妄想小説
牝豚狩り
第十章 突入
その4
「あうっ・・・。」
声を挙げて蹲ったのは、男のほうだった。体育館の二階の応援席になっているバルコニーから、男の腿を目掛けて撃ち抜いたのは、良子だった。男が冴子の話に夢中になっている間にそっと音を立てずに二階へ上がってずっと狙いを定めていたのだ。
「銃を捨てなさい。もう逃げても無駄よ。外は警官で一杯よ。」
「畜生。」
男は床に回転するようにもんどりうつと、二階のバルコニー目掛けて、拳銃を発射した。身体を回転させながらの発射だったので、良子の耳元を掠めただけで済んだが、男の腕もかなりのものだった。良子も負けずに柱の陰に身を隠しながら、男に向けて発射する。が、狙いを定めて撃ち抜いた一発目と違って、そうは簡単には当たらなかった。
男は腿を抑えながら、体育館を走り出た。
男が外へ出たのを見届けると、良子は階段を走り降りて、冴子たちの元へやってきた。
「まあ、こんな格好にされて。」
良子は股間も露わに、パンツを下ろされてしまっている冴子のズボンを引き上げようとする。
「良子さん。そんなのは後でいいから、ヘアピン持ってない。」
良子は冴子に言われて頭を探る。
「あったわ。」
「じゃ、貸して。そしてちょっと馬になって。」
良子が冴子の足元に蹲ると、冴子は器用にその背中に乗っかって、良子から貰ったヘアピンで手首の手錠を外す。手錠が外れるや否や、良子から拳銃を受け取って、下ろされていたパンツを引き上げながらも、身体は既に男の後を追いかける為に走り出していた。
「冴子さん、気をつけて。」
良子は美咲を肋木に繋ぎ留めているベルトを外してやりながら、走り去る冴子に声を挙げた。
「山の下のほうは、警官がいっぱい来ているから、山の上へ逃げた筈よ。」
良子は、冴子に聞こえたかどうか、気にしながら、美咲の縄を解いていた。
男の太腿を撃ち抜いた良子の弾は、致命傷にはならないものの、少なからずのダメージを与えていた。走って逃げるのを辛くするだけでなく、血の跡を点々とさせて、逃げた方向を冴子に教えていた。冴子のほうは、男に加えられた腹部の打撃から立ち直りつつあった。日頃鍛えられた冴子の身体は、数発のボディブローではそんなに堪えることはない。
逃げる男のほうも必死のようだった。男が走り出てから数分も経っていない筈なのだが、もう姿が見えなかった。が、所々に点々と残る血の跡は、男が確実にそこを走って去ったことを示していた。
暫く駆け上がると、行く手に大きな岩が見え、その先には青空しか見えなかった。血糊の跡からすると、男はその岩の向こう側へ回り込んだようだった。
冴子は男から撃ってこられないか、用心しながら注意深くその岩に近づいていく。そして、その岩を背にしながら、ゆっくりと半身を岩の横へ滑らせる。
岩の向こう側は断崖の絶壁だった。あまりに傾斜が急な為に、斜面を伝って下まで降りることは不可能そうだった。が、男は既に5mほど下まで降りていた。が、そこで足の痛みと足場の不安定さに、踏みとどまっていた。
「もう無理よ。それ以上は降りれないわ。」
冴子は拳銃を構えながら男に向かって叫んだ。
男は岩にしがみついているのがやっとで、拳銃を使うことも出来ない状態にあった。
男は観念したかのように深い息を一回吐くと、岩の上の冴子を見上げた。
「見事だった。まさか、この俺が追い詰められる日が来るとは思いもしなかったぜ。」
「貴方もそうでしょうけれど、私だって、訓練された人間よ。実力は五分と五分だったかもしれないけれど、運が私に味方したのよ。」
「ふん、運だって。・・・、運だけで、ここまで来れたっていうのか。・・・、最後にひとつ教えてくれ。どうやら、お前はあのサイトのことを嗅ぎ付けたようだが、どうやってあれに辿り着いた?」
男は自分のやってきた一つひとつのことに、完璧で間違いはなかったと思いたいようだった。
「そう、あれは運だったのよ。貴方に何度も掴めかけた糸口を切られっぱなしだったけれど、あのサイトに辿り着けたのは運だったわ。貴方が、国仲良子を拉致した事件のすぐ後の頃よ。国仲良子は、あなたがさっき、へっぽこ巡査といった婦人警官よ。貴方の脚を私の指示通りに見事に撃ち抜いたのも、その国仲良子よ。」
「糞っ、あのへっぽこに撃たれたっていうことか・・・。」
「そう、その国仲良子が拉致され、行方不明だった直後に、世間ではATMの暗証番号詐取事件で持ちきりだったのよ。それが幸運な偶然だったの。貴方達に捕えられて狩りの餌食にされようとしていた時、客は他にも大勢いるようなことを口にしていたわね。それも法外な金を振り込ませていたと。あの時の客になった三人は貴方たち、おそらく貴方独りでしょうけど、皆消されてしまった。銀行口座も調べたけれど、振り込んだ金はATM機から引き下ろされていて、しかもその時の防犯ビデオはすべてカメラが目隠しされていて、何も写っていなかった。これで、犯人に辿り着く糸口は全て断たれたと一度は思った。だけれど、それとは別のATM の暗証番号詐取事件が助けてくれたの。あの事件のおかげで、警視庁には、東京じゅうのATM の防犯ビデオカメラのテープを虱潰しに調べた捜査官が居たの。私一人だったらとってもそんなことまでは出来なかったけれど、チームを組んで東京中のATM 機の録画テープを調べ上げていたの。その中に、暗証番号詐取とは関係ないけれど、お金を引き出すのに目隠しをして防犯カメラに写らないようにしているものが探し出せたっていう訳。」
