巡査表彰

妄想小説

牝豚狩り



第九章 想定され得ぬ事態

  その1



 冴子は、美咲の身の安全確保にも配慮しなければならなかった。冴子をはじめ、国仲良子も栗原瞳もあの男に顔を知られている。付き添って警護する訳にはゆかないし、一緒に居るところを見られて警戒されては、囮捜査の意味がない。場所の判らないところへ連れ去られてしまうのが一番気をつけなければならないことだった。
 冴子は、美咲の身体に発信機を身につけさせることを考えたのだが、これまでの経験から拉致されてすぐに裸にされ、発見されてしまうと考えた。拉致される前に現場を抑えるのでは証拠を掴むことが出来ないし、捕え損なうことも十分に考えられた。
 美咲の持ち物で絶対に犯人が大事に保管する筈のものを考えた。そしてそれは警察官の制服であることにすぐに行き着いた。スカートは丈を短く直したりする畏れがあり、発覚しやすい。上着のほうは、それを一番警察官らしく見せているもの、制服の胸ポケットの上についている胸章に目をつけたのだ。それを剥がしてしまうと警察官の制服らしくなくなってしまう。獲物として使われるのには、警察官らしい格好でなければならない。冴子は発信機を美咲の制服の胸章を一旦はずし、裏側に縫い付けることにした。

 国仲良子も栗原瞳も、冴子と美咲のこの計画を聞いて猛反対をした。が、次の犠牲者が出兼ねないのに何も手を打てないでいること、自分等も何かしないではいられないことから理解は示した。結局、二人とも冴子と美咲に説得され、協力することになったのだ。しかし、協力と言っても傍で顔を見られては却って邪魔をすることになるので、出来ることは限られている。

 冴子は、国仲良子から彼女が拉致された状況を詳細に聞いていて、美咲の場合でも同じ公園での拉致を狙ってくるだろうことを予想していた。良子が退職してしまった今でも交通課に勤務していた美咲は、今は年配の婦人警官の渡辺衿子部長と組んでパトロールを廻るようになっていた。
 冴子は美咲に、なるべく頻繁に公園周りを巡回パトロールするように言い含めておいた。その公園は、人に気づかれずにパトロール警官を見張るには好都合の場所だったからだ。
 その日も美咲は先輩の渡辺巡査部長を伴ってミニパトで公園周りを巡回していた。この公園沿いの道は、道幅が広いこともあって、違法駐車のメッカだったからだ。違法駐車のメッカであるということは、駐車禁止違反の切符が切られる場所としてもメッカである。
 駐める者もそこは承知していて、規則であるチョークで印をつけられてから、15分後に切られる違反切符を貼りにくる直前に車を移動させるのも心得ていた。違反者と警察官のイタチゴッコで、美咲たちは次々に逃げてしまう駐車禁止違反者を追って、チョークを引き続けて回らねばならないのだった。
 またしても印をしてあった駐禁の車に逃げられ、すごすごと先輩の渡辺が待つミニパトのところへ戻ろうとしていた美咲に携帯着信メロディが鳴った。美咲は先輩巡査部長のところへ戻る前であったことに安堵した。職務中にマナーモードにせずに着信音が鳴ると、いつもこっぴどく怒られていたからだ。
 美咲は手馴れた手つきで、冴子から渡されていた携帯を片手で開くと表示画面を確認する。携帯メールの受信だった。相手は良子となっている。
 美咲はピンと来た。良子は退社するときに携帯電話も解約していた。今使っているのは、郷里に戻ってから契約し直したもので、美咲に掛かってきたのは、まだ同僚だった時分のものだったからだ。
 さっとメールの中身を確認する。
 「美咲に急に相談したいことが出来たの。例の公園中央にある噴水のところで待ってるから、大至急来てほしい。」
 例の公園とは、今パトロール中の公園のことである。公園の中央にある噴水のところまでは歩いて5分ほどだ。
 すぐに美咲は冴子に携帯で連絡を入れる。
 「あ、冴子さん。来たわ。・・・、そう。良子の名前を騙ってメールをいれてきた。公園中央の噴水のところへ来てほしいって。」
 「そう、落ち着いて。まず、一緒にパトロールを廻っている婦警さんに、急用が出来たから先に帰っててほしいって言うの。身内に不幸があったってことにすればいいわ。そしたら、私のところへ掛けた通話記録をすぐに消して。それからゆっくり噴水へ向かって。大丈夫、ずっと見張っているから。落ち着いて行動するのよ。絶対助けにゆくから、それまで落ち着いて待ってね。」
 「わかった。じゃ、行ってきます。」
 そういうと、美咲は携帯の発信記録画面を出し、今の発信記録を消去した。

 冴子は隣の助手席の良子に目配せで合図する。良子も内容を察して、頷くとコンソールの探査装置のスイッチを入れる。画面にナビと同じ画面が出て、公園の端あたりの点滅が動き出したのを確認する。
 「瞳さんも、GPS 追尾のスイッチを入れて。」
 後部座席に控えている栗原瞳にも合図をする。美咲には自分の位置を時々刻々GPS 衛星を通して報せてくる、GPS携帯を持たせていた。その位置情報を後部座席で瞳が逐一確認する。
 「じゃ、ゆっくりスタートさせるわね。」
 そう言うと、冴子は近づきすぎないように気をつけながら、ゆっくりと美咲の居る公園のほうへ向けて、車をスタートさせたのだった。

