書庫3

妄想小説

恥辱秘書






第八章 書庫室への罠


 三

 美紀は今度はエレベータは使わず、わざと階段を登ることにした。少しでも長く歩いて、スカートの中を乾かして臭いを散らしたかった。
 が、エレベータを遅く感じたのとは裏腹に、目的の5階へはこんなに近かったかと思うほどすぐに着いてしまったように感じた。一気に登ってきたので、少々息が切れている。
 階段から中央ホールへの絨毯の敷き詰められた廊下を回ってゆくと、奥にガラス張りの秘書室が見えた。その奥に、見覚えのある顔が見える。裕美だ。

 役員秘書は数人居たが、常時秘書室に詰めているのは裕美だけだ。今も、他の役員の秘書たちは出ていて席には居ない。
 美紀は、自分の周りの空気を極力流さないようにするかのように、ゆっくりと静かに秘書室へ進んだ。途中で気配に気づいた裕美が顔をあげる。すぐに美紀と判って、軽く会釈する。裕美自身は人なつっこい性格で、美紀にも親しげにしていたが、美紀のほうがライバル視剥き出しの振る舞いをいつもしているので、自然と疎遠な雰囲気になってしまうのだった。

 明けっ放しになっているガラス扉をすり抜け、裕美に近づいて、手早く用を済ましてしまおうと、声を掛けた瞬間、裕美の前の電話がグルルルと鳴った。
 「あっ、ちょっと待っててね。」裕美は優しくそう言ったが、美紀は血の気が引いた。少しでも長くは居たくなかったが、電話が終わるのを待たなければならない。
 美紀が芳賀に言い付かったのは、裕美が仕える長谷部の来週の予定を訊いてくることだった。おそらく、それは口実に違いないと美紀も思ってはいた。が、逆らうことは出来なかった。
 すぐ済む用が、電話のせいで待たされることになった。

 美紀は、まさかそれが、頃合いを見計らって掛けてきた芳賀からの電話だとは思いもしなかった。電話はなかなか切れず、(何処の要領の悪いのが掛けてきているのだろう)ぐらいにしか思っていなかったのだ。芳賀は電話の向こうで、同じことを繰り返し繰り返し蒸し返して、なんとか話を引き伸ばしていたのだ。
 美紀には、裕美が時折「ええ、・・・いえ・・・そうです。・・・」などと相槌を打つのしか聞こえない。
 美紀は裕美に待たされていることにも屈辱を感じていた。まるで悪いことをした子が先生に廊下で立たされているようだとさえ思った。
 すぐ目の前に座って、片手で鉛筆をいじりながら電話していた裕美が突然鼻をぐすんと鳴らした。美紀はまた血の気がひいた。裕美が顔をかすかに顰めたことで、異臭を感じたのだとすぐに悟った。
 「なんか、臭わない。・・・あっ、すいません。こっちのことです。ええ、・・・そうですね。・・・」
 電話をしながら急に顔をあげて何気なく言った裕美の一言が、美紀にはぐさりときた。
 (出直すわ。)そう何度言おうと思ったか判らなかった。が、美紀が居なくなった途端に臭いが消えたと気づかれると思うと、それも出来なかった。実際は最後にはその場を去らねばならないのだが。それに、言いつけられたことを果たさずに戻れば、芳賀からどんな酷い目に遭わされるか判らない。
 「・・・、ええ、ですから、すぐに・・・はい、はい。承りました。はい、失礼します。」
 漸く長い電話が切れた。
 「ええと、済みません。何でしたっけ。」
 「ああっ、・・・」
 美紀は声がかすれかけた。何とか芳賀に言われてきた日にちのスケジュールを訊く。手帖を繰りながら、美紀には無邪気そうにも見える笑顔で、裕美は丁寧に答えていった。
 「じゃあ、後ほど、都合を見てまた確認の電話を致します。失礼します。」何気なくだが、敬語を使ってしまう自分に嫌悪感を抱いてしまう美紀だった。後ずさるように、さり気なく裕美の傍を離れて廊下に出ると、小走りになってしまう。
 その背後で突然、裕美の甲高い声がした。
 「あっ、深堀さん。・・・」
 しかし美紀はその声が聞こえなかった振りをして階段への角を曲がって行った。裕美は美紀の後姿でスカートの染みを目敏く見つけたのかもしれなかった。が、それを確かめる勇気さえなかった。

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