音楽室

新任教師 美沙子





 十七

 その日は結局音楽室で二時間ほどピアノの練習をしながら時間を潰したものの、理科準備室にも職員室にも教育主事の殿井は帰ってきた様子はなく、着替えることも出来ずに短いスカートにノーパンのまま、帰宅することにした美沙子だった。
 予定より大分遅くなってしまった為に、電車は帰宅するサラリーマンたちで混んでいた。美沙子が乗るのは一駅分ではあったが、鮨詰めの車内で揉まれなくてはならない。そうでなくても満員の電車は苦手だったが、この日はミニスカートであるだけでなく、下着も付けてないのだ。誰かの身体がわざとではないにせよ、触れる度にびくついてしまうのを禁じ得なかった。
 はっきりとした痴漢行為に遭うこともなく、何とか自分の最寄りの駅まで到達して、歩いて5分ほどで自分の下宿先である一軒家に戻ってきた美沙子だったが、玄関前に無造作に置かれている段ボール箱を見て、身体が強張るような緊張を覚えてしまう。段ボールには「高野美沙子様」と書かれた小さなラベルが貼られているが、切手や消印など郵便局を経由した形跡は一切なかった。
 辺りに不審な者が居ないか何度も確認した上で、その段ボール箱を持って家に入る。段ボール箱は厳重にガムテープで封がされていた。それを丁寧に剥して開けてみると、中から出てきたのはクリーニング店がよく使うような薄手のビニール袋にしまわれた衣服のようであった。更には段ボール箱の底に封筒に入れられた手紙のようなものが入っている。
 美沙子はまず手紙のほうを開けてみる。中に書かれていたのは嫌な予感通りの文章だった。
 (明日はそれを着用して学校へ行くこと。もちろん、下着は一切着ける事を許さない。)
 ビニール袋から出てきたのは薄黄色のプリーツスカートで、丈はその日美沙子が着用を命じられたタイトスカートと殆ど変りない。真白ならばテニス用のスコートにしか見えないだろうが、色が付いている分、テニス用にも見えるし、極普通の普段着に見えなくもない。しかし、その短いスコート風のミニスカートをノーパンで穿くのはかなりの勇気が必要そうだった。

 次の朝、美沙子は散々迷った挙句、誰かから命令された通り、超ミニの薄黄色のプリーツスカートを穿いて、下着はつけないまま家を出ることを決意した。命令に背くことによる仕返しが怖かったのだ。自分の格好を見られるのを極力避ける為、いつもより2時間ほど早いほぼ始発の電車で学校へ向かうことにした。
 さすがに始発の電車では乗っている人はまばらで、学校までの道のりでも誰にも会うこともなく校門まで辿り着くことが出来た。問題はまだ校門が開いていないのではという事だったが、意外にも誰かもう出勤しているのか、校門の門扉は解錠されて開いていた。
 昇降口で内履きに穿き替える為に下駄箱を開けるとまた封筒が入っている。手紙が入っていることだけ確かめて、すぐにいつも持参しているバッグにしまう。
 職員室に入ってもしやと思い、教職員の出退勤を示す名札には教務主事の殿井が既に出勤している事を示す白地の札にひっくり返されていた。職員室に殿井の姿は無かったので理科準備室だろうと美沙子は推察し早速向かってみることにする。
 「殿井先生。いらっしゃいますでしょうか?」
 美沙子は軽くノックをして声を掛けてみる。
 一瞬の間があって、中から返事がある。
 「高野君だね。入りたまえ。」
 美沙子は軽く会釈をして中に入る。内側からの鍵は必要ないだろうと思ってそのままにする。
 「おはようございます。こんな早くから済みません。昨日は放課後、いらっしゃらなかったようですので・・・。」
 美沙子はその先の(スカートと下着を返して貰えませんでした)という言葉を呑み込んだ。
 「ああ、昨日は校長から急な用を仰せつかってしまってね。そんな事より、おやっ。その格好は・・・。何やらまた指示があったのだね。」
 殿井の察しのよさに、美沙子は舌を巻く。
 「ええ、そうなんです・・・。」
 「もしかして、その下は・・・。」
 殿井は最後まで言わないで美沙子の言葉を促す。
 「はい・・・。下着をつけないように命令されました。」
 「ほう・・・? それじゃ、今もノーパンなのか。」
 「・・・。ええ、そうです。」
 殿井が美沙子の下半身に向けた視線は、美沙子が穿いている短いスカートを透視しているかのように思えて仕方なかった。
 「他には何か指示は無かったのかね。」
 その言葉で美沙子は下駄箱に手紙が入れてあったのを思い出した。
 「あ、そうです。今朝、昇降口の下駄箱に中に手紙が入れてありました。」
 「ほう? で、何と・・・。」
 「いえ、まだ読んでいないのです。今、出します。」
 さきほどバッグに仕舞って置いた手紙を探し出す。開いて読んでいる美沙子は蒼褪める。
 「何と書いてあるのだね。」
 「あ、あの・・・。今夜、六時に・・・。西校舎の屋上に独りで来い・・・と。」
 指示はたったそれだけだった。
 「高野君。いいかね。これは犯人を特定する絶好のチャンスになるんだよ。君は犯人の命令に完全に従う振りをするのだ。そうして向こうを安心させ、油断させるんだ。その間に私が絶対、犯人を突き止めて見せる。」
 「ど、どうか、宜しくお願いしますっ。」
 深々と頭を下げて、殿井に全てを任せる意志を表明した美沙子だった。

