妄想小説
料理研究家の誘惑
七
「いや、御馳走さまでした。さすがに料理研究家の手料理は違います。」
「そうどすか。気にいってもろうてよろしゅおしたわ。あら、もう一杯いかがどすか?」
千鶴は空になった瑛太のワイングラスに瑛太が持参した手土産の年代物ワインを薦める。
「じゃあ、もう一杯だけ。千鶴さんもいかがです?」
「おおきに。それじゃ私ももう一杯。」
千鶴も注いで貰ったグラスを翳してその向こうに見える瑛太に向け乾杯の目配せをする。
「それにしても大きなお屋敷ですね、こちらは。」
「まあ、大きいだけどす。古民家を改築したんどすけど古いばかりで・・・。」
「いや、趣きがあって素敵です。もっと御宅の奥も見せて頂きたいものです。」
「そですか? もうたいして見るもんもありまへんけど、よろしかったらご案内しまひょ。」
「そうですか。それは愉しみです。」
「こっちが奥座敷ゆうんですか、昔は祝言などあげはったところらしゅうて。」
「へえ、立派ですねえ。わあ、この梁なんか凄っごい太いですね。何かぶらさげてもびくともしない感じだなあ。」
「え、何かって・・・。何だっしゃろ?」
「ここに今は何人でお住まいなんですか?」
「娘はもう独立しとりますさかい、主人と・・・。まあ、ゆうても主人も今夜みたいに外に出てる日も多まっさかい、一人暮らしみたいなもんどすぅ。」
「そう・・・なんですか。もったいないですね。お庭も広いし・・・。」
「そうですね。お隣ゆうても、すぐ近くに棲んどられる方はおりひんのどす。庭は広いですけど、どっからがお隣ゆうことはありしまへん。」
「それじゃあ、騒がしいこともないんですね。」
「却って、物音がしなさすぎて淋しいぐらいどす。」
「淋しい・・・ですか。」
「あの・・・。瑛太はん。」
突然、千鶴はあらたまって、しいんとした奥座敷の中央に瑛太には背を向けて正座する。
「どうしたんですか、千鶴さん?」
「この屋敷には今、あなたはんとウチの他は誰もいひんのどす。ウチら、ふたりだけどす。」
「そ、そう・・・ですね。」
「そやさかい、瑛太はん。お願いしたいことがおす。」
「・・・。」
「その隅にある文机の抽斗を開けておくれまへんか。」
「これ・・・ですか。」
瑛太が座敷の隅にある文机に近寄ってゆき、抽斗を引いてみる。そこにあったのは艶やかな麻の縄の束なのだった。
「ウチをそれで折檻して欲しいんどす。」
「折檻・・・?」
瑛太が千鶴のほうを振り向くと、千鶴は正座したまま両手を背中に回して手首同士を交差させている。
「あん時から、もう忘れられへん身体になってしもうたのどす。そんな私を折檻して欲しいんどす。」
「縛って欲しいのですね。」
「ああ、私にそれを言わせんでおきひんやろか?」
「ふふふ。いいでしょう。」
瑛太は縄束を取り上げると、すくっと立上ってゆっくりと千鶴の方へ近づいてゆく。
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