栗原聴取

妄想小説

牝豚狩り



第八章 思いがけぬ手掛かり

  その4



 栗原瞳は、三人で山梨の現場へ行って以来、すっかり生気を取り戻したようだった。静岡の山奥の隠れ家から桜田門の冴子のオフィスに電話してきて、迷惑を掛けた全日本バレーの監督の元へ謝罪と正式な引退表明に行きたいと告げてきたのだった。
 世間では栗原瞳の失踪事件もすっかり過去のものとなっていた。瞳を襲った犯人の写真が公開されたことで、一時マスコミで話題が盛り上がりかけたが、その後すぐに列車飛び込み自殺で事件は終焉を迎えてしまい、それ以上の展開が無い為、またすぐに忘れ去られてしまったのだ。
 冴子は栗原が独りで行動することに、まだ不安はあったが、いつまでも囲っておく訳にもゆかず、いずれは独り立ちしてもらうしかないとは思っていた。
 冴子は国仲良子に同伴して貰ってはと提案してみたが、瞳は独りで行くからと固辞したのだ。

 久々に独りでの電車旅だった。一応サングラスをつけて、誰とはすぐにわからないようにはしていた。他のメンバーには顔を合わせたくないので、チームが練習をしている代々木体育館傍の喫茶店に出てきて貰うことにしていた。

 怒鳴られることを覚悟していた瞳だったが、監督の柳本の表情は意外にも穏やかだった。実は冴子の口から、詳細は明かさないまでも特別な事情があって、事件に巻き込まれたのだという説明がされてあったのだった。
 「俺のほうから、もう何も言うことはない。瞳ちゃんが決めた通りでいいよ。チームの皆は残念がるだろうけれど。」
 「済みません、勝手ばかりで。」
 瞳は柳本に深々と頭を下げて、その場を辞した。

 体育館を出て、自分のアパートへ久々に戻ってみようと地下鉄の駅へ向かっている時に、瞳は誰かにつけられているように感じた。急ぎ足になって、地下鉄への階段を駆け下りる。電車がホームに入って来るアナウンスが告げられていた。瞳は改札を走り抜け、やってきた電車に飛び乗った。瞳の背後でドアが閉まったのを確認して、ほっと安堵の息をつく。

 瞳が都心での独り住いに使っていたのは、渋谷から一駅のところにある神泉という駅から歩いて少しの長屋アパートである。考えてみると、バンコックでの試合の後、日本へ戻ってからまだ一度もアパートへは帰っていないのだった。日本へ着いたその日に拉致され、山小屋のようなところで監禁されてからあの山中へ連行されたのだ。そして、その後すぐにバリへ向かい、記者に終われて東京へ舞い戻ったのだった。ホテルに仮住いしていたところに男から襲われかけ、そして、冴子に静岡の老舗旅館へ匿われたのだ。怒涛のような日々だった。
 見慣れた路地から二階建て長屋アパートの階段を上がる。奥から二つ目が瞳の部屋だ。階段を昇りきった瞳の目にドアに持たれて立つ男の姿が目に入った。見たことのある顔で、すぐには思い出せなかった。が、近づいていって、あのバリまで追い掛けてきて、男に襲われそうになった時に飛び込んできて怪我をしたあの記者であるのに気づいた。
 「お久しぶりだね。栗原さん。」
 男を認めて、警戒の顔色を消せない瞳だった。

松田

 「何か用ですか。」
 「何か用はないだろ。取材だよ、取材。記者がやってきて、することは決まってるだろ。」
 「お話することは何もありません。」
 瞳はきっぱりとそう言い切った。男の目がキラリと光る。
 男はコートの内ポケットに手を突っ込んで、大型の封筒を取り出し、中から写真を半分だけ出してちらっと瞳に見せる。
 (あの時の、写真・・・。)
 全体的に暗いトーンの写真だったが、フラッシュを焚かれた真正面に瞳自身の剥き出しの白い肌があって、すぐに判った。
 (やはり、あの格好を撮られていたんだ・・・。)
 テレビで公開されたのは、瞳に襲い掛かっている男の顔だけだった。それがトリミングされたものだろうとは瞳も考えたのだが、警察以外のところに出回ってはいないだろうと思っていたのだ。
 「中で話をさせてもらえるかね。・・・。いや、別に何か怪しいことをしようって言うんじゃない。あんたも外ではこんな話はしたくないだろうからね。」
 瞳は躊躇した。しかし、確かに男の言うように、外の喫茶店などで出来る話ではない。

