降参

妄想小説

牝豚狩り



第二章 半年前

  その10


 男は暫く考えているようだった。それから、すくっと立ち上がって、近くに置いてあったリュックを探り、中から折り畳みの警棒を取り出す。そして良子の足の縄を解き、首に巻いていた縄も外した。それから、一歩、後ろへ下がってから、警棒を伸ばして身構えた。良子も身構える。
 が、そのままへなへなと地面へしゃがみこんだ。
 「ああ、無理よ。手錠をしたままなんて。男の人に適う訳ないじゃない。幾らなんでもハンデがあり過ぎるわ。」
 「そんな見え透いた手口には乗らないさ。幾らなんでも、そこまで馬鹿じゃない。合気道が得意だって、書いてあったぜ。そのくらいのハンデは適当ってもんだ。」
 良子は思わず、胸のうちで舌打ちした。が、気づかれてはならない。
 「もう、戦う気力もなくなってしまったわ。いいわ。さ、首に縄をかけて、スタート地点へ曳いていったら。」
 良子の様子を観て、男のほうが今度は不満そうになった。
 「そんなこと、言うなよ。せっかくこっちがその気になってきたんだから。さ、立てよ。」
 「駄目よ。無理っ。こんなんじゃ、戦えないわ。」
 良子はわざと戦意を喪失したといわんばかりに石ころだらけの地面に寝そべって伏せてみせ、手錠に括られた両手をみせる。
 「よし、じゃあ、こうしよう。」
 男は再びリュックの中を探り出す。まだいろいろなものを詰め込んでいるようだった。奥からもうひとつ手錠と鎖を取り出した。
 「これを足首に嵌めて、この樹に繋いだら、手錠のほうは外してやる。完全に自由にしてやるわけには行かないからな。」
 そう言うと、傍の樹に鎖を回し、良子の足首を掴もうとしゃがみこんだ。その一瞬を良子は見逃さなかった。近づいてきた男の頭を思いっきり蹴り上げた。
 咄嗟のことで男は声も立てられなかった。脳震盪を起こしたようで、気をうしなっている。良子は男が目を醒まさないうちにと素早く動いた。男が良子の足首に嵌めようとしていた手錠を後ろ手で男の手首に嵌めてしまってから、男のズボンのポケットを探る。が、手錠の鍵は見当たらなかった。
 「ううっ・・・・。」
 男が目を醒まそうとしていた。慌てて男の前を離れ、男が持っていたリュックを後ろ手に掴むと、沢の上流へ向って走りだした。
 (とにかく、まず離れよう。)良子は後ろも振り返らずにひたすら走り続けた。

 林道に出るのは、他のハンター達に出くわす惧れがあるので危険とは思ったが、沢に残してきた男がいつ手錠を外して追ってくるかわからないので、取り合えずそちらからも離れる必要があった。様子を窺いながら、一旦林道まで出ると、そのまま今度は山の上に向けて藪を昇り始めた。林道を遠くに見下ろせる尾根の上まで昇りつめ、追っ手が見えないのを確認してから、良子は男から奪ってきたリュックの中を探り、手錠の鍵を探した。が、どこを探しても鍵は見つからなかった。仕方なく、もう一度背中を反らせて後ろ手錠を尻から抜くのを試みる。ちょっときつかったが、今度は何とか抜けた。手が前で使えるようになって、すこし自由に身体が動かせるようになった。前でリュックを抱えられるようになったので、もう一度中身をあらためる。やはり鍵は無い。
 (きっとあの時、手に持っていたんだわ。私が蹴り上げた時どこかに取り落としたに違いない。)
 そう判断した。しかし、戻って取りに行く勇気はなかった。男がもう鍵を外しているかもしれないからだ。良子には鍵が落ちた場所が男の手の届かない場所であることを祈るしかなかった。
 リュックの中には、スタンガン、手錠、鎖、縄などが乱雑に入っていた。しかし、取り合えず良子に使えて役に立ちそうなものはなかった。良子は邪魔になるだけだと思い、リュックは捨てていくことにした。
 良子は、男が言っていた他の二人についての話を思い返していた。
 (ひとりはスカトロ趣味だと言っていた。絶対に捕まりたくない。もうひとりだってそうだ。サディストだと言っていた。こっちだってどんな目に遭わされるか判らない。)
 良子はあたりを見渡してみる。遠く山の稜線が見える。土地勘はまったくない。連れてこられたときも、目隠しをされて車に揺られてきたので、どちらの方角へゆけば、人里へ出られるのかも判らなかった。ただ、かなり山の奥へ入り込んでいるのは間違いなさそうだった。
 (こうして逃げ回っていたほうが、いいのだろうか。さっきは逃れるチャンスを窺うので、戦うなどと本気でもないのに言ってみらのだが、逃げてばかりいないで戦ってみたほうがいいのだろうか。)
 良子は自分を捕えた男が、随分気弱だったのを思い出した。自分の手足を括りつけ、首まで吊って動けなくしてからでなければ、傍へ寄ってこなかった。戦うと言い出した時も、何となく弱そうではあった。手錠なしでお互い素手で戦っていたら、本当に勝てていたような気がしてくる。
 (後のふたりも似たりよったりだろうか・・・。)
 その時、眼下の林道を一人の男が小走りにやって来るのが見えた。一旦、伏せて身を隠したが、少しだけ頭を出して様子を窺う。
 幸いこちらには気づいていないようだった。こちらのほうは、エアガンではなく、竹刀を手にして、それであちらこちらの藪を突きまわっている。林道を逃げているのではなく、そこから逸れて、何処かに潜んでいることには気づいているようだ。しかも潜んでいる場所はだいたいこの近くらしいことも確信している様子だ。
 (ここに潜んでいても、時間の問題でみつかってしまいそうだ。それならば・・・。)
 良子は意を決して男等に反撃に出ることを真剣に考え始めた。

