妄想小説
牝豚狩り
第九章 想定され得ぬ事態
その4
国仲、栗原の二人を伴って、冴子は自分の車で篠崎医師の開業しているクリニックを訪れた。二人は車に残しておいて、冴子一人が急患を装って、診察室に入ることにする。
「先生、ちょっと内密に診て貰いたいところがあるので・・・。ちょっと、看護婦さんは外してもらえませんか。」
若い女性が顔を赤らめ、恥かしい部分を診察して貰うときのような仕草をしてみせた。
「あ、そう。・・・じゃ、君達。僕が声を掛けるまで、レントゲン室で待ってて。」
篠崎はそう看護婦達に声を掛けると、診察室のカーテンを引く。篠崎の好色そうな顔は、若い女の恥かしい格好を楽しめると期待に膨らんでいるかのようだった。
「じゃあ、そこに横たわって、服を脱いで。」
篠崎は机に聴診器を置くと、触診をするのに、女がベッドに横たわるのを肘掛椅子に座って待った。が、冴子は服を脱ぐでもなく、篠崎の真正面を見据えて診察椅子に座ったままだった。
「先生は、チアガールがお好きですよね。それも、とりわけ。」
「何だね、君。藪から棒に。」
「この娘はご存知でしょ。」
そう言って、冴子が医師の横の机の上に差し出したのは、美咲の写真だった。チアガールの衣装で、色気たっぷりにポーズを取っているものだ。
「こ、これは・・・。き、君はあの娘の知り合いか。」
「先生・・・。この子の服を脱がして、チアガールの格好に着替えさせて写真撮りませんでしたか。」
冴子は探るような目つきで、医師を見上げる。
「な、何を言っているんだ。・・・、そうか。その娘から聞いたのか。あ、あれは、合意の上のことだ。一緒に酒を飲もうっていって、誘ったのも向こうからだ。」
「先生、下手な嘘はつかないほうがいいですよ。正直でないと、どんどん追い込まれますよ。」
「何を言ってるんだ。証拠もなしに・・・。」
医師は不機嫌そうに横を向き、カーテン越しにレントゲン室の向こうの看護婦達に声を掛けようと立ち上がった。が、それを手で制止した冴子は持っていた機器を医師の机の上のパソコンにさっさと接続する。そして、まるで自分のものであるかのように、ささっとキーボードを打つと、医師のほうに画面を差し出す。
医師がきょとんとしながら自分のパソコンの画面を見ると、いつのまにか動画ビュアーのプログラムが立ち上がっていて、画面に何やら映し出されていた。
「こ、これは・・・。」
医師は言葉を失っていた。明らかに自分と分かる人物がぐったりした若い女性の服を脱がしているところだ。下着だけの姿にしてしまうと、今度はチアガールの衣装を取り出して、裸にした女性の身体にあてがってみている。
医師は立ち上がって、バタンとノートパソコンの蓋を閉じる。
「いったい、どうして、こんなものを・・・。」
しかし、医師の声は明らかに狼狽していた。
「先生、このクリニックへの投資者って、お祖母様でしたよね。正確に言うと、奥様のお母様?」
「何を言うんだ。ゆすりか・・・。」
医師の言葉は語尾のほうは既に力がなくなっている。
「いいえ、何を仰っているんですか。正式な捜査手続きのことをお話しているのです。容疑がかかった場合、関係者には全て、聞き取り調査をしなければなりませんから。」
「ま、待ってくれ。そんなことをされたら困る。・・・・。」
既に医師はがっくり首を垂れていた。
「何が何でもというつもりはありません。私はこの娘の知り合いです。貴方自身を糾弾する為にここへ来たのではありません。私たちは今ある捜査をしています。貴方には、その捜査に協力していただければ、この娘だって、闇雲に事を荒立てようとはしないと思いますよ。すべては貴方の協力次第です。」
医師は荒い息を吐きながら、思案をしているようだった。
冴子がその医師を伴って、良子や瞳とともに、桜田門の警視庁のビルに向かったのはそれからすぐだった。冴子は医師を尋問室に導き、すぐさま尋問を始めた。脇の鏡になっているハーフミラーの覗き窓の向こう側では、上司の佐藤浩市が良子、瞳とともに固唾を飲んで見守っているのだった。
「牝豚狩り・・・、っていうのはご存知ですよね。」
「・・・・。ちょ、ちょっと待ってくれ。こういう場合っていうのは、弁護士を要求出来るんじゃないのか。こんな一方的な取り調べなんて・・・。」