「それが、俺の客の一人だったということか。」
「そう、祖母の金で開業している不埒な医者よ。チアガール好きで、チアガールを獲物にした狩りの時に参加したのじゃないかしら。」
「ああ、あの時の医者か。ああいう奴はしくじる元なのさ。だから、パソコンにも厳重にパスワードを掛けさせておいた筈なんだが。」
「あの医者は少し前まで使っていた古いパソコンに同じパスワードをメモとして書き込んでいたのよ。それであの次々とURL を替えてくるサイトと、そのURL を毎月報せてくる電子メールの存在を知ったの。それからは、すべて電子メールとサイトは傍受していたわ。」
男は既に肩で息を吐くようにしながら、過去をじっと振り返っているようだった。
「そうすると、栗原瞳のことも、予告の時から知っていたんだな。」
「そうよ。だけど犯行には間に合わなかった。でも、あの時の空港から居なくなるトリックのおかげで貴方の名前も住所も判明したわ。」
「成田を発着する国際線の便を調べて照合したのか。・・・・。あの手は我ながらいいことを思いついたと思っていたんだ。普通は国際便で日本に着けば、税関を通って外へ出るしかないと思うからな。しかし、日本の警察も、パスポートの再入国審査記録で所詮は国際線を使って名古屋へ乗り継いだところまでは辿り着くとは思っていた。だからこそ、愛人との逃避行というシナリオを準備したんだ。」
「そう、栗原瞳の失踪事件の捜査本部はそれで解散になってしまった。成田からこっそり抜け出して国際線で名古屋で入国するのは、本人の意志による逃避行だと。だけど、私は違っていたわ。だって、栗原を使った狩りの予告を知っていたのだから。」
「偶然で、サイトのことを嗅ぎつけられたのが致命傷になったということか。」
「あれが無かったら、栗原の失踪事件を結びつけることは出来なかったかもしれない。こちらは警察関係者に絞って網を張っていたのだから。」
「ということは、あの痴漢事件の女警察官はお前達の仕組んだ罠だったのか。」
「そうよ。それもあの子が言い出したこと。自分から囮になると言い出したの。」
「俺としたことが・・・。妙に警察官にこだわる書き込みが急に増えたとは思っていたのだが。」
「けれど、あの囮捜査も貴方の迂闊のせいで、危うく失敗するところだった。貴方が慌てて砧の自宅を飛び出たおかげで、折角の無線機を縫いこんだ警察官の制服をあの屋敷に置き忘れられてしまった。」
「あれはおれも失敗をしたと思ったが、それに救われていたのか。」
「そう、その後、例の水道工事業者が名乗りをあげなかったら、美咲のことを見失っていたところだったわ。今度の狩りの現場へ急行している貴方の車とすれ違ったのも間一髪だった。」
「俺たちが車を乗り換えた後、後を付けたんだな。」
「そう。あの車に発信機を付けるのに、時間稼ぎの芝居をしてくれたのは、栗原瞳よ。貴方が毎回、アシスタントを替えておいてくれたおかげで、栗原瞳とは気づかれなかった。」
「いい冥土の土産が出来たぜ。どうして完璧な仕事が崩されたのか、ずっと気になっていたんだ。これで、安心してあの世へ行けるってもんだ。いい勝負をありがとうよ。」
「ちょ、ちょっと待って。何するつもり。」
慌てて冴子が身を乗り出そうとした時には、男の身体は既に宙を飛んでいた。
冴子が独り、学校跡のほうへ戻ってきた時、丁度客として集められた三人と、首謀者の手下の三人が護送車で連行されるところだった。その指揮を冴子の上司、佐藤浩市が取っていた。
冴子が近づいてくるのを認め、三人の女性が走り出てきた。良子、瞳、そして美咲の三人だ。三人が三人とも明るい顔に戻っている。辱めと恐怖の日々を過ごしてきたばかりの美咲までもがだった。冴子を入れた四人の女たちは、同じ経験を味わっている。そして、この日、漸くそれを乗り越えたのだった。
「冴子さん。私、警察官に復帰することに決めました。」
「わあ、また良子とペアが組めるんだ。嬉しいっ。」
美咲は良子の肩を抱く。冴子も良子の射撃の腕前には感心していた。良子の一撃が無かったら、どうなっていたか判らなかった。
「冴子さん。私は、もう一度、バレーボールチームに戻れないか、監督にもう一度話してみます。」
「そうね、貴方が活躍出来る場所は、そこだものね。」
首謀者に辿り着くのに、瞳が果たした役割は大きかった。
「冴子さんは。」
冴子は、遠くの佐藤浩市のほうを見ていた。
「やらなければならないことは、まだまだ続きそう。上司がもう呼んでるわ。いままで、本当にありがとう。」
冴子は、良子、瞳、美咲と固い握手を交わすと、特殊捜査チームの活動に加わる為に歩き出したのだった。
( 完 )
トップへ戻る 先頭へ