栗原聴取

妄想小説

牝豚狩り



第八章 思いがけぬ手掛かり

  その5



 (冴子さんに相談しなくちゃ。)瞳は静岡へ向かう電車の中でそう考えていた。

 しかし、栗原瞳の心配は、冴子に相談する前に、杞憂に終わっていた。その日の夕方のニュースで、その記者の死が報道されたのだ。
 横浜大黒埠頭近くの運河で水死体となって発見されたのだった。司法解剖の結果、体内からは多量のアルコールが検出され、酔って運河沿いの道を歩いていて、誤って運河に落ちたのではないかとされていた。

 「そう、そうだったの。その時から後は、その松田っていう記者には会っていないのね。・・・。いい、瞳さん。もう暫くは世間には顔を見せないほうがいいわね。とにかく今はじっと身を潜めていること。あの記者は余計なことを口走ってしまったの。あの記事を読んだでしょう。・・・。そう、そのところ。キスシーンの写真が撮られる前から、誰かと一緒だった可能性があるって書いてあったあの部分。まさにあの文章のせいで消されたのよ。・・・。」
 冴子にそう言われてみて、初めて恐怖心が沸いてきた。そうなのだ。電車への飛び込み自殺を装って、消された男。あの時と一緒だった。真犯人は、すこしでも真実へ近づこうとする事実が発覚しそうになると、それを丁寧にひとつずつ消し去っていくのだ。
 「瞳さん。あなたの発言、ひとつひとつが同じ結果を生む可能性があるの。だから、今は誰ともあっては駄目。貴方の口から少しでも真実に近づくような発言がでて、それが公表されたら、あの犯人は黙ってはいないのよ。」
 冴子は電話口で瞳にそう念を押していた。

 あの日、男は週刊スキャンダルの記事を読むや否や、行動を起こした。事態は急を要していた。馬鹿な記者が、妙な憶測記事を書き始めたのだ。男のシナリオは、栗原瞳は恋人に逢いに、独りで成田を出て、名古屋空港で落ち合ったということになっている。それを否定しかねない記事だった。具体的に何処でどうとは書かれていない。しかし、それに思い当たる可能性も出てきたのだった。成田から小牧空港まで栗原瞳と一緒の便に乗っていたことを警察に感づかれてはならないのだった。
 週刊スキャンダルを発刊している雑誌社へ電話を掛け、匿名で松田という記者を呼び出してもらい、記事について、内密に情報提供したいと持ちかけたのだ。
 松田はすぐに喰らいついてきた。

 男は栗原瞳が失踪していた期間に潜伏していた場所を知っていると言って、記者を誘い出したのだった。自分の身分を明かされると困るので、こっそり密かに逢いたいと言って、大黒埠頭の奥の倉庫を指定したのだ。記者は何も疑うこともなく、やってきた。
 栗原を襲った男の時と同じように、人の居ない暗闇に入るや否や、鳩尾に一発を食わせ気を失わせる。後は隠しておいた車の中に引きずり込んで両手をコートの上から縛り上げて助手席に括り付ける。気がつくのを待ってから、無理やり大量のウィスキーを飲ませるのだ。口を強制的に開かせるボールギャグを噛ませ、漏斗に繋いだゴム管を口の中に差し込んでから、周りを厳重にガムテープで蔽ってしまう。あとは漏斗からウィスキーを流し込むだけで、記者はそれを飲み込まざるを得ないのだ。そして、十分アルコールが身体中に廻った頃合を見計らって、運河の橋の上まで運び、鳩尾にもう一発見舞ってから、橋の欄干から投げ落とすだけで良かった。相当量のアルコールで完全な泥酔状態のまま投げ込まれれば、自力で泳いで這い上がることは出来ない。男は縄で縛る時に、手に痣が残らないように細心の注意さえ払えば検死で出るような生体反応は残さないで済むことを十分承知だったのだ。

 事件は大々的には報道されなかった。瞳が知ったのも、松田から渡された連絡先の雑誌社に電話を掛けて呼び出そうとして、初めて、松田が運河へ転落して溺死したことを同僚の記者から告げられたのだった。
 事件の詳細について、報道管制を敷いたのは、警察当局のほうだった。松田が自社のスキャンダル誌に掲載した写真は、事件当日に警察のほうで押収した筈のデジカメ写真だった。それをどうやって松田が自分の手にしていたのかは、まだ判っていなかった為、当局は警察内部から洩れたのではないかという可能性を考えて、仔細を報道しないように通告したのだった。
 栗原瞳が襲われた現場写真はあまりに衝撃的で、犯人捜査の為に顔の部分のみマスコミから公表された際にも、マスコミとの間で、写真そのものの全体は公表出来ないと厳重に釘を差しておいたのだった。それを素っ破抜かれ、警察のほうが対応に慌てることとなったのだった。

 しかし、冴子は松田という記者の死を、あの憶測記事が出た時から予感していた。一番困ることは、冴子等が、真犯人について何か知っていることを悟られるということだ。特に牝豚狩りのサイトについて、すでに掴んでいるということを絶対に知られてはならなかった。それが最後に残された唯一、有力な手掛かりだったからだ。

 松田という記者の死によって、栗原瞳の一連の事件については、誰も口にするものが居なくなり、事件は闇の中へ葬り去られようとしていたのだった。


 栗原瞳の一連の事件が闇の中に葬り去られるということは、冴子の側にとっても真犯人へ辿り着く手掛かりが無くなるということを意味していた。女子高生女剣士、池脇真緒についてはその後も全く何の手掛かりも得られなかった。
 冴子は毎日のように行方不明者、死亡発見者のリストにその名前を探していたが、遂にその名前が載っているのを見ることはなかった。冴子には、池脇真緒の無事を祈ることしか出来ることはなかった。

 しかし、そうしているうちにもどんどん日は過ぎており、秘密のサイトの公開が行われるに至ってしまうと、その何度か後には次の犠牲者が出てしまう可能性があった。冴子は何としてでも、その前にそれを阻止する手を打たねばならないと考えていた。

 そんな冴子のところに、突然のように国仲良子から電話が掛かってきた。それは警察官時代の同僚であり、親友であった伊東美咲のことに関するものだった。

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