「勿論ですよ。正規の取り調べの場合は。もし、正規の取り調べをお望みなら、幾らでもお望みどおりの手続きをとりますよ。言いましたよね。正式の捜査のやり方について。」
「せ、正式の・・・。ま、待ってくれ。わ、分かった。しゃ、喋る。そういうこと、なんだな。・・・・、そうだ。牝豚狩りのことは知っている。」
「そう言うものは実在するんですね。サイトだけのものではなくて。」
「・・・・。そ、それは・・・。」
「あなたは、ある口座に定期的にお金を振り込んでいらっしゃいますよね。なんなら・・・。」
「わ、わかった。そこまで調べているのか・・・。そうだ。確かに、あれは存在する。」
「貴方も参加しましたね。」
「・・・、どうせ調べ上げてるんだろう。行ったさ。一度だけだがな。」
「その場所を覚えていますか。」
「憶えているったって、目隠しされてたからな。現場へ着くまではずっと。」
(やはり、そうだったのか。)冴子は、あの首謀者の用心深さには何度感服したか分からない。
「しかし、何処かで落ち合ったのでしょう。」
「あの時は、・・・ええと、新宿駅の傍のガード下だったかな。迎えに来たんだよ、車で。」
「どんな?」
「ワゴンの四輪駆動車だったな。名前は知らんが。」
「乗ってすぐに目隠しを?」
「まあ、そういう約束だから。」
「どの位の時間乗っていました。」
「さあ、時計を見た訳じゃないが、朝早くに落ち合って、昼前には着いたかな。」
その後も、延々と取り調べの追求は続いたが、首謀者に至る手掛かりもイベントが行われた場所についての手掛かりも得ることが出来なかった。期待していた、首謀者と最初に接触があったきっかけについても、事前に首謀者のほうで、医師の身元調査をしてから誘いかけたようで、ある日、手紙で誘われたので、相手については全く見覚えがないという答えしか得られなかった。
しかし、その日の尋問で、唯一収穫だったのは、冴子の上司が動いてくれる気になったことだった。落胆して取調室を出てくる冴子に、佐藤は肩を叩いて、世田谷の砧の屋敷に私服の見張りをつけるのを約束してくれたのだった。
冴子は、(何かわかったら、逐一連絡を入れるように)と釘を刺されてから、佐藤の下を辞して、良子、瞳を伴って、自分のオフィスに導いた。
医師のパソコンと全く同じにセッティングしたパソコンを中心にして、三人が揃ってメールが来るのを待ち構えていた。篠崎の身柄はとりあえず拘束されたが、その月の支払いは自動で振り込まれることになっている。
メール到着を報せるチャイムがなって、冴子がすぐに開くと、いつものように、新しいURLのみが記されたメールが届いた。早速、そのURL をエクスプローラに打ち込んで、秘密のサイトを開く。
「痴漢退治でいい気になっている美人婦人警官を懲らしめてみませんか?」
新しい公開ビッドのタイトルは、冴子の仕組んだ予想どおりのものとなっていた。一緒に貼られている写真は、以前に冴子が仕組んだ贋のローカルニュース記事のものだった。冴子は怖るおそる、その写真をクリックしてみる。次の写真は、電車の吊り革らしきものを握っている若い女性のものらしき手首の写真だ。その手首には手錠が嵌められている。更にもう一度クリックすると、背中に両手を手錠で拘束された女性の姿が映った。うつ伏せに寝かせているのを上から撮った写真のようだ。脚にも鎖のついた拘束具が繋がれていて、自由を奪われているのが分かる。顔はこちらを向いていないのではっきりとはしないが、美咲には間違いなかった。
一枚目、二枚目の画像は、シチュエーションを会員達に想像させ、三枚目は準備が整っていることを報せているのだろう。冴子は美咲が着せられている制服が、本物の所轄署のものではないのを見てとった。それは、漸く上司の佐藤が張り込みを約束してくれた黒田邸での待ち伏せが役に立たないことを暗示していた。
「何としてでも、助けだすから・・・。」
思わず、冴子がそう口にするのを、傍で良子と瞳は同じ思いで聞いていた。しかし、同時に美咲を救い出す為の手掛かりは今のところ何もないことも分かっているのだった。
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