アカシア夫人
第三部 忍び寄る男の影
第二十九章
その次の朝もいい天気だった。朝の清清しい空気を吸いたくなって、貴子は寝巻きにしているネグリジェのままバルコニーに出てみることにする。昨日の午後の事を思い出して、フレンチ窓を開ける前に外の様子を確かめて、人影はないことを確認する。
日が差し始めていた。その陽だまりの中で貴子は思いっきり手を挙げて伸びをする。ネグリジェは夫の和樹がどうしてもこれにしろと言って聞かなかったベビードールというタイプの股下ぎりぎりまでしかない丈の短いものだ。山奥の山荘だからこそ、こんな格好でもバルコニーに平気で出られるのだ。街中だったら変態と思われてしまうかもしれない。貴子は木製の手摺りに手を付いて、ウッドデッキから階下を眺める。その時、また何か視線のようなものを感じる。
辺りを見回してみて、例の巣箱を見つける。
(なあんだ。あれか・・・。)
巣箱の正面に黒くぽっかり空いた穴が、眼のように見えたのだ、と貴子は思った。ようく眼を凝らすと、ひとつだけでなく、幾つも巣箱が掛っているのに気づいた。木の色や古さは色々で、かなり前から時々付け替えたりしているようだった。
(あの、バードウォッチャーさんて、意外とマメなようね。)
貴子は巣箱を抱えて森の中を歩き回っている男の姿を想像していた。
男はスタジオにしている自分の小部屋の扉の鍵を内側からちゃんと掛っていることを確認してから、おもむろに窓のブラインドを操作して部屋を少し暗くする。そしてロッキングチェアに深々と腰を下ろすとリモコンを操作してパソコンの画像ソフトを起動する。プロジェクターの光が壁にパソコンから送られた動画を再生し始める。
画面には遠目だが一人の女がデッキチェアに寝そべっているのが見える。カメラの望遠ボタンが操作されたらしく、女の姿が徐々にアップになってゆく。最初の画面では山荘全体が見渡せるぐらいだったのが、女の居る二階のバルコニー部分のみになり、更にアップになって、女の身体全体が画面いっぱいになるところまで拡大された。
女は完全に寝入っていた。短いスカートから無造作に投げ出された白い腿が眩しい。若干フレアになったその短いスカートの裾が時々風に煽られると、腿の奥が一瞬覗いてしまう。女はすっかり寝入っていて、下着が時々露わになってしまっていることに全く気づいていない様子だった。女が手を挙げて眼をこする。正気にかえったらしいところで映像はぷつんと停まる。
画面が変わって、先ほどのバルコニーのフレンチ窓全体が映っている。そこに女の白い影が見え隠れするようになる。するっとそのフレンチ窓が開くと女が下半身裸のあられもない姿でバルコニーに出てきた。女が大きく伸びをすると、丈の短い寝巻きの裾から下穿きが丸見えになる。しかし女は全く気づいていない。下着が現れるシーンが何度も繰り返される。しかも繰り返される度にズームアップされてゆき、最後は下着のみをアップでしっかり映しだすようになった。繰り返し編集されたものだった。
男はおもむろにリモコンのスイッチを操作して画面を停めた。
男は斜め後ろの壁を振り返る。そこには望遠カメラで捉えた写真を大きく引き伸ばしてポスター大にしたものが貼られている。森の中の写真だが、鳥を捉えたものではない。かなりのズームになっているが、写真の専門家が撮っただけあって、かなり鮮明な画像だ。落葉松の林を背にして、丈の低い藪の中に女が一人蹲っている。というよりもしゃがんでいる。脚は大きく開かれて膝のところに白い布切れが絡まっている。
男は机の抽斗からぴっちり封をされたビニル袋を取り出す。中にはティッシュを丸めたものが入っている。壁の写真の撮影日に採取されたものだ。
男は更に抽斗の奥に手を突っ込む。別の封をされたビニル袋が出てくる。こちらも白っぽい塊だが、丸めたティッシュよりは大きなものだ。白い紙に包まれた塊が幾つも入っている。男の視線が別の壁に掛けられたカレンダーのほうへ移動する。
(もう、そろそろだな。)
男はカレンダーの日付と自分の腕時計のそれとを見比べて確認するのだった。
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