高野

新任教師 美沙子





  十二

 週の始めだった。有給休暇はあるものの、美沙子のような新任教師にとっては休みを貰うというのはさすがに言いにくいものがあった。しかし、週末のいまわしいショックから立ち直ることは出来ていなかった。平常心で教壇に立てるとは到底思えなかったのだ。自分に向けられる顰蹙の視線を覚悟の上で、美沙子は休みを取る連絡をいれたのだった。

 ピン・ポーン。
 突然鳴った玄関のチャイムに、美沙子はドキッとする。
 (また、理不尽な命令が届いたのでは・・・。)
 こっそり窺うように玄関に向かった美沙子の目に曇りガラスの嵌った格子戸の玄関扉の向こうに人影が立っているのが見える。
 「高野先生・・・。高野、美沙子先生。いらっしゃいますか。」
 聞き覚えのある声で、すぐに自分をこの借家に案内してくれた教務主事の殿井の姿が目に浮かんだ。
 「あ、殿井先生ですね。今、開けますのでお待ちください。」
 美沙子は内側から掛けていた玄関錠を外す。昔ながらのスクリュー式のネジになったものである。
 「おや、高野先生。起きてらしたんですね。伏せってられるのではと、心配しておりました。」
 「あ、いえ。今朝も出ようとしたのですが、突然立ち眩みがしてしまって。時々、季節の陽気のせいか、貧血気味になることがありまして・・・。」
 咄嗟に美沙子は嘘を吐いた。
 「おや、それはいけませんな。いえ、何ね。校長にちょっと様子を見てきて欲しいと言われたもんだから・・・。」
 「それは、どうもわざわざ済みません。午前中、暫く休んでいましたら、大分よくはなってきたんですが・・・・。あ、どうぞ。お上がりになってください。今、お茶をお淹れしますので。」
 美沙子はすぐに帰って欲しかったが、さすがに玄関で門前払いという訳にもいかないと思ったのだ。
 「あ、いや、そうですか。それじゃあ、あまり長くならないようにしますので。」

 美沙子は殿井を応接間として使っている玄関に続く小部屋に案内する。応接間と言っても名ばかりで、ソファ代わりの籐の椅子がふたつとガラステーブルがあるきりの部屋である。それでも、前の住人は応接間として使っていたらしかった。
 「今、お茶を淹れて参ります。あの・・・、冷たいのと温かいのとどちらがよろしいでしょうか。」
 「あ、いや。・・・。冷たいほうが・・・うれしいですなあ。」
 美沙子は殿井を応接間に残して台所へ向かう。

