エッセイ
チアリーダーのミニスカートの本質は何なのか
三
さて、ここで一旦歴史的な観点から離れて日本人のスカートの中に対する執着について考えてみたい。いわゆるパンチラというものに対する意識の問題である。
もう20年以上も前になるが2002年に私は「ミニスカとパンチラ」というエッセイを書いている。日本人と欧米人とでは、スカート、それも特に短いスカートからちらっと見える下着についてそれを観た時の性的な興奮度合いが大きく懸け離れているのではという論点について記したものだ。簡単に言うと、日本人はスカートから垣間見れた下着というものに大きく興奮するが、欧米人は下着が見えることよりも性的興奮の関心である太腿がより多く見えるということのほうに興奮するのではないかというものだ。
そのエッセイを書いた当時は、このことは人種的、民族的な嗜好の違いなのだろうと思っていた。しかし最近、本エッセイの主題について考えていてもしかしたら間違っていたのではないかという気がしてきている。それは幼年期から見慣れ親しんできたものの違いによる免疫性という観点が欠けていたのではないかという疑問だ。
先の文章で、アメリカ人は青春時代からハイスクールのチアリーダーという存在で短いスカートの女子の格好には慣れ親しんでいて免疫があるのではないかと書いた。そのせいで大人になって盗撮までして短いスカートの下に穿いているものを覗いてみたいなどと思うことはないのではないかということだ。短いスカートが翻って、その下に穿いているものがどういうものかは高校生時代に何度も観ていて、今更覗いてみたいとは思わないのだろうという事だ。しかし本稿を書き進めるにあたって、いろいろな資料を観ていて更にあることに気づいてしまった。それは欧米、特にアメリカにはピンナップという文化があったということだ。
日本にもピンナップ写真という概念やそういう実物がなかった訳ではないが、それほど大きな存在ではなかったように思う。間違いなくピンナップというのは欧米、特に米国からもたらされたものだが、米国人には歴史的に大きな意味合いがあった存在であるのだということがこのエッセイを書くにあたって資料を分析していて気づいたことだった。
ピンナップは1900年代の初頭の第一次世界大戦から第二次世界大戦を経て朝鮮戦争の時代に至るぐらいまでの間、米国人の若い青年男性を鼓舞し続けた精神的支えだったと言ってもいいと私は思っている。これはマリリン・モンローを初めとする従軍慰安婦だけでは充足し得なかった戦地へ赴く孤独な若者男性に精神的な慰めを与えつつ、故国の為に身を奮い立たせて闘争心を掻き立て続ける大事な要素であって、しかも大事なことは国家を挙げての取り組みだったことだ。この記憶は時代を経て次の世代へと受け継がれていき、戦争が無くなった現代においてはアメフトなどの闘争心が重要な要素となるスポーツへと受け継がれていったのだろう。チアリーダーの前身はこのピンナップガールだったと言っていいと私は考えている。
ここで大事な観点がもうひとつある。ピンナップガールの時代はまだミニスカート流行の前の時代だったということだ。なので、男性の心をくすぐる大きな要素は短いスカートから見えそうになる下着の世界ではなく、肢体のぎりぎりまでを露わにする水着やレオタード、あるいはそれに限りなく近いショートパンツ姿だったということだ。この太腿をぎりぎりまで見せる姿格好がアメリカ人男性に長く擦り込まれて来たのだと言っていい。
従ってその流れを汲むアメフトのチアリーダーの姿は下に穿いているものぎりぎりまでを露出するスカートではあっても、その下に穿いているものそのものはあまり意味がなかったのだと思う。
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