秘書電話4

妄想小説

牝豚狩り



第四章 冴子の捜査開始

  その10


 冴子が探り当てたのは、さる個人病院の医者の口座だった。普段から使用しているメインの口座ではなく、時折しか出し入れがされていない。入金は、この口座の持ち主の別の口座からの振込みで、引き出しは全てATM 機からのものだった。定期的に月に五十万円づつが振り込まれ引き出されている。中に一度だけ、その時に限って一度に三千万円が振り込まれ、すぐ引き落とされている記録があった。良子の事件が起きる数年前である。
 (基本料金と、特別参加費用ということかしら・・・。)
 しかし、それは単に冴子の想像に過ぎない。これだけでは何の証拠になるという訳には行かない。尋問して問い詰めたところで自白を引き出すのは無理だろう。)
 まだ何の確証もないが、動物的な勘が、冴子にその男が何らかの関わりを持つ、いや、確実に客のリストに載る一人だろうと告げていた。
 
 冴子が調べを進めていくと、男はまだ四十歳に満たない独身の医者であることが判った。親から医院を譲り受けて経営している。自らは診察は滅多にしないようで、通いの医師がふたりほど交代でやってきている。両親は既に他界しているが、まだ健在な祖母の財産で病院を経営しているといったところの様子だった。医院からほど遠くないところにある高級マンションに一人で棲んでいて、病院に通っている。マンションには同居人は居らず、通いの賄い家政婦が、掃除、洗濯他の家事をやりに日に一度やってきていることが判った。

 冴子は、これ以上は合法的な捜査だけでは埒があかないと思っていた。幸い、冴子は特殊任務遂行の為に、いわゆる一般の合法的捜査以外の訓練も受けている。
 その医者の高級マンションは防犯も万全だった。24時間常時管理人が入り口に居て、見知らぬ不審者を通さない。宅配やピザの配達などでも、住人からの事前連絡があって初めて通すのである。そこから更に、マンションの各室に通じる廊下に抜けるには、各住人がそれぞれの部屋から開錠できるオートロックの扉を開いて貰わねばならない。住人自身は、そのオートロック扉に付随している電子ロックのボタンで暗証番号を叩いて通るのである。

 この手のセキュリティ管理がしっかりしているマンションは、一見万全に見えるが、人間の為すことで完全ということはあり得ない。どこにもアキレス腱とも言える弱い部分が存在する。大抵のマンションの場合、非常時の脱出出口などがそう言える。外からの侵入は厳重に防止しなければならないが、いざという時の住民の脱出は簡便でなければならない。非常出口の施錠は中からは簡単に外れなければならないからだ。

 冴子は医師が仕事に出ている時間を確認し、週一度、賄いの家政婦が休みを取る日を選んで計画を実行した。
 その日、通勤の時間があらかた終わり、マンションの出入り口にひと気が無くなる午前の時間帯を見計らって、冴子は作業服にヘルメットという姿でマンションの管理人室の前に立った。
 「この近くで緊急の工事をやっています。これからもうすぐ、5分間だけ緊急の停電をします。マンションの電気自体は自動的に自家発電に切り替わる筈ですが、確かに切り替わったか確認する必要があるので、今手分けして回ってきています。配電盤はこちらですね。」
 あらかじめ、マンションの凡その設計図は建築管理事務所で調べてきてあった。管理人は冴子の姿格好に全く疑いを抱いていない。
 「停電は10時5分から10分までの5分間きっかりです。私はここで自家発電にうまく切り替わるか、ずっと見張っていなければなりません。それから、入り口のセキュリティシステムが停止してしまう可能性がないとはいえません。済みませんが、その間、オートロックの前を不審者が通らないか見張っていて貰えませんか。まずそういうことはないとは思いますが、一応規則なので。」
 オートロックが効かないかもしれないというのと、誰かが見張っていなければならないという言葉に、管理人はついその気にさせられてしまう。入り口を見張ることが本来の管理人の務めだからだ。
 冴子は配電盤の前に座り込んで待機する。管理人が時計を見ながら入り口のほうへ向かう。管理人の姿が見えなくなったと同時に立ち上がって非常扉へ向かい、内側からロックを解除してから、オートロックで閉じてしまわないように、板きれをドアの隙間に差込み、素早く元の位置に戻ってくる。
 すぐに5分間が経つ。管理人室の前に来て、管理人に挨拶する。
 「無事、終了しました。特に不審者の出入り等ないですよね。」
 管理人の頷く顔に呼応して、手にしていたボードに張られた紙になにやらチェックする。あたかも問題なしという欄にチェックしたかのように。
 管理人に軽く頭を下げて、外に出ると、外部の配線に異常がないかをチェックするような素振りをしながら、マンション敷地の裏手に回る。さっき開錠しておいた非常出口はすぐのところにある。そこから音を立てないように滑り込む。男の部屋は最上階の6階だった。用心の為、階段を使う。万一住人に見咎められても、階段を作業服で上がっていくのを不審と思う人間は殆どいない。

