アカシア夫人
第四部 突然やってきた闖入者
第三十九章
数日後、脱走囚は八ヶ岳の山麓の森の中で首を吊って死んでいるのが発見されたと新聞に小さく載っていたとマスターが話しているのを貴子は小耳に挟んだ。貴子も家に戻って新聞を確認したが、男が手首に手錠を嵌められていたかについては特に触れられていなかった。護送中に脱走されたという失態もあってか、警察は必要以上に詳細については発表していないようだった。
久々に帰ってきた夫の和樹も事件についてはニュースで知っていたが、自分の家が関係していることは誰からも聞かされていない様子だった。
「あんなに大事にしてたミシンを、階段から落としてしまったっていうのか。」
「そうなの。手摺りを壊してしまったのは仕方ないけど、あのミシンは愛着があったので、ちょっとショックだったわ。また同じものを買ってくださいね。」
階段の手摺りが壊れたことを二階からミシンを持ってくる際に、取り落としてしまったのだと説明したのだった。和樹は全く疑っていないようだった。
「三河屋が知り合いの工務店があるから紹介してくれるそうだから。階段もすぐに直るから、気にしなくていいよ。」
工事の手筈を整えた和樹は、何も知らない風で、そう貴子を慰めるのだった。
唯一、明るみにされた以外の事を知っているのは、三河屋の俊介だった。しかし、俊介との間では、別の重大な秘密があるのだった。その事があって、貴子は俊介があの日の事を軽々しく誰かに言う事はないと確信していた。心配なのは、俊介が自分に対しての思いを募らせはしないかという事だった。
(まあ、わたしみたいな年増のオバサンには惹かれるわけないか・・・。)
そう自分に言い聞かせる貴子だった。
貴子は階段の手摺りについてはうまく言い繕えたのだが、和樹の抽斗から持ち出した手錠については、何とかしなければとずっと気に掛っていた。和樹はまだ気づいていない様子だったが、発覚する前に似たようなものを手に入れて戻しておかねばと思っていた。
自分のパソコンで検索を掛けて調べていて、東京の遊楽街の一角にそういう怪しいものばかりを売っている店があることを見つけた。それを知ると一刻も早く買いにゆかねばと思い出す。しかしそういう時に限って、和樹が山荘に居る日が続くのだった。
貴子は思い切って、和樹に一人で東京へ行かせてほしいと言い出すことにした。
「何しに東京なんかへ独りで行くんだい。」
和樹の言葉は、お前なんかに東京に用のある筈はないとでも言いたげだった。
「東京っていうか、実際には藤沢なの。そろそろ父の命日だし、お墓のことがずっと気に掛っていて。蓼科に越してきてから、まだ一度も行っていないでしょう。」
「墓かあ。お前、一人で行くんでいいんだよな。」
貴子は父のことを言い出せば、和樹は行かないということを読んでいたのだ。果たしてその通りになった。
「私の親だから、和樹さんはいいわよ。ただ、駅までは送って下さる。」
「ああ、そのくらいだったら構わないよ。帰りの特急の時間を教えておいてくれれば、駅まで迎えにもゆくから。」
夫が居る日は、三河屋に送って貰う訳にもゆかない。バスでは一日で行って帰ってくることも叶わない。タクシーも数が少ないので確保出来るかどうか判らなかったのだ。しかも俊介がタクシーの運転手は口が軽いからとも言われていた。
次の朝、貴子が寝室のドレッサーの前で出掛ける為に念入りに化粧をしていると、鏡に近づいてくる和樹の姿をみつけた。
「貴方、もう少し待ってね。もう終るから。」
耳にイアリングを留めながら貴子は和樹に声を掛ける。
「その前に、ちょっとこっちを向いてごらん。」
和樹は貴子の化粧の具合でも確認するような口調でそう言ったのだった。
「そこに立って。」
貴子は和樹のほうに向き直って、立ち上がる。
「こんな格好でいいかしら。」
「いいかどうか、今調べてやる。スカートを持ち上げて捲りあげて。」
貴子は和樹の命令口調に動揺する。誰も居ない筈の家の中だが、誰かの視線がないか思わず見渡してしまう。
「身体検査だよ。いいから言う通りにして。」
貴子は和樹の機嫌を損ねないように、言われた通りスカートを捲り上げる。この日も和樹が好きなベージュのプリーツスカートにしていた。勿論丈はミニである。しかも持っている中でもとりわけ短いものだった。そのミニスカートの下から、純白のショーツが覗く。和樹はショーツも純白か黒しか許さなかった。
「パンツも膝まで下ろして。」
何となくそう言われる気がしていた。貴子は俯いて言われたことに従う。
「もう、少し生えてきているね。浴室へ行って剃りなおしておいで。」
只では独りで外出させて貰えるとは思っていなかった。やはりという気持ちだった。しかし、それで独りで外出させて貰えるならと貴子は思うことにした。
浴室でショーツを取って和樹に渡されたシェービングクリームを塗りたくって、綺麗に剃り上げる。温かいタオルで拭い取ると、歳には似つかわしくない童女のようなつるつるのその部分が現れた。
ショーツを手に持って、和樹の待つ寝室へ戻った貴子は、再びスカートの裾を持ち上げてみせる。
「これで、満足かしら。」
「じゃあ、パンツの代わりにこれを嵌めて。」
和樹が差し出したものが何かは、すぐに判った。あの放尿プレイをさせられた晩から幾日も経っていない。
「そのギャザーの横のマジックテープは特殊な塗料が付いていて、貼り付けてから一度でも剥がすと色が変わる様に出来ているんだ。今日は帰ってくるまで絶対剥がしちゃいけないよ。もし外したことが分かったら折檻するからね。それが外出の条件だよ。一日それを嵌めたままで居るんだ。いいね。」
貴子にとって、まさかの命令だった。帰ってくるまでトイレに行くことも許されないということを意味している。ここで争っても無駄なことはわかっていた。
「わかりました。言う通りにします。」
「じゃ、パンツは預かるから。」
貴子は和樹にショーツを手渡し、代わりに紙オムツを受け取る。和樹は貴子がスカートを捲り上げて、紙オムツを着け終えるまでずっと監視していた。
「じゃ、行こうか。」
和樹に促されて、貴子はショルダーバッグだけを手にするのだった。
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