 冷たい麦茶をグラスに入れて出し、何気ないよもやま話を暫くした後、突然殿井が切り出したのだった。
 「先生。フェラチオってのがありますよね。あれは、する女性の側も気持ちいいもんなんですか。」
 「はあ?」
 美沙子は聞き間違いをしたのだと思った。しかし、殿井の口から出た言葉は確かにフェラチオと聞こえたようにしか思えなかった。
 「フェラチオ・・・って、ご存じですよね。・・・。いや、私なんてね。古い人間でして。そんなの、私らの時代には考えられなかった事です。それがね、実はついこの間生徒指導の時にひとりの男子生徒から尋ねられましてね。その子の、何ていうんですか・・・。いわゆるガールフレンドっていうのが居て、その娘からフェラチオさせてって言われたっていうんです。」
 「フェ、フェラチオ・・・ですか?」
 「そう、それでその男の子もそんな経験はなかったらしく、慌てて逃げ帰ったらしいんですよ。で、生徒指導で二人だけの時に私にそんな質問をしてきましてね。いや、私なんて昔の人間だし、性の事には晩生なほうでしてね。お恥ずかしながら私には経験がないのですよ。男の立場で気持ちいいのかもしらないのに、ましてやそれをなさる女性側が気持ちいいのかどうかなんて、まったく想像もつかない事でして・・・。」
 美沙子はからかわれているのかとも思ったが、殿井の表情は(今の若い子らには付いていけなくて困り果てている)という顔にも見えたのだった。
 「そ、それは・・・。その人に依るんじゃないでしょうか。」
 美沙子は内心、(そんな事はお答えできません)ときっぱり言うべきだったとも思った。美沙子の答え方は、自分の場合は・・・と続いてしまいかねない答え方になってしまっていた。フェラチオの経験は無い訳ではないと答えたに等しかった。そして、前の日曜日に男に連れ出され、最後に夜の公園で男のモノを咥えさせられた時の事がちらっと脳裏を掠めた。
 「そんな事もまだ未熟な若者に応えることが出来ないなんて、何とも情けないことでして・・・。ああ、私も若いうちにもう少し経験を積んどくんだった。なにせ、私らの頃は・・・。」
 「あ、あの・・・。もし、宜しければ明日には学校に出れるようにしたいと思いますので。いろいろ、準備とかもありますから・・・。」
 「あ、これは失敬。もうおいとましなくちゃ。あっと、そうだ。もう一つだけ。先生に聞いておかなくちゃならない事がありましてね。」
 殿井の(もう一つだけ)という言葉に、それだけ答えて早く話を切り上げてしまおうと決心した美沙子だった。
 「実はですね。学校宛に問合せがありましてね。その、つまりこの街のさるデパートからなんですが・・・。」
 美沙子は咄嗟に嫌な予感がした。
 「そこのデパートである狼藉事件がありましてね。それで、これこれこういう女性は居ないかという問合せなんですよ。」
 「はあ・・・。ろ、狼藉って・・・何の事ですか?」
 「いやね。客の誰かが店の商品を汚して帰ったらしいんですよ。」
 「商品・・・? って言いますとどんな・・・。」
 「それがね。ある高級なガラス細工の壺らしいんですが。こともあろうに、そこに小水が入れられて、展示棚に戻されていたっていうんです。」
 「ど、どうしてそんな事が・・・。小水だってどうしてわかったんですか?」
 「それは何、臭いですよ。それにその小水の中にティッシュが入れてあって、中でふやけていたようなのです。それで女性の仕業じゃないかという事になったらしいんですよ。」
 美沙子はこめかみから汗が噴き出ているのではないかと思った。 
 「でも、デパートの中で、そんな事、考えられないのではないでしょうか。」
 「そうなんですよね。でも、ところがなんです。もう一つ変な事件・・・っていいますか。変な事がありましてね。大人用の紙おむつの売場である女性が紙おむつを購入しましてね。その店員の前でそれまでしていた紙おむつと穿き替えたっていうんですよ。変でしょ?」
 「そ、それは変ですね。だ、だけど・・・。その二つの事件は関係ないんじゃないですか?」
 「それが、その二つの売場でそれぞれが似たような女性を見かけているんです。二人の売り子の証言を突き合わせると同じ人物らしいというのですよ。」
 「・・・・。」
 美沙子が膝ががくがく震えてくるのを感じていた。心臓も殿井に聴こえてしまっているのではないかというほど高鳴っていた。
 「あ、あの・・・。それで、そのデパートは何て言ってきてるんですか?」