 その日も一日、落ち着かないまま過ごすことになってしまった。短いフレアスカートは風に煽られやすい。万が一捲れ上ってしまったら、その下はノーパンなのだ。誰にも見られる訳にはゆかない。美沙子は極力外へは出ないように気を付けた。それでも授業と授業の間に、校舎を移る際には渡り廊下を歩かねばならない。出席簿と教科書を持つと片手しか空かない。その片手でスカートの裾をしっかり抓んで下に引き下げながら歩くのだが、プリーツが多めに入ったスカートは片端を抑えていても簡単に風で捲られてしまうのだ。美沙子は授業開始のチャイムが鳴り終えて生徒たちが教室へ全て入ってしまったのを確認してから、さっと渡り廊下を抜けるのだった。
 美沙子が気になっていたのは、ノーパンミニの格好だけではない。犯人から通告された夜の呼び出しである。教務主事の殿井からは、犯人の言うとおりにする振りをして極力油断させるようにと言われている。おそらく自分が生贄となって夜の校舎屋上に向かった際に、やってくるであろう犯人を待ち受けて正体を掴むという作戦なのだとは理解している。しかし、本当にそれで犯人を捕まえることが出来るのか、もし失敗したら、その時はどんな仕返しを受けることになるのか、不安で堪らない美沙子だった。

