新任教師 美沙子
十六
次の時限の国語の授業に出ようとする美沙子は、絞首台に牽かれていく絞首刑囚のような気分だった。自分は間違いなく生徒等の前に晒し者にされるのだと思っていた。しかし、それしかこの状況を打開する策は見いだせないのだと、教務主事の殿井からは言い諭されていた。美沙子自身には、自分をこんな窮地に追い込んでいる脅迫犯を見つけられる自信など更々無かった。しかしそうするしか道は無いのであろうことも重々理解はしていた。
意を決して教室の扉がガラッと開く。
「起立っ。」
当番の男の子の声が教室に響く。しかし、その一瞬後、教室の全員が美沙子の下半身に釘づけになったようにしいんとしたのを美沙子は感じない訳にはゆかなかった。
「れ、礼っ・・・。」
当番の声も裏返っているように美沙子には聞こえた。
これまでも何度も脅迫犯から命じられてミニスカートにノーパンで教壇に昇らされた。しかしそれでもその時は美沙子自身が購入した短めのスーツスカートではあったのだ。それが、この時は同じデザインではあるものの、脅迫者から送りつけられた更に丈が10cmは短いと思われる超ミニのスカートだったのだ。しかもストッキングも着けていない生脚なのだ。
「えーっと、今日も産休に入られた下山先生の代理で授業をします。中間試験前の大事な時期です。今日の授業からの出題も充分にあると思って、授業に集中してください。それでは授業を始めます。」
そこまでは頭の中で何度も練習した言葉をすらすらっと最後まで言い遂せることが出来た。
その時、ガラッと音がして教室の後ろ側の扉が開かれた。入ってきたのは教務主事の殿山だった。
「と、殿山…先生っ・・・。」
殿山はつかつかと入って来るなり生徒等の机の間を擦り抜けて美沙子のすぐ傍までやってきた。そして、美沙子に耳打ちするようにそっと呟いたのだった。
「生徒たちには今度の研究授業の下見として教務主事に見学して貰うことにしましたと伝えなさい。私は授業中、生徒等の様子を監視して、犯人らしき者が居ないかずっと探る事にします。授業中はなるべく生徒等の間を朗読でもしながら歩いて、出来れば生徒等を挑発してみてください。」
美沙子は教務主事の言葉が生徒等に聴こえなかったかのほうばかりが気になっていた。
「ええ、でも・・・。」
殿井は言うことだけ言うと、教室の後ろに下がってしまう。
「えーっと、皆さん。今度の月末には研究授業がこのクラスでも行われることはご存じと思います。今日はその事前準備として、教務主事の殿井先生に授業の様子を視察して頂きます。皆さんは、普段通りにいつものように授業を受けていてください。宜しいですね。それでは授業を始めます。」
一気にそう説明した美沙子のことを変に思った生徒はいなかったようだ。むしろ生徒たちは美沙子の異様に短いスカートのほうにばかり関心が集まっていたといってもおかしくなかった。
美沙子は努めて平静を装って授業を進めているつもりだった。間近に迫っている中間試験に出る可能性のある箇所を生徒たちに順に指名して朗読させながら、生徒等の机の間をゆっくり巡っていた。時々ちらっと生徒等の背後に立つ教務主事の殿井の様子も確かめる。殿井も授業の様子をメモする振りをしながら生徒等の一挙手一投足を監視しているように見えた。
「そして、メロスはセリヌンティウスの元へ走り寄った・・・。はい、この先。木下君、読んで。」
美沙子は生徒等の机を廻りながら課題図書の一節を読み終えると、続きを生徒等に朗読するように指示する。生徒等は教科書を見ているようで、隙さえあれば、美沙子の短いスカートからこれみよがしに伸びている生脚をちらちら窺っているのは間違いなかった。
ふいに美沙子の背後で何やら気配がした。誰かが美沙子の後ろで手を伸ばしていたのをさっと引っ込めたように見えた。
「何っ。今、何してたっ。」
慌てて机の上に何かを隠した男子生徒の手首を掴んで上に引っ張り上げる。その手に握られていたのは小さな手鏡だった。
(ま、まさか・・・。)
「あなた、何をしようとしてたの。正直に言いなさい。」
男子生徒は顔を真っ赤にして俯いたまま答えない。
(見られたのかもしれない。)
そう思うと、美沙子もこれ以上事を荒立てるのはまづいかもしれないと思い始める。
「先生っ。」
突然教室の端のほうで手を挙げた女子生徒が居た。学級委員の山下恵子だった。
「どうしたの、山下さん。」
立上った山下が何やら手に翳して立上っていた。美沙子は山下の元へ歩み寄る。
「こんなものが前の授業中に生徒の間で廻っていたんです。」
手渡されたのはちいさなメモ書きを丸めたものだった。それを開いた美沙子は蒼褪める。
(今度の授業に高野美沙子はノーパンでやってくる)
筆跡をわざと崩したような金釘流の書き方だった。