 「それがですね。大体年齢は分かっているんで、うちの教職員の名簿と顔写真が写っているものを貸してくれないかっていうんですよ。あ、勿論、うちの学校だけじゃなくて、町中の学校とか病院とかに問い合わせているそうなんですが。」
 「そ、そんな・・・。そんなの、駄目ですよね。だって、個人情報でしょ。プライバシーの問題とかもあるし・・・。」
 「ま、そりゃそうですがね。ただ、変な疑いは晴らしておきたいって気持ちもありましてね。」
 「それは判りますが、でも・・・。」
 「でね。毎年、恒例の教職員の慰安旅行があって、その時に毎回撮っている写真があるので、それを見せて疑いを晴らそうと思っているんですわ。」
 「そ、そうなんですか・・・。」
 「ただね。高野先生はこの学校に来たばっかりだから、これまでの慰安旅行に写ってる訳はないし・・・。」
 (あっ)と内心、美沙子は声を挙げてしまっていた。そうなのだ。自分の写真は転任したばかりだから無い筈なのだった。ふと安堵の気持ちを擡げ始める。
 「なので・・・、もし良かったら一枚、先生の写っているお写真をお貸し願えないかと思いましてね。」
 美沙子は思わず、目の前の殿井の顔を穴が開いてしまうのではないかと思うほど凝視してしまった。
 「だ、だ、駄目ですわ。そんな事、出来ません。」
 「どうしてですか?」
 「い、いえっ・・・。あの・・・。困るんです。」
 「えっ、困るって・・・。まさか、あの・・・。」
 「いえっ、そういう事じゃないんです。でも、ちょっと事情がありまして・・・。今は言えないんですが、ちょっと事情がありまして・・・。」
 「事情ねえ?」
 「先生っ。お願いです。こ、今回の事は先生の胸のうちにしまっておかれて・・・。出来たら写真は私以外の先生のものだけで済ませては貰えませんでしょうか。」
 「えっ?先生はうちの学校には居ないって事にするってことですか?ま、今の所、この話は校長にはしてないんで、学校では私しか知らない事ですから・・・。」
 「お願いします。どうか、訳は訊かないで。お願いしますっ・・・。」
 美沙子は自分でも気づかないうちにガラステーブルに両手を付いて、深々と頭を下げていた。
 「私が言わなければ判らないことではあるんですが・・・。それだと、私が秘密を作るって事になっちゃいますし・・・。変な事になったら、私だって首が飛びかねない。」
 美沙子は顔を上げて、目の前の殿井に涙請いをするような目つきになる。
 「・・・。あの・・・。」
 美沙子は何としてでもこの窮地を乗り切らなければならないと感じていた。
 「殿井…先生。・・・。先生とある秘密を共有する・・・、そういう事にして貰えませんか。」
 「えっ? 秘密を共有する・・・?」
 「・・・・。あの・・・。先生が今日仰っていたことですが・・・。先生が若い頃、経験することが出来なかったことを、・・・、私が・・・、その、先生に・・・して差し上げたら・・・。」
 「貴女が私に・・・? それって、もしかして・・・。」
 「お互いが秘密を守るという事です。」
 ごくっと殿井の喉が鳴った音が美沙子にも聞こえた気がした。
 「本気ですね・・・?」
 美沙子は殿井から目を離さずじっと見つめて返事をしなかった。
 殿井はゆっくりと手を股間のほうに下げ、ズボンのチャックを下し始めた。美沙子がそれを見て身じろぎもしないのを確認すると了解の意志と受け取ったようだった。今度はズボンのベルトを外してズボンを膝までゆっくり降ろす。
 美沙子は(今はこれしかないのだ)と何度も自分に言い聞かせていた。そして、殿井のトランクスに手を伸ばす。美沙子の手が殿井の剥き出しにされた太腿に触れると殿井がビクッと反応する。トランクスの中で見えないものが膨らみ始めているのを美沙子は感じ取っていた。
 「殿井先生。これがフェラチオというものです。」
 そう言うと、膝まで美沙子が下したトランクスから露わになった男性自身に美沙子は目を瞑って唇をあて、そのままゆっくり口に含んだ。つうんとした刺激臭が美沙子の鼻を突いた。せめて濡らしたタオルか何かで拭った上でしたかったが、美沙子には殿井の気が変るのが怖かった。
 「あうっ・・・。いい、・・・。凄くいいっ。」
 いつの間にか殿井は美沙子の後頭部を両手で掴んで自分の股間に強い力で引き寄せていた。まるで(逃さんぞ)と言わんばかりの力だった。美沙子は喉の奥まで突き立てられようとしているのを必死で耐えながら、舌を絡めていくのだった。

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