高校野球応援

エッセイ


チアリーダーのミニスカートの本質は何なのか


 二

 ここで一旦、いいか悪いかの議論は横に置いて、何故このようなコスチュームが高校野球の応援という場に持ちだされたのかについて振り返ってみたい。

 スポーツ全般の中では野球が一番先行していると思われるので野球の場合を例にとるが、高校野球でミニスカートのチアリーダーが一般的になってきたのは1970年代以降ぐらいではないかという気がする。それまでは応援と言えば男子の詰襟、学ランが一般的だった。
 ミニスカートが流行しだしたのは1960年代後期ぐらいだから、一般人のミニスカートの方が先行していると言える。女子高生のスカートがどんどん短くなっていったのは、1990年代以降ぐらいではないだろうか。従って、1970年代以降では一般の女子学生のスカートはさほど短くはないのに、応援演技をする女子高生が普通の制服とは異なる極端に短いものを着用していた時代があったように記憶している。
 ちなみに、自分自身の学生生活を振り返ってみると、女子が応援の為に短いスカートを初めて着用したのを目撃したのは、1968年中学3年の時の運動会でのクラス対抗の応援合戦の時で、そのコスチュームを提案した女子はかなり先進的な女性だったと記憶にある。

 この応援の際の女子の短いスカート着用は、欧米それも特に米国のハイスクールの応援姿を真似したものであったように思う。はっきりした歴史は検証していないが、ミニスカートのチアリーダーの発祥は、米国ハイスクールにおけるアメリカンフットボールの応援団なのではないかと思われる。

高校チア

 1960年代から70年代ぐらいのアメリカの青春学園物の映画、ドラマにはハイスクールのチアリーダーがよく出て来る。男子の運動部の一番の人気者はアメフトの選手だったように、その時代の女子の一番の憧れの的、学園内のスターは女子のチアリーダーだった筈だ。そしてその人気故に誰でもがなれる立場ではなく、学校一の器量とスタイルを持ち合わせた人物、女性にしか許されない憧れの的だった筈だ。その華やかさ、格好よさを観た日本人が日本の高校野球にもそれを持ち込みたいと考えたのだろう。
 しかしここに日米の大きな違いがある。米国のハイスクールにおける女子のチアリーダーはなりたくて誰でもなれるような者ではない、学校全体の憧れ、人気の的であり誇らしい存在だったのだ。それに引きかえ日本では短いスコートを穿いた女子応援団員は頼まれてしぶしぶ嫌々やるもので、我先に奪い合って勝ち取れるような地位ではなかったということだ。今でさえチアリーダーの存在は認知され、憧れる女子も居ないではなくなったが、その地位を争って勝ち得るという立ち位置ではない筈だ。だからこそ、そのコスチュームも米国のように自分の美貌を飽くなき迄最大限に誇示して高める為の格好なのか、日本のように男子たちの目を気にしながら嫌々する恥ずかしい格好かの違いがあるのだと思う。観る側でも米国のように憧れの女性を垂涎の眼差しで見守るのと、日本のように顔はスタイルはさておき普段見ることの出来ないスカートの中を垣間見れるかもしれないという好奇心だけで腰回りばかりを注目するいやらしい見方との違いが出て来るのだろう。

 これは想像だが、欧米、特にアメリカ人にはハイスクール時代の短いスカート姿のチアリーダーから植え付けられた擦り込みに近い記憶からの免疫があるのだと思われる。大人になって今更短いスカートの下に穿いているものを観てみたいという気持ちは湧いてこないのだろう。一方、日本人男性にはミニスカートの中を間近で見るという実体験が乏しいせいで、大人になっても欲情なしには見ることが出来ない初心な気持ちがあるのではないかという気がする。だから盗撮までして器量がいいかどうかは別にスカートの中を覗き込んでみたいという欲望が沸くのだろう。

 ここで主にアメリカでの場合であるが、何故応援に短いスカートの女子の肢体が重要な意味を持つのかを考えてみたい。飽くまで日本の場合ではなくアメリカでの場合の話である。
 女子の性器に近い部分までの露わな肉体は、戦う立場の男性に不可欠とされるアドレナリンを多分に分泌させる作用があるのではないかと私は推測している。厳しい体力的な瞬発力を必要とするアメリカの代表的な男性スポーツ、アメフトの選手に、勝利への闘争心を高揚させる為にはアドレナリンの分泌は必要不可欠であり、それを支えるのが美しい女性の露わな肢体、ミニスカートからの剥き出しの生脚だったのではないだろうか。
 一方、アメリカ発祥のスポーツとされる野球は、アメフトほどには闘争心が必要なスポーツではない。それが証拠に、アメフトやアイスホッケーのように剥き出しの闘争心がものを言うパワースポーツと違って、冷静沈着さが要求される野球への応援では、肢体を剥き出しにしたチアリーダーにようる応援はさほど盛んではない。
 日本はというと、アメフトやアイスホッケーに代表されるような闘争心のぶつかりあいを大きく要求するスポーツは少ない。強いて挙げれば相撲と柔道はアメフトやアイスホッケーに近いかもしれない。しかし相撲にしろ柔道にしろ礼節を重んじる武道の一部であるスポーツで、女性の露わにした肢体は似つかわしくないどころか排除されるべきものとして映っているに違いない。
 こうして考えてみると、米国におけるアメフトと日本における高校野球とでは、そもそも短いスカートの女子による応援の必要性というところで、そもそも大きな違いがあるのだと思われる。

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