巡査表彰

妄想小説

牝豚狩り



第九章 想定され得ぬ事態

  その2



 男は美咲の持ち物を調べていて、持っていた携帯電話が、静止衛星を通じて位置を報せる機能を持っているGPS対応タイプの携帯であるのに気づいて、慌てて電源を切った。
 男には、美咲の後を追っている者が居ることにはまだ半信半疑だった。美咲が拉致されることを予測している者が居るとは思えなかった。たまたま持っていた携帯がGPSタイプだっただけだと思おうとした。
 (が、そうではないかもしれない・・・。)
 男は、目の前に裸でうつ伏せに寝かされている美咲の白い肌に目を落とす。美咲の両手首は手錠を掛けられた状態で交差させられ背中の上に乗っている。口を蔽っていたクロロエーテルを染み込ませたハンカチは既に外されているが、代わりに日本手拭いを瘤結びにしたものを口に噛ませられて猿轡として嵌められている。クロロエーテルはあまり長い時間嗅がされつづけると、呼吸停止に陥ってしまう可能性があるからだ。身に着けていた制服と下着はさきほど丁寧に一枚一枚剥ぎ取られてバッグにしまわれている。それは本番で雰囲気を盛り上げる貴重な衣装となるのだ。コスプレ用の衣装ではなく、本物の警察官の制服は、客の目を楽しませるだけでなく、嗜虐心を一層煽るものとなる。
 股間にはさきほど男の手で紙オムツが当てられていた。意識を覚ました時に尿意を我慢出来なくなって洩らしてしまうことがあるからだ。国仲良子の時も、アジトまでは無事連れてくることが出来たのだが、二階の監禁室に運び込む時に失禁されてしまった。男の前で我慢出来なくなって洩らしてしまうことが与えた羞恥心に、国仲良子はすっかり意気を消沈させてしまって、部屋へ連れ込むのにおとなしくはなったのだが、廊下一面に小水の跡を作って、後始末に苦労したのだ。それ以来、女を裸にして縛って居る時は、紙オムツを嵌めさせることにしていたのだ。
 男はGPS携帯に気づいてどうしようかと考えていて、この屋敷で電源を切ったことの拙さに気づいたのだった。もしこの携帯の位置を追っているものが居たとしたら、この屋敷の場所に何かあることを気づかせてしまうことになるのだと悟ったのだ。
 (早くここから移動しなければ・・・。)
 男は焦って裸のままでオムツだけ当てられた美咲の身体を再びすっぽり布袋に突っ込むと肩で抱え挙げて、半地下にあるガレージへ急ぐ。GPS携帯は電源を再度入れてからポケットに突っ込んだ。
 リモコンでガレージの扉と玄関の門を開くと、けたたましいタイヤのスリップ音を立てながら、ステーションワゴンをスタートさせる。
 (とにかくこの場所から移動することだ。)

 「冴子さん、GPSがまた動き出した。北へどんどん移動している。」
 後ろの席で瞳がそう叫んだ。
 「良子さん、そっちは。」
 「こっちは、そのままよ。動いていないみたい。」
 冴子が美咲の制服の胸章の下に縫いつけた信号発生器の位置を示す点滅をずっと監視していた良子は、なおも画面を見守りながら、冴子にそう報告した。ふたつの発信機の位置はみるみる離れていくのだった。
 「どっちかしら、本物は。冴子さん・・・。」
 冴子は頭をフル回転させる。美咲の服を脱がせた可能性は考えられた。が、携帯だけを奪い取ってどこかへ持っていこうとしているのかもしれなかった。敵が複数のチームに別れて別行動をしているのかもしれなかった。
 その時、見覚えのある砧の屋敷が見え始めていた。武家屋敷のような白い壁が見える。その塀沿いに右に廻ってゆくと冠木門があって、屋敷の入り口だ。
 冴子はその少し手前で車を停めた。もう時間の猶予はない。
 「良子さん。貴方運転して、このGPSのほうを追って。瞳さん。助手席に来て、GPS携帯と発信機の探索画面と両方をチェックしながら、良子さんにナビをして。私は屋敷に忍び込むから。」
 飛び降りるようにして冴子は車から滑り出ると、席を移った良子と瞳がそのまますぐに飛び出していくのを独り見送った。

 冴子は、玄関になっているらしい、大きな冠木門をまず調べた。ここから忍び込むのは最も危険だと冴子も思っていた。この時点では、何者かが嗅ぎ回り始めていることを相手側に感づかせることが一番避けなければならないことだからだ。特に、美咲を人質として取られている今は絶対に気づかれてはならないのだった。玄関に警報機が仕掛けられていることはまず間違いないと思われたのだ。