 マンションの出入り口のセキュリティ管理が万全なところほど、内部の各部屋の鍵は甘いことが多い。この医者が住んでいる高級マンションも、内部の鍵は普通のピッキング犯ならすぐに開けてしまえる程度のものだった。勿論、訓練を受けている冴子にも雑作ないものだった。

 内部はよく掃除が行き届いていた。賄いの家政婦がうるさく言われているのだろう。冴子はこの家の持ち主が家政婦にさえ、立ち入らせない部屋があることを予想していた。はたして、一番奥に鍵の掛かった部屋の扉があった。
 室内錠なので、入り口の鍵より更に単純なものだった。ヘアピン一本で2分以内に開けられるものだ。
 鍵が開くと、そっと内部に滑り込む。置いてあるものの位置を変化させないように細心の注意を払う。
 部屋の中は、家政婦が掃除をしないだけあって、乱雑だった。冴子が想像した通り、壁には卑猥な裸の女やら、アニメの少女の主人公のポスターやピンナップ写真が貼られている。SM関係の雑誌も床などに乱雑に放り出されていた。
 が、冴子が目指すものは別だった。それは奥の窓際の机の上に置かれていた。小型のノートパソコンである。蓋が閉じられ、電源が切られている。その前に座ると、慎重に指紋を残さないよう手袋を嵌めて、パソコンの蓋を開き、電源のボタンを押す。
 キューンという音と共に、立ち上がり、暫くサクサクと音をたてていたが、パスワード要求の画面になって止まってしまった。
 (チッ!)予想はしていたことではあったが、セキュリティロックがかかっている。机のパソコンは最新式のものだった。
 冴子はすぐに部屋の中を物色する。そして、部屋の隅に置かれていた古いデスクトップ型のパソコンを見つけたのだ。マッキントッシュの古い型のものだった。すぐさま電源を繋いで立ち上げてみる。ノートパソコンよりも少し大きめの音が立てながらシステムが立ち上がっていく。古い機種だけにセキュリティロックは掛かっていない。そんなことを心配しない時代の代物だ。

 パソコンの画面が立ち上がったところで、キーボードを叩いて、全メモリ検索を掛ける。キーワードは「パスワード」だ。暫くパソコンが勝手にメモリの捜索を始める。システムメモリからずっとスキャンしてゆく。パソコンの画面が突然止まる。示されたファイルを開くと、そこは暗証番号のリストだった。銀行のキャッシュカードの番号らしき4桁の番号が続いた後、「pc : sowhunt」と書かれている。冴子は外国の要人の警護をすることもあり、英語も訓練されている。
 (sow は雌の成熟した豚。牝豚狩りか・・・)
 早速、冴子はノートパソコンに戻り、先の7文字を入力する。
 (ビンゴ!)小声で冴子はそうつぶやく。

 胸元のポケットからスティック型のフラッシュメモリを取り出し、USB端子に繋ぎ、全メモリ内容のコピーを取る。全てをコピーするには5分ほど掛かる。そっと外から覗われないように注意しながら窓際に寄り、レースのカーテン越しに階下を覗いてみる。人通りはない。管理人も何かに気づいた様子は無かった。
 コピーが終わると、すべてを元に戻し、指紋を残さないように気をつけながら、鍵を掛けて部屋を出る。幸い非常口から外に出るまで誰にも出会わなかった。出会っていたとしても不審に思う者は無かっただろう。誰の目にも修理点検にきた業者のように見えた筈だ。
 冴子は表に停めておいた電気工事会社の作業用車を装った軽トラックに何事もなかったかのように乗り込むと車をスタートさせた。


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