チア半ズボン  
黒スパッツ

エッセイ


チアリーダーのミニスカートの本質は何なのか


 一

 少し前のことになるが、私の注目を惹いたスポーツ関連の記事があった。そこに使われていたのが冒頭の二枚の画像だ。
 今年(2023年)の春の高校野球の応援の中で、女子応援団の衣装が変わってきたというものだった。高校野球の女子の応援と言えばこの数十年来、短いスカート姿のいわゆるチアリーダーの応援というのが定番になっている。そのチアリーダーたちの姿を狙ってスカートの中を撮影しようとする輩が多く、その防止の為に今年からチアリーダーたちの下半身のコスチュームに半ズボンを採用したり、短いスカートの下に黒っぽいスパッツを穿かせるという対策が目立っていたというものだ。

 この記事と画像を観て、私は大きく分けて三つの感情を抱いた。
 一つは見苦しいというもの。二つ目は違和感。そして三つ目は気持ち悪いという印象だ。見苦しいは個人の感想だから人それぞれで構わないと思う。
 気持ち悪いには少し解説が居ると思う。生理的に受け付けられないという感情で、男性同士、女性同士の性行為や、男性の化粧などを観た時に感じる感情とほぼ等しい。人間としての尊厳を傷つけられたような気さえするのだ。まあ、これも個人の感情だから人それぞれと片付けてしまっても構わなくて、他人に押し付けるようなものではない。

 最も説明が難しいのは二つ目の違和感だと思う。もちろん本来ここにあるべき短いスカートから生足、もしくは生足にちかい姿の太腿があるのが見慣れた姿なので、それと違うから違和感があると感じたのだろうと思う人は多いと思う。しかし私が感じた違和感は全く違う。ここにそうした(つまり女子に半ズボンとかスカートしたの厚手の履物)を持ち込もうとする考え方に、もう少し言うと、そういうもののほうがふさわしいとか穏当であるとかしたいとする大人に対して、人間として違和感を感じるのだ。

 こういう意見の人からは、何がいけなくて、だからどうしたいのかが全く伝わってこないのだ。なのにそういう人達は自分たちの意見を正当化しようとする。それが違和感に繋がるのだろう。

 まず「何がいけないか」について。先の人達はミニスカートの姿そのものを否定していないように見える。わたしからするとわざとそれには言及しないで逃げているようにも思える。記事では盗撮されるからいけないのだとしている。盗撮と書くといかにもいけない事として真っ当なようにも一見感じてしまう。しかし盗み撮りだからいけないのだろうか。堂々と真正面から撮った場合には悪い事ではないでも言うのだろうか。本当は盗撮だからいけないのではなく、スカートの下から見えそうなものを、あるいは見えてしまったものを写して、その画像を観て煽情的な気分に浸ることが悪いというのではないだろうか。しかし、そのことを真正面から主張するとその意見には正当性がないので「盗んで」撮った写真だからいけないなどと論理を摩り替えているのだろう。

 そうすると、若い女子が短いスカートから生々しい脚を露出したり、スカートの下に穿いているものを想像させたり、ある時にはちらっと見せたりすることはいけないことなのだろうか。これがいけないことかどうかはとても難しい問題だ。
 もしいけない事だとすれば、その行為自体を禁止すべきで「応援に際して煽情的な気持ちを起こさせる生足に見える状態での短いスカート着用での応援は禁止する」とすればいいのであって、見られないように、あるいは見られても構わないようにあたかも防御するかのようにする姿勢で臨ませるというのに私が違和感を覚えているのかもしれない。
 先の記事に戻ると、応援する女子たちに意見を訊くと、「ミニスカートは可愛いので自分としては穿きたい」とする女性も多いとか、一部のブラスバンドの応援者はやはりミニスカート姿にすることにしたと記事に書いており、あたかも記者自身も私が反対している訳ではないとでも言いたげに読める。だから悪いのは「盗んで」撮る行為とその行為をする輩であると、詰め寄る矛先をうまくかわしているのだろう。

 この手の論議に、道徳的、不道徳的という議論を持ちだす人が時として出て来る。道徳性に関しては、民族的な文化の違いとか時代によっての社会の認識の違いなどに引き摺られるので絶対的な是非の議論にはなりにくい。というかほとんど説得性がない。
 生足を短いスカートから晒すだけなら不道徳とは言えないが、それをしゃがみこんでスカートの中を覗こうとしたら不道徳であるという人は居るだろう。「盗んで」撮ったものだからという理屈とほぼ同等である。しかしこの理屈には何故いけないのかが付随してこない。何故に対する答えは難しい。盗むのはいけないことだからというのは理屈になっていない。盗まれても仕方ない状態にした方には責任はなく、そんな状態にしておいても盗んだ方が圧倒的に悪いと決めつけている。こういう理屈の人には猥褻物陳列罪という概念は通用しない。もしある男性がペニスを露出して道を歩いたとして、見た方が悪いのだという理屈は通用しないだろうから。駅の急な階段を短いスカートで闊歩する女子高生に見上げただけで覗かれたとするのにかなり近い。

 私はこの手のボーダーラインは、社会がそのことを許容しているかどうかで決めるべきだと思っている。そして現代は女子が公然の場でスカートの中が見えてしまうかもしれないほどの短いスカートを穿くことは許容されているのだと思っている。だからそれは個人的に否定することは出来たとしても社会が禁止することは出来ないのだろうと思う。そういう中でそういう格好を写真に撮ることは許されるか。これも既に今の世の中は許容してしまっている。極普通の新聞や雑誌、テレビ等の報道のなかに普通に映り込んでしまっていて、今更否定も禁止もしようがない。ただ一つかろうじて出来るとすれば「盗んで」撮るという行為は、肖像権等を盾にとって許されていないとする理屈ぐらいで、顔ではなくスカートの中に穿いているものの場合はかなり苦しい。一般紙の報道がいちいち撮影の許諾を受けているとは思えないし、スカートの中が写ってしまった場合のみ盗撮とするというのもあまりにも無理がある。

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