 冴子は四方を見渡して、黒田邸の南側に少し小さめだが庭に大きな欅の樹が植えられている屋敷に気づいた。その樹に登れば、黒田邸の様子が見渡せそうだった。冴子は最初はそちらの屋敷のほうへ忍びこむことにした。
 こちらの屋敷は黒田邸ほどは堅牢な造りではなく、周りも石塀ではない生垣なので、樹の隙間から庭に入り込む場所を見つけ、庭の中へ音もなく忍び込んだ。形よく剪定などの手入れのされた庭は、忍び込んだ冴子の身を適度に隠してくれる役目も果たしてくれていた。
 首尾よく大きな欅の根元まで辿り着くと、冴子は身に着けていたジャンプスーツから革のベルトを抜き取り、幹にぐるっと回してそれを反対側で引っ張りながら、器用に枝を落とされた幹を登ってゆく。林業を営む木こり達が使う伝統的な木登り手法だが、冴子はその手のことも訓練されている。
 路地の反対側にある黒田邸が見渡せる5mほどの高さまで登ってしまうと枝が張り出しているので、その一本に足を掛けて、枝の隙間から黒田邸の内部を窺い見る。


kurodahouse

 黒田邸の屋敷は門に囲まれた広大な敷地のほぼ中央にある変形の三階建ての和洋折衷建築だった。外形はほぼ二階建ての入り母屋造りだが、窓から垣間見れる内部は洋式に作られているように見えた。そして、二階部分のほぼ中央に見晴台のような小さな三階建ての部分がある。見晴らし台のように見えるのは、四方がガラス張りで外が見下ろせるようになっているせいだ。目を凝らすと、その部屋の中央に黒い物体が据えられているのが判る。冴子はそれを一目見て、監視カメラと見て取った。監視カメラはゆっくりとだが、定期的に向きを変えており、正確に30秒で一周し、屋敷の庭全体を監視しているのがわかる。冴子は自分の腕にしたクロノメータのストップウォッチのスイッチを入れ、秒針とカメラが追う方角の対応を頭に刻み込む。
 冠木門から順に、石塀の上を視線をめぐらせていく。赤外線監視カメラらしき固定カメラが数箇所に据えられていて、四方を監視している。塀の上を横切る物をそのどれかが感知すると、おそらく内部で警報が鳴る仕組みなのだろうと冴子は推理する。幾つかのカメラが巧妙に塀の上全体をカバーしているように見える。しかし、どんな監視カメラにも死角は存在するものだということを冴子は訓練と経験から学んでいた。
 東西南北で屋敷を四方囲うようにしている南西の角と北西の角に鉄柱の上に取り付けられたカメラがありそれぞれ、西側の塀と北側の塀を監視している。東側の塀も東南の角に取り付けられたカメラが監視している。
 樹の上から見ている冴子の居る側の南側の塀は中央の冠木門の軒下に取り付けられた二つのカメラがそれぞれ西側と東側を監視しているようだった。が、西向きに冠木門の軒下に据えられたカメラが若干屋敷の内側を向いているのが判る。屋敷の南側にある塀をずっと西に辿っていくと、塀の南西の角の先は小さな路地になっている。カメラを真直ぐ西向きに取り付けると、塀の先の路地が視野に入ってしまい、路地を人や車が通る度に感知してノイズとして拾ってしまうのだろう。それを避ける為に、カメラの向きを若干内向きに付けているらしいことが判る。
 このことは南側の塀の南西の角のすぐ内側はカメラの死角になっていることを意味していた。

 冴子は大きな欅の幹からするりと音もなく滑り降りた。小走りに黒田邸の南西の角の脇へ向かう。腕のクロノメータの秒針を確認する。

見張り台

 (八、九、十、十一、・・・)
 冴子は屋敷中央三階の監視カメラが反対側を向き始める十五秒目を待った。
 (今だわ。)
 冴子は飛び上がって2mほどの塀の瓦屋根に飛びつくと、そのまま懸垂の要領で自分の身体を塀の瓦屋根の上へ引き上げ、屋根に攀じ登ると、それを飛び越えた。

 幸い、警報には何も引っ掛からずに済んだようだった。冴子はじっと身を潜めて、もう一度、三階の塔の上のカメラが行き過ぎるのを待つ。
 カメラの視界が通り過ぎたのを確認すると、身を屈めるようにして日本庭園の中に点在している庭石の上を伝って、屋敷の軒下まで辿り着く。

 耳を澄ませてみるが、物音ひとつ聞こえなかった。人の気配は感じられない。冴子は監視カメラなどの警報装置が思いの他厳重なことから、内部に侵入するのは避けたほうがいいと持ち前の直観が囁きかけてくるのを感じていた。
 冴子は家の様子を窺う。和風の造りの中に、サイディング張りの洋間のような部分が建て増されている箇所があるのを見て取る。窓は通常の位置にはなく、地上から2mほどの位置に明かり取りのように設けられた天窓が屋根の軒下についているのが見える。おそらく外から覗かれることを嫌った部屋なのだろうと冴子は見当をつける。
 脇に付いている雨樋を伝って攀じ登り、庇に手を掛けてぶら下がると、少しずつ横にスライドしていきながら天窓が覗ける位置まで寄ってゆく。
 冴子が天窓から覗きこんで見えたのは、リビングのようになった広い部屋だった。部屋の隅にハンカチらしきものが落ちていて、そのすぐ傍には剥がしたばかりのように見えるガムテープの小片が落ちている。冴子が注目したのはその更に奥だった。大きめのボストンバッグがソファの陰に隠れかかっているが見て取れた。膨らんでいることから、中身が入っているらしいことが判る。旅行へ出掛ける者が、今にも手に取って出そうな膨らみ具合なのだ。その中に、冴子が仕込んだ発信機を縫い込んだ美咲の制服が入っているのを冴子は直観した。

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