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SM一括り



プロローグ

 この話題については、以前にも書いたことがあるような気がするのだが、 パソコンやハードディスクの何処を探しても見当たらない。気がするだけか もしれないし、在る日突然、ふらりと出てくるかもしれない。重複するかも しれないが、もう一度記してみることにする。

 この話題の取っ掛かりは、何だったろうか。ここ最近のものでは、団鬼六 原作の作品を元にした古い映画を観たことからなのだろう。「黒薔薇夫人」 というものと「痴態」というものを深夜のケーブルテレビ放送からダビング しDVDに焼いたもので、皆が寝静まっている明け方に観たものだ。

 もうひとつは、半年ほど前になるだろうか、何かのきっかけから性風俗を 研究したものを何冊も図書館から借りて、読んでみて、自分の思いと比較し たことから、これをきっかけに自分なりのものをしたためておこうと思った ことだ。  その時の最初のきっかけは、「およう」という映画だった。ネットで何か を検索していて、たまたま見つけた映画で、これで伊藤晴雨という画家の存 在を知ることになった。縛り絵と呼ばれる性風俗画のジャンルを実質作り上 げたと言ってもいい画家で、その晴雨と竹久夢二、その二人の愛人となった 「およう」こと、裸婦モデルのカネヨの生涯を描いたのが映画「およう」だ った。

 数ヶ月後、深夜の地上波テレビで放映され、録画して観たのだが、それに 先立って、伊藤晴雨なる人物と、その縛り絵に興味を覚えて、図書館で調べ ているうちに、図書館の開架書庫の一隅に「民俗学」なるコーナーがあって、 その中に性風俗に関する本が並んでいることを知ったのだった。

 で、最初のタイトルに戻って、これらの性風俗に関して自分なりに昔から (これはちょっと違うのではないか)とずっと考えてきた主題がある。日本 の社会で、なんでもかんでも「SM趣味」とか「SMの世界」で片付けられ ているものについて、(実は違うのではないか)という思いをまとめてみた いと思ったのだ。

 先の民俗学のコーナーにある性風俗研究の中にも、これらのことを整理し てまとめてあるものもあったのだが、まだまだ十分にまとめきれてはいない ような気がしている。一言で語れる内容でもないが、ここに自分なりの整理 をしてみようと考えている。

 勿論、「SM一括り」というタイトルは、(なんでもかんでも、一括りに 「SM」と表現している)ということと、この世界の共通項としてなくては ならない「縛り」というものを連想させる「括り」という言葉を掛けてはい るのだが。

続き


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