思案

アカシア夫人



 第八部 周到なる追尾




 第八十二章

 俊介は泊ってゆきたいと言ったが、貴子のほうが半ば強引に俊介を帰らせたのだった。誰かに知られるという惧れよりも、行き着くところまで行ってしまいそうなのが怖くなったのだ。
 (今晩だけという約束だから・・・。)そう宥めて、俊介の肩を押し、最後に軽い口づけを交わして、身体を離したのだった。
 暫くは、熱い火照りの余韻に浸っていた貴子だったが、眠れそうもないと悟って、起き上がることにした。
 俊介に縄を解いて貰った時から、殆ど全裸状態だった。シーツから抜け出ると、下着もネグリジェも身に着けず、湯上り時に使う白いタオル地のガウンだけ上から羽織って貴子は自分の書斎へ向かうことにした。

 パソコンの前で、貴子はぼんやりとしながら頬杖をついていた。
 (やっぱり、縛られるのは快感だった。夫の時とは違う、あれを愉悦というのかしら。)
 貴子は自分がマゾなのではと思ってしまう。しかし、女性週刊誌などで読んだことのある、鞭打たれることや尻を叩かれるのを好むというのとは違うとも思う。拘束されるということで、何か身体の奥底が疼いてしまうのだった。
 俊介の出したものを呑んでしまったことも、貴子は自分のことながら驚いていた。あの時はただ夢中だったが、吐き出したくはなかったのだ。
 (どうして、夫の時とはこんなにも違うのだろうか・・・。)
 無我夢中ではあったが、貴子はあの時、頭の中にふと、夫への復讐なのではという思いが浮かんでいたのを思い出していた。今、ここでザーメンを呑んでしまえば、夫への復讐になると確かにふと、そう思ったのだ。夫にはしてあげないことを、夫以外の男にしてあげる。そう出来るという思いが、貴子の背中を押したのだったような気がしたのだ。

 (吉野、卓三・・・。確かそう言ってたっけ。)
 ふと貴子は、俊介がそんな名前を口にしたのを突然思い出したのだった。
 俊介の為に夕飯の皿を並べている際に、思いついて俊介に訊いてみたのだった。

 「ねえ、この間、話してくれた真行寺っていう未亡人の人。その夫人の事を知っている人って、誰か居ないかしら?」
 「ああ、あの急に居なくなった未亡人の人ね。そう、確かあの人の別荘で下働きをしていた老人が少しは知っている筈じゃないかな。」
 「えっ、そんな人、居るの?今、何処にいるの。」
 「ああ、確か、すずらん平から、まだずっと奥に山のほうへ登っていった先にある小屋で一人暮らしをしてるって聞いた気がするな。真行寺さんが居なくなってから、もう仕事も引退しちゃって、昔やってた樵に戻ったらしいよ。」
 「へえ、そうなの。そこって、私でも行ける場所かしら。」
 「まあ、細い道だけど行けることは行けるんじゃないかな。でも結構坂が急だから大変だよ。あ、でも、奥さんの電動自転車ならどうってこと、ないか。」

 その時に聞いた名前が、吉野卓三だったのだ。
 (今度訪ねていって、訊いてみなくっちゃ・・・。)
 貴子は何をしたいという思いも無いまま、目の前のパソコンの蓋をあげて、起動させてみる。ブーンという微かな響きとともに、プログラムが自動で立ち上がっていく。
 (そうだ。俊ちゃんの友達が、パソコンでいろいろ検索をしてるって言ってたっけ。)
 貴子も検索プログラムを起動させると、言葉を打ち込んでみる。
 (鎌倉夫人・・・と。)

karui

 鎌倉夫人は、昔の純文学小説らしく、その関連の記事がずらずら並ぶ。しかしそのずっと後のほうに、貴子が俊介に頼んで買って貰ったあのDVDなどが出てきた。「鎌倉夫人 アダルト」と変えてみる。すると今度は、そのキーワードで、軽井沢夫人、武蔵野夫人など次々と引っ掛かる。どれもアダルト系のDVDで、同じ様なテイストの作品が引っ掛かるようだった。
 今度は「夫人 アダルト」で再度検索し直してみる。すると、今度はチャタレイ夫人やエマニュエル夫人、果てはサド侯爵などの洋モノが多く引っ掛かるようになる。
 (少し、範囲を広げ過ぎちゃったかしら・・・。まさか、すずらん夫人はないわよね。)
 そう思いながらも指はキーボードでその言葉を叩いていた。
 「あった・・・。」
 引っ掛かったのは一件だけだった。おそるおそるクリックしてみると、いろいろといかがわしい系統のビデオが一杯並んでいるサイトだった。かなりハードな作品ばかりを集めているようで、貴子が眉を顰めた鎌倉夫人や、軽井沢夫人などはまだまだおとなしい部類の物のように思われた。相当な数の猥褻ビデオが紹介写真とともにタイトルと値段だけの案内で延々と並んでいた。幾らスクロールしていっても、貴子が引っ掛けた筈のすずらん夫人というタイトルは出て来ない。
 (そうだ。ページ内検索ってのが確かあった筈・・・。)
 パソコンにはそこそこ詳しい夫に教えて貰ったその機能は、すぐには思い出せなかった。いろいろいじっているうちに画面上部のメニューの中にそのボタンを見つけた。
 ページ検索で再度検索をし直すと、画面はその延々と続くページの最終部分辺りにいきなり飛んだ。そこにも幾つか画像とタイトルが並んでいるが、画像には全てモザイクが薄っすら掛かっている。不思議なことにここには値段が載っていない。すずらん夫人は、幾つかある画像の最後のほうにあった。おそるおそるその画像の上をクリックしてみる。
 「ポーン」
 突然、普段はあまり聞き慣れないアラート音が鳴って、画面に注意書きの表示が出た。
 「アクセス権がありません。」
 小窓にそう表示されている。画面をもう一度良く見返すと、少し上のほうに、「ここからは会員専用サイトです。」という表示が出ていた。
 (会員専用なのかあ・・・。)
 諦めきれずに、もう一度そのモザイクが掛かった作品案内の画像を目を凝らして見返す。
 「あっ・・・。」
 思わず、声が出てしまった。そのモザイクの掛かったはっきりしない画像は、どことなく、以前銀座の画廊で見たバードウォッチャーの唯一のポートレート作品のモデルに似ているような気がしたからだった。

madam

  次へ   先頭へ



ページのトップへ戻る