 先輩の渡辺巡査部長に(急に身内に不幸があったので、早退する)と告げて、先輩をミニパトで先に帰らせ、そのまま電車の駅に向かう振りをしてから、踵を返して公園のほうへ戻ってきた美咲だった。
 男が指定してきた公園中央の噴水は、良子とも弁当などを一緒に食べに、何度も来た場所だ。男が(例の公園)という言葉を使ったのは、以前に良子を拉致した時に、二人の間のメールの内容を逐一チェックしたからだろうと思った。(例の公園)というのは、そんな中で、よく使われた言葉だったからだ。
 ところどころに植えられている深い木立が見通しを遮っている。が、目の前の大きな樹を通り越すと、少し開けた広場に出て、そこに噴水がある筈だった。美咲が噴水のある広場に出た時、噴水の周りに三つ置かれているどのベンチにも人影はなかった。
 (ここで暫く待てということかしら。)
 訝しげにそう思いながら、噴水傍のベンチにゆっくり近づいていく美咲は、背後の公衆便所から音を立てずに忍び寄ってくる男の姿に気づいていなかった。
 男は背後から美咲の脇腹に一撃を加え、美咲が腹を抑えて蹲ろうとするところをすかさず後ろから羽交絞めにするのと同時に、クロロエーテルを染み込ませたハンカチで口と鼻を塞いで息を出来なくする。美咲には自分が嗅がされているものが何なのか判っていたが、次第に喪われていく意識の中でどうすることも出来なかった。
 男は美咲の身体から力がすっかり抜け、目の前に崩れ落ちるのを確認してから、尻のポケットからガムテープを出し、ハンカチを美咲の口にしっかり貼り付けてから、念の為に美咲の両手首に手錠を掛け、後ろ手に拘束してから地面に投げ下ろす。倒れる時に膝元で裾が乱れ、太腿の付け根付近までが覗きそうになっている。そのあられもない痴態をそのままにして、男は素早く公衆便所のほうへ戻る。隠しておいた美咲を運ぶ為の布袋を取りにいったのだ。無駄のない動作で美咲の元へ戻ると、頭からすっぽり布袋を被せ、口をしっかり紐で縛ってしまう。
 男が着る作業着には、「XX商事 環境課」と書かれていて、如何にも公園などのごみを収集する業者を思わせる格好になっている。男は美咲を収納した大きな袋を、ごみがいっぱい詰まった収集袋に見えるように無造作に肩に担ぐと、公園脇に停めておいたステーションワゴンまで戻り、後ろの荷室に乱暴に詰め込むようにして袋を積み込むと、すぐにそこを発車した。

 冴子たちが追っている車は厚木署管区の美咲たちの所轄区域から都心のほうへ向かっていた。態と距離を詰めないように、10kmほどの距離を保ちながら冴子は車を走らせていた。先を行く男の車は巧みに幹線道路を避けながら走っていく。冴子は頭に入っている神奈川県内にあるNシステムの位置を逐一確認していた。男はNシステム感知機に近づくと、巧みに道を逸れていた。男の頭にもすべてのNシステム感知機の場所が入っているようだった。

 「このまま行くと、世田谷の砧だわ。」冴子は行く先を直観した。栗原瞳の拉致を追っていて、パスポートから割り出した男の持ち家だ。(黒田清輝、45歳)冴子は男のプロフィールを思い出していた。そして次にその男の家を思い出す。閑静な昔ながらの高級住宅地を贅沢に占拠するかのように、広大なその敷地は陣取っていた。周りを高い塀に囲われ、中の様子は観てとることが出来ない。近くの隣人からの聞き込みでは、バブル崩壊で没落した旧家の屋敷をITビジネスの若手実業家が買い取ったらしいと言っていた。IT若手実業家が買ったのは事実かもしれないが、黒田と名乗る男がその屋敷を闇の市場で譲り受けたのはほぼ間違いないだろうと冴子は読んでいた。
 「冴子さん、点滅の位置が止まったわ。さっきから動いていない。」
 助手席からモニタをずっと覗き込んでいた良子がそう冴子に報告する。
 「こっちも動きが止まりました。」
 後部座席でGPS携帯をチェックしていた栗原瞳も同じことを言った。
 「世田谷区砧ね。急いだほうがいいかもしれない。」
 冴子はなんとなく嫌な予感がして、アクセルを深く踏み込む。都心で止まることは冴子の想定外だったからだ。
 「あ、消えた。」
 その時、後ろで突然、瞳が声を挙げた。
 「電源が切られたかもしれない。」
 「良子さん、そっちは。」
 不安にかられながらも、冴子は隣の良子に確認する。
 「今まで通り、同じところに止まったまま・・・。」
 (GPSのほうは気づかれたかもしれない・・・。)
 冴子はアクセルをさらに深く踏み込んで加速していく。

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