があった筈だ。良子の話し振りからすると、おまるの中に排泄を強要したのは、虜を辱める為の嗜虐行為とは思われなかった。ハンター達や獲物を搬送する役目の手下たちにはそうやって女を辱めることで歓びを感じる者も居たのだが、拉致した男はそのような様子は見られなかったというのは冴子にも同感に思われた。
いつから鎖で繋いで、おまるの中にすることを強要したのかは不明であるが、警察官を拉致するようになってからではないかという気がしてきた。それまでは、用を足す度に、拘束の一部を解いて、トイレを使わせたのではないだろうか。かよわい女性であれば、傍で見張っているだけで事足りたのかもしれない。トイレの為に拘束を一部であっても解くことは、武術を使える警察官の場合には反撃、逃亡の危険性を考慮しなければならなかったのだろう。しかし、だからと言っておまるへの排泄はそれを処理するものも大変だったのだろう。地下室に檻を据付け、その中に便器と浴槽を取り付けて配水管も通じさせるというのは大変な工事であったに違いないが、それでもそうせざるを得ない拘留の大変さと、逃亡の危険性があったのだろうと想像された。このことは、捜査へ大きなヒントを与える事項となるように冴子には思われた。
良子の拉致と冴子の時とでは。約半年の間がある。その丁度真中あたりに、内田の失踪殺害事件が起きている。良子の印象からすれば、おそらく間違いなく同じ犯人に拉致、監禁され、あの狩りに獲物として使われ、その後に殺害されたものだろう。
良子、由紀、冴子と進むにつれて、武道、格闘技のレベルは確実に上がっていっている。そのことからすると、少なくとも警察官としての最初が良子であった可能性が高い。
由紀については、死体の発見場所が特定されているだけで、それ以外に情報がない。が、拉致された場所は自宅のある横浜から成田空港への何処かの地点に違いない。
良子について言えば、拉致されたのは、厚木市郊外、解放されたのは長野県の清里付近である。冴子の場合は、拉致されたのは都心で、逃げ切って降りてきた里は丹沢山麓にある。
三人が監禁されていた場所は同じである確証はないが、おそらく同じ場所で、関東一円のどこかの筈である。が、それだけの情報では、犯人のアジトを突き止めるのは不可能に近い。いろいろ情報は得ることが出来たが、犯人に迫る核心的な事実はまだ見出せていなかった。
冴子は取り寄せた関東一円を一枚に大写しにしている地図を壁に貼り付け、そこに冴子が逃げてきた丹沢の林道他、一連の関係地点にカラーの鋲を打っていく。
鋲が打たれた各地点からは、それ以上の情報は得られない。が、その時、ふと冴子の頭に閃いたことがあった。
(Nシステムだ。そうだ、何故早くそれに気づかなかったのだろう・・・。)
Nシステムとは、主要幹線道路のあちこちに設置された、車両番号自動読み取り装置のことだ。道路を通行する車両のいわゆるナンバープレートを自動で読み取り、中央のコンピュータにそのデータを集約させるシステムになっている。オウム真理教事件でもこのシステムが犯人の移動情報を得るのに活躍したことは有名だ。
あの丹沢山麓へどこからか入るには、幹線道路のどれかを必ず使った筈だ。冴子は、自分が狩りの獲物にされるのに連れ込まれた三日間、国仲良子が連れ込まれた当日、そして、内田由紀が殺害されたと思われる発見の一日前の日付をメモに記すと、Nシステムセンターに居る知り合いの同僚に電話を掛けて照会する。
暫くたって、冴子のデスクのコンピュータに、新しいメールが入ったことを知らせるチャイムが鳴る。照会結果を添付した同僚からのメールだった。
リスト化された膨大な表をさっそくコンピュータプログラムを使って解析する。まず、近隣の在住者を除外していく。犯行現場のすぐ傍に在住している可能性はほぼ無いと見られた。土地勘はあったとしても、すぐそばに棲んでいるのでは突き止められやすいと考える筈だからだ。
次に、その地へ出入りした回数の多い順にソートし、三人の関わった日に共通するナンバーを見つけ出していく。二回までは登録されることはある。行きと帰りに同じ地点を通過することが多いからだ。三人が関わった全ての日に記録されている番号は存在しなかった。車を換えていることは間違いなかった。そこまで調べると、番号の中からレンタカーのみを抽出する。この時点でかなり数は絞られてくる。その車を扱っている営業所を比較する。が、同じものは殆ど無かった。相当に用意周到なようだった。毎回、車を換え、借りる営業所も換えている様子だ。
一応、リストに残ったそれらしき車、30台について、借主の住所、名前、連絡先を照会するメールをNシステムセンターに再び照会する。
世間にはあまり知られていないが、レンタカーは犯罪に使われるケースも多いので、レンタカー会社とNシステムセンターはホットラインが形成されているのだ。
暫くして、回答のリストが再び電子メールに添付されて戻ってきた。同じ名前はひとつも無かった。レンタカーを偽名で借りるのは難しい。おそらく毎回、車を借りる人間を変えているのだろう。車を借りるだけの為の人間を雇っている可能性もある。
冴子は狩りの時にハンターを載せてきた四輪駆動車を思い出した。米国C社のジープの一種だ。リストの中に目を走らせる。同一車種のレンタカーで東京郊外の営業所から借り出されているものがある。また良子が被害にあった日付、内田由紀が殺害されたらしき日の同等機種についても借受人をピックアップする。
試しにその借り受け人達を、照会リストに載っている連絡先から電話を掛けてみる。すると、意外な共通点が見つかった。掛ける相手先には殆ど本人は居らず、行方不明状態。幾つか返ってきた答えは「どうも今はホームレスになっているらしい。」というものだった。
冴子は犯行の手口を頭の中で想像していた。
駅や公園でホームレスに声を掛ける。
(免許を持っているか。それならいい金になる仕事があるが、やってみる気はないか。・・・)
そして、一回きりの契約の仕事が終わると現金で報酬を渡して終わり。
冴子は自分の事件の時に、自分が里へ降りて、連絡を取っていた僅かな時間の間に殺害されていた、手下で使われていた三人のことを思い出していた。いずれも軽い罪状で逮捕歴のある、チンピラの類だ。世の中には掃いて捨てるほどいる連中だ。そういう男達を見つけ出してきて、僅かな金で雇って使い捨てにする。
冴子はまたしても、手掛かりの糸がぷつんと切れたのを感じた。
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