「だ、誰っ。こんな悪戯をしたのは・・・。」
いいながらも、心の中ではわなわな震えている美沙子だった。生徒たちはおそらく全員が自分の短いスカートの下はノーパンなのではないかと疑いながら自分の下半身を窺いみていたのだと判ったからだ。
「いい。今は中間試験前の大事な時なのよ。こんな悪戯をして、勉強への集中を妨げるような行為は絶対に許しませんから。じゃ、続きを読んで。」
そう強く言い放った美沙子だったが、その時から後は美沙子のほうが授業へ集中出来なくなってしまい、ほとんど上の空で授業を続けたのだった。
「どうでした。怪しい生徒はいましたか。やっぱり、あの手鏡で私のスカートの中を覗こうとした男の子でしょうか。」
授業が終わって先に出た殿井を追って、休み時間に理科準備室にやってきた美沙子だった。
「あの子は違うな。あの授業ではほぼ全員が高野先生がノーパンではないかと疑ってみていた筈だ。あの子は挑発されてつい手を出してしまったという奴だよ。真犯人はみんなが居る中で一番疑われるような事をする筈がない。あの怪文書は真犯人が書いてあの教室に置いておいたものに違いないだろう。もし真犯人が本当にスカートの中を覗いてみたいんだったら、あんな怪文書を事前に置いておく筈がないじゃないか。」
「でもそうだとすると、他にいましたか?」
「残念ながらあの状況ではみんなが怪しい雰囲気だったと言わざるを得ない。私も最初から皆の表情を見渡して怪しい目つきの者を捜していたんだが、皆怪しげな目つきだったよ。まさか事前にあんな怪文書を回す手筈を整えていたとはね。」
「やっぱり生徒なんでしょうか?」
「そこはなんとも言えんな。生徒のほうが教室に怪文書をそっと置くのはたやすいだろうからね。しかしだからといって、他の職員に出来ないかと言えば、そうとも言えない。・・・・。そうだな。まだ今日は時間がある。引き続き、怪しげな動きをする者が出てこないかどうか、こっそり見張ることにしよう。今日は一日、その格好のままで居たまえ。いいね?」
「わ、わかりました。よろしくお願いいたします。」
美沙子はすごすごと引き下がらざるを得なかった。
職員室に戻ると、隣の若手の社会科教師の角田が目敏く美沙子が着替えたのに気づいた。
「あれっ、何時の間にか着替えたんですね。そんな洋服、持ってたんですか。」
「ああ、偶々ロッカーに休みの時の服を置いてあったんです。実は珈琲を溢しちゃって、朝着てきた服を汚してしまったものだから、仕方なくこっちに替えたんです。」
「そっちのほうが、全然いいですよ。高野先生はスタイルもいいから。脚も長く見えるし・・・。」
社会科教師はセクハラぎりぎりの言い方だったが、美沙子はさり気なく受け流した。
その日は、その後はとうとう何も起こらなかった。少なくとも美沙子が不審に思うような出来事は起きなかったと言える。音楽の授業もあったが、試験前なのでピアノ伴奏はせずに音楽史の座学で通した。実は穿いているミニのタイトスカートでは音楽室のグランドピアノの前に座ると、ペダルを踏む際に、スカートの奥が丸見えになってしまう惧れがあったからだ。試験前であった事に美沙子は内心ほっとしたのだった。
最後の授業が終わると、美沙子は早めに帰宅しようと思い、理科準備室に向かう。服と下着を返して貰う為だ。しかし、理科準備室に殿井は不在だったらしく、鍵が掛かったままだった。美沙子は途方に呉れる。職員室では男性教師たちの視線が気になって仕方なかったので職員室で待つのもためらわれた。その日、もう何人もの男性教師からミニスカートの事で声を掛けられてしまっていた。その度に殿井に教えられた嘘を吐かねばならないのだった。しかもスカートの下は何も穿いていないので、自分の席ではあっても立ったり座ったりする度に裾の奥を覗かせてしまわないように細心の注意を払わねばならなかった。
美沙子は職員室では気が休まらないので、音楽室へ行くことにした。今は試験前でブラスバンド部の練習も中止になっていて、誰も居ない筈だった。音楽室は美沙子にとってはいわばホームグランドのようなものだ。そこで今日出来なかったピアノの練習でもしていれば気がまぎれそうだった。
音楽室はやはり誰も居らずしいんと静まり返っていた。教室の隅にあるグランドピアノの蓋をあけ、専用の長椅子に腰を掛ける。今は誰も居ないので、短いスカートの奥が覗いてしまうのを気にする必要もない。美沙子はベートーベンの月光を弾きはじめた。しかし、その時音楽室の反対側の隅に置かれていた段ボール箱の中に隠されたビデオカメラが廻っていることには美沙子は全く気付いていないのだった。
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