妄想小説
牝豚狩り
第九章 想定され得ぬ事態
その5
最初に公開ビッドが掲載されてから、四日目の朝になっていた。これまでの経緯では、だいたいこの辺りで、ビッドが打ち切られ、イベントが即開催されている。三日間、良子も瞳も冴子の事務所に詰めっぱなしで、その夜も徹夜で手掛かりになるものはないかとありとあらゆるところを探りながら朝を迎えたのだった。首謀者と思しき黒田の本宅へ張り込みを続ける刑事たちからは、何の連絡も無かった。
その時、冴子のデスクの片隅にあるファックス機が受信を示すピーという音を立て始めた。冴子が秘密のサイトの掲示板書き込みをチェックしているところだったので、瞳が気を利かして送られてきたファックスと取り上げた。
「冴子さん。変なところから、ファックスが来ているわよ。嘉穂配管工事ですって。いったい、何でまた、配管工事業者なんかが・・・・。」
「待って、瞳さん。何ですって。」
冴子は何らかの電気ショックでも受けたかのように、飛び上がると、瞳の手からファックスの紙をもぎ取った。
「どうしたの、一体。血相を変えて。」
不思議そうに瞳も、冴子が見つめているファックス用紙を横から眺める。
「特別捜査官 一条冴子様
連絡が遅くなり申し訳ありません。お問合せの件に合致するかどうか分かりませんが、心当たりがあるのでお報せしたくファックスを入れさせていただきました。
お問合せに近いような件を当方にて受注しております。当方は零細企業で、親爺が経営している小さな家庭用上下水配管の水道工事屋です。店は親爺が今でも切り盛りしているのですが、お問合せのあった時期に脳梗塞を起こして一時入院をしておりまして、その時私が代理で店を見ておりました。今は親爺も経過がよく、現場に復帰しておりまして、お問合せのあった折には、親爺がファックスを受け取っていた為に心当たりが無かった模様です。ひょんなおりから・・・」
ファックスの手紙は延々と家庭事情を綴っていたが、肝心の施工工事のことについてはあまり触れられていなかった。
「今からすぐに出るわよ。一刻を争うの。」
声を掛けられた良子も瞳も、ことの重大さを冴子の表情から読み取っていた。
ファックスにあった嘉穂配管工事店は、住所から山梨県都留市にあることが分かっていた。冴子は首都高速から中央高速へ乗り継いで、車を全速力で走らせていた。元交通課の良子も眉を顰めるようなスピードだったが、何も言わなかった。
都留インターで高速を降りて、山道を暫く走ったが、その住所の場所に辿り着いたのは、ファックスを貰ってから1時間も経っていなかった。店には事前に電話して、息子のほうに来て待機して貰っていた。
辿り着くなり、冴子達は、個人の家屋らしき建物の脇に立つプレハブの工事事務所に飛び込んでいった。
「それで、その家では、地下室に上下水の配管工事をするのを頼まれた訳ですね。」
「そう、急いで突貫工事でやってくれれば、その分はずむからって言われてね。こっちも親爺の代理のバイトだし、こりゃあいい仕事にめぐり逢えたってもんですよ。親爺には内緒にしておいて、いい小遣い稼ぎにしょうと思った訳です。いや、私は普段は街のほうで工事の請負をやってるもんで、街の方は今は、大手に食われちまって、碌な仕事が無いもんですから。」
「それはいいから、どんな地下室でした?」
「それがね、何にもない、コンクリート打ちっぱなしの別荘の地下室でね。これから、内装に手を入れて、洋風の格好いいバスルームを造るんだっていうんでね。それで、ウチではコンクリートの床を一部壊して、配管を通して、別荘本体の配管に繋いでから、床のコンクリートを元の打ちっぱなしに戻すまでの工事を請け負ったんです。地下室だったんで、ちょっと粉塵が凄くて、苦労しましたけど、丸二日で仕上げましたよ。」
「その地下室のレイアウト図、書けますか。」
「ああ、だいたいのところならね。工事図面は、客がどうしても貰っておくっていうんで渡しちまってこっちには残っていないんだけど。まあ、だいたいの配置だったら頭に入っているからね。えーっと、ちょっと紙を。だいたい、こんな殆ど四角の部屋でね。ここ、ちょっと奥まったところに風呂桶用の給水と排水の配管をこんな風に伸ばしてきて、ええと、それから、そうそう。殆ど、ど真ん中だったかな。トイレ用の配管を、下水をこんな位置に、上水をこの辺りに。こんな感じかな。部屋のど真ん中にトイレを置くなんて変な配置だなと思ったんですよ。そしたら、この後、まだいろいろ壁の工事とかもあるのでって、言ってましたね。」
冴子は工事店の息子の話と絵とを総合しながら、自分の記憶と照合していく。
(間違いないわ。あの部屋だわ。この後、風呂桶と便器を他の業者に搬入させてから、廃園になった動物園から仕入れた檻を設置したのだろう。)
「それで、この工事をした別荘の場所なんですけれど、地図が描けますか。」
「そりゃ、勿論。一回行った客の場所は絶対忘れないさね。次の仕事の営業があるからね。」
そう言いながら、息子はすらすらと地図を描いていく。それを上から覗き込みながら冴子は位置を確認する。
「塩山から奥に入った大菩薩峠の方面ね。」
息子が描いた地図によると、観光地化している大菩薩峠からは少し離れた山奥のようだった。おそらく、辺りには他に別荘はひとつも無いのだろう。
5分後には、冴子達三人は、冴子の車で塩山方面へ向かっていた。もう一刻の猶予も無かったのだ。運転しながら、冴子はこれまでの事件の地理関係とその場所への所要時間を計っていた。冴子が運ばれた丹沢渓谷への道のり、国仲良子が連れ去られ、解放された茅野市、栗原瞳の乗った車の最後のNシステム記録地点である東名静岡インター、そして瞳の狩りの現場となった増富村。使われたレンタカーのリムジンの走行距離記録ともちょうど符合する。冴子は首謀者、黒田のアジトと思しき場所に確信を抱くようになっていた。
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