 瞳は黙って、アパートの鍵を開け、記者を招きいれた。長いこと開けてなかった部屋はすこしむっとするような空気が流れていた。瞳は奥の部屋に入っていき、窓を開けて空気を入れ替えてから、再びきっちり窓とカーテンを閉めた。
 男は勝手にダイニングのテーブルに腰掛けている。瞳は黙ってグラスに水だけ注いで男の前へ置く。
 「単刀直入に訊こう。あの夜、男にあんな場所に呼び出された訳が知りたい。あんた、自分から入って行ったよね、あの公園の男子トイレに。」
 (やはり、見張られていたのだ・・・。)
 「あ、あの・・・。」
 「何か弱みを握られているんだろ。何を握られているんだ。」
 「お、お答え、出来ません。」
 瞳は俯いて唇を噛み締める。
 「ほう、人気バレーボール選手がコートの下にユニフォーム姿で、深夜ひとりこそこそ公園の男子トイレへ自分から入っていく。そこへ、ある男が後から忍び込む。そして、この格好だ。」
 そう言うと、さっきちらっと見せた写真をまた少しだけコートの下からちらつかせる。
 「何も無いわけ、ないよな。・・・え、男の言うなりか。」
 「・・・・。」
 「えっ、答えたらどうなんだ。・・・ こっちだって、大怪我してまで掴んだ大ネタなんだよ。このまま、すごすご帰るって訳にゃ、いかねえんだよ。」
 男は凄んでみせた。
 「貴方にお話できるようなことは、何もありません・・・。」
 松田という記者は、瞳をひとしきり睨みつけてから、立ち上がって言い放った。
 「よし。明日の朝、週刊スキャンダルの記事を見てから、もう一度ここへ電話しな。情報を提供しなけりゃ、幾らでも憶測記事を書いてやるからな。」
 男は吐き捨てるようにそう言うと、ドアをバタンと大きな音を立てて閉めて出て行った。

 翌朝、一番で駅の売店で週刊スキャンダルを買って中を見た瞳は、すぐに姿を消さねければとまず思った。マスコミの記者たちがアパートへ押しかけてくる可能性は高かった。サングラスを掛けて、静岡行きの切符を買う。

 冴子に紹介された老舗温泉旅館へ向かう電車の中で、サングラス越しに瞳はもう一度記事を盗み見るようにして読んでいた。

 「あの栗原瞳の衝撃の瞬間か。極秘入手、あの現場の、あの瞬間。」
 見出しは、栗原瞳と言い切っていないまでも、襲われたあの一瞬を捉えた写真を公開していた。瞳、そして犯人の顔はモザイクで隠されている。しかし、掲載された写真は、瞳がアパートで松田という記者からちらっと見せられた写真のほんの一部でしかないことにも気づいた。
 写真は、栗原の怯えた顔と後ろから栗原にのしかかるように襲いかかる犯人の顔を捉えているが、栗原の胸から下の部分はカットされている。瞳がちらっとだけ見せられた写真では、全身まではっきり写っていて、その写真では、両手を後ろ手に拘束されたまま、ウェアの上着は乳房が丸見えになるまで引き上げられ、下半身は膝の上までブルマとショーツを下ろされてしまっているところも、そして露わな股間の部分も、はっきり判ってしまっている筈だった。
 それは衝撃的なレイプシーンの映像だ。それを、ほんの一部、全体像を予感させるような部分のみ、切り取って掲載しているのだ。
 添えられた記事は、憶測での内容ばかりだった。が、栗原は男に呼び出されたのではないかという疑惑もあるとされている。そしてホテルに逗留するに至る経緯の憶測までが添えられていた。記事では、最初に公表された写真が撮られる前から、栗原瞳は謎の男と一緒に行動していた可能性も考えられるとしていた。
 すべてが思わせぶりな書き方で、「次号は更なる真実に迫る。」で終わっていた。

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