 ライフルのエアガンは意外に役に立たないことが判ってきた。遠くではなかなか当たらないし、近くで格闘するにも邪魔になるだけだろう。近くに寄っていって格闘になれば、もしかしたら勝機もあるかもしれないと良子は思った。ふと良子は思いついて、一旦は捨てた男のリュックを取り上げ、中から鎖と錠前、手錠を取り出して、スカートの上から巻いているベルトの背中のほうに、差し込んだ。そして再び林道まで慎重に辺りを窺いながら降りていった。
 適当な場所を探す。道がカーブして角になっている場所にこんもり茂った小さな藪がある。身を隠しておいて、敵がきたらさっと飛び出すのに丁度いいと思った。藪の横に大きな杉の木が生えている。その根元に鎖をまいて、錠前繋いで輪にし、そこへ手錠の片側を嵌めた。そして藪の中に身を潜めた。

 男がやってきたのは、それから暫くだった。やはり竹刀を振りかざしている。良子は男が至近距離まで近づくのを待った。
 (今だっ。) 
 良子は、男の足元から不意を突いて跳び出て、手錠の掛かった両手を拳にして竹刀を持つ手をしたたかに打上げ、身体を回転させるようにして男のわき腹に肘鉄を当てる。
 男が(うっ)と呻いてよろけたところを肩を掴んで巴投げのようにして男と共に地面に倒れこむ。
 叢に隠しておいた、鎖に片側を繋いだ手錠のもう片方をさっと掴むと、男の片方の手首に掛けてしまう。男に掴みかかられないように、一旦さっと素早く身を離し、体勢を整えながら、構える。男は突然、片方の腕で杉の木に繋がれてしまったのに気づいて慌てている。
 「畜生、やりやがったな。」
 男が立ち上がって竹刀に手を伸ばそうとするのを、すかさず足で蹴って、男の手の届かないところへ押しやる。両手首に手錠をかまされてはいるが、自由に動きまわれる良子のほうが有利な体勢になった。男は片手しか使えない。良子は合気道の構えをしながら、じわりじわりと男に近づく。片手の自由が効かない男は、もう片方の手にも力が入らなかった。掴みかかろうとするのを難なく交わして、反対に腕を掴み捩じ上げた。
 「いてててて・・・。は、放せっ。」
 しかし、良子は力を緩めない。男は捩じ上げられた痛みに歯軋りをして顔をゆがめる。良子は男の腕を片手に持ち替え、もう片方の手で男が背負っているリュックのストラップを手繰り寄せる。リュックの下側で金具をぱちんと留めるものなので、それを外して男の身体から引き剥がす。一旦男が届かないところまで投げておいてから、腕を更に捩じ上げ、男が頭を下げるように導いてから肩で体当たりをかけて、男の頭を杉の木にもろにぶつけさせる。
 「あううううっ。」
 男が呻いて崩れ落ち頭を抑えてしゃがみこんだのを見ながら、後ろずさりになって、男のリュックを拾う。良子が予想していた通り手錠の鍵はリュックの中にあった。すぐに自分の手錠を外す。手を自由にしてから、再び男に近づいた。男は頭をぶつけられて、戦闘意識を喪っていた。片腕を簡単にまた捩じ上げられ、痛みに身動き出来なくなったところで良子にズボンのポケットを探られる。手錠の鍵のスペアを持っていないかを確認したのだ。持っていないのを確かめてから男から身を離した。
 男は突然の事態の変化に気を動転させていた。もう周りのことは頭に入らないようだった。繋がれた手が何とか外れないか、そればかりを考えている風だった。
 良子はリュックを取上げると、それを持って男をその場に残し、もう一人を探しに小走りになって林道を突き進んでいった。思ったより手際よく出来たと、自分に自信が出てきた。それに両手も自由になって、もう一人とも対等に戦えるような気がしてきたのだ。後のふたりのことは、取り合えず心配しないで済むはずと思ったのだ。

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