 放課後になって、その日も美沙子は音楽室でピアノの練習をして過ごすことにする。それが一番美沙子を落ち着かせるのだった。次第に暮れていくのが教室の窓から射してくる日差しの傾きでよく分かる。それと共に命じられた時間が近づいてくるのをひしひしと感じていた。
 「高野先生~っ。いらっしゃいますかあ?」
 聞き覚えのある声は、社会科教師の角田だった。
 「あ、角田先生・・・。」
 ピアノ椅子から立ち上がった美沙子は音楽室に入ってくる角田を待ち受ける。
 「今、職員室に電報が届きましてね。高野先生宛です。今時、珍しいですね。電報なんて。」
 美沙子は角田から二つ折りになった紙切れを受け取る。一応封がしてあって、中は見られないようにはなっている。美沙子は怪訝そうな顔で何なんだろうという顔をして立っている角田が(じゃ私はこれで)と言って立ち去るまで封を開かずにじっと待っていた。
 震える手で電報の封を開いてみる。
 (バショヲヘンコウスル。ロクジニタイイクカンヘコイ)
 誰からかは推測するまでもなかった。西校舎の屋上だったのを、体育館に変更するというのだ。美沙子は時計を見てみる。指示された6時まであと15分しかなかった。
 慌てて音楽室を出ると先に理科準備室へ寄ってみる。しかし殿井は不在で部屋には鍵が掛かっている。美沙子は今度は職員室へ向かう。もう居残っている教職員は数名しか居ない。美沙子はさきほど電報を届けてくれた角田に声を掛ける。角田はもう帰り支度をしている所だった。
 「あの、角田先生。殿井先生はご存じありませんか?」
 「あ~っと、確かさっき校長室に呼ばれて入っていったみたいだったけど。あっと、何か・・・。」
 「い、いえ。いいんです。もうお帰りですよね。お疲れ様でした。」
 そういうと、自分の席に戻り、メモ用紙を取り出す。
 美沙子は殿井に残すつもりのメモの内容を思案する。何時、誰に見られるか分からないので、迂闊な事は書けない。自分の名前すら書く事は憚られた。
 「場所 変更 体育館」
 それ以上の事を書くと、万が一他人に見られた時に困ることになる可能性があった。置く場所も悩ましい。殿井には確実に気付いて貰わなければならないが、他の人には見られたくない。もう残っている職員は少ないが万が一と言う事もある。
 美沙子はメモを手の中に握りしめると、殿井の席のほうにゆっくり歩み寄る。殿井の席の後ろには職員の出退勤を示す札が並んでいる。この時にはもう既に殆どの職員が帰っていて、自分の他には、校長、教頭とあと数名しか白い札になっていない。美沙子は後ろを振り返ってみて、誰も自分の方に注目していないことを確かめてから、そっとメモを殿井の机の真ん中に置き、端の方に置いてあった文鎮で重石をする。そしてさっと後ろの出退勤札の自分の札をひっくり返して帰宅の黒い側にすると、そのまま職員室を出る。
 時計を見ると6時まであと5分だった。美沙子は小走りに体育館へ向かった。向かいながらふと美沙子は体育館の鍵を持ってくるべきだったろうかと思いつく。
 体育館は普通は体育主任などの体育教師が最後に施錠する。今は試験前で部活が無いので4時には施錠される筈だった。そして5時頃、日直が施錠を確認してまわる。勿論その後も用事があって使う場合には、使ったものが責任を持って施錠し、校長室前の鍵棚に返す決まりになっている。指示は体育館とだけあって、体育館のどの場所とも指定していなかった。取りあえず美沙子は一旦は体育館まで行ってみることにする。
 すでに陽が翳ってだんだん暗くなり始めていた。渡り廊下に繋がる正面の入り口は閉ざされていて錠前が掛かっているように見えた。入口は裏、表四カ所あるのは知っていたので、ぐるっと外側を一周してみることにする。すると、裏側に当たる塀際のひと目には付きにくいドアの一つが薄めに開けられているのが判った。勿論、施錠の為の南京錠は掛かっていない。
 その扉をそおっと自分がぎりぎり入れる位まで押し開くと、中に滑り込む。中には誰も居ない様子で、しいんと静まり返っている。正面のステージの方にも体育用具室のほうにも、そして反対側に左右それぞれある男子と女子用のトイレのほうにも人の気配は感じられなかった。
 その時突然、ピピピピという微かな音が聞こえてきた。美沙子が目を凝らすと、バスケットコートになっている体育館中央部に小さな光が点滅しているのが分かる。音はそこからしているらしかった。美沙子が足音を立てないようにそっと近づいていくと、点滅しているのは携帯電話だった。
 取り上げて受話ボタンを押してみる。
 「時間通りに来たようだな。」
 ボイスチェンジャーを通した低いくぐもった声が聞こえてきた。
 「あなた、誰なの?」
 しかし美沙子の問いに対する答えは返ってこなかった。
 「ステージに上る階段の下に袋が置いてある。それを取りに行け。電話はこのまま繋いだままだ。」
 「わ、わかったわ。」
 美沙子は携帯電話を切らずに耳に当てたままステージへ上る用具室置き場の脇の階段へ向かう。段の下に確かに何かあるようだった。美沙子が取り上げてみると小さな布袋だった。中から出てきたのは、夜行便の飛行機で配られるようなアイマスクと冷たく光る手錠だった。
 「アイマスクをしてから手探りでその手錠を後ろ手に自分で掛けるんだ。その前に携帯電話をスピーカーホンに切替えておけ。本体の横についているスライドボタンだ。」
 美沙子が携帯の側面をみると、確かにスピーカーホンに切替える為のボタンが付いていた。
 「切替えたらステージの上に電話を載せるんだ。」
 言われた通りに携帯電話の音声ボタンを切替え、すぐ目の前のステージの上へ置く。今度は携帯本体のスピーカーから声が聞こえてくる。
 「声は聞こえるな。」
 「は、はい・・・。聞こえます。」
 「そしたら手錠をまず片手に嵌めろ。しっかり食い込むまで締め込むんだ。」
 美沙子は最初意味が分からなかったが、片方の手に開いていた手錠の枠を嵌め込んで輪を締めると、ラッチのようになったギザギザの錠がしまっていくのが分かる。一旦狭めると元には戻らない構造になっているのが判った。
 「しっかり締まったか?」
 「は、はい。締まりました。」
 「そうしたらアイマスクを着けろ。」
 「は、はい・・・。」
 アイマスクは後ろ側がゴムになっているタイプでかなりきつめのゴムになっていた。一旦着けてしまうと頭を振ったぐらいでは外れそうもなかった。
 「アイマスクを掛けたか?」
 「はい。掛けました。」
 「そうしたら両手を背中に回してもう片方の手首にも手錠を掛けるんだ。手探りでも出来る筈だ。」
 美沙子は一旦躊躇する。それをしてしまえば、無抵抗のままで犯人を迎え入れることになる。犯人に鍵で外して貰わない限り、両手の自由は奪われてしまう。しかもアイマスクで目隠しされたままでは、完全に無防備で何をされても抵抗出来なくなるのだった。
 美沙子は意を決した。殿井がきっと救いに来て呉れる筈と信じて、手錠をもう片方の手首にも嵌めることにした。
 ガチャリという冷たい音が体育館の暗闇の中に響いた。その瞬間、美沙子は自分の自由が完全に奪われたことを悟った。

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