エッセイ


私のヰタセクスアリス 4


 森鷗外が書いたヰタセクスアリスは、幼年期から思春期に掛けての性的なものに触れたというエピソード集のようなもので、私が前節に書いた性的感情を惹き起す対象の女性というのとは若干ニュアンスが違っていた。  森鷗外のような性的なものに触れたという体験は私の幼年期から思春期に掛けての頃にも同じようにある。普段の会話ではちょっと触れるのを憚られるような話の数々である。

ナプキン替え (イメージ画)

 このエピソードは幼年期の中でも最も古いものかもしれない。時期ははっきりしないのだが、女性の生理や、その際に身に着けるものに関してまだ何も知識のない頃だったのは間違いないので、小学生のまだ高学年まで達してない頃ではないかと思われる。その頃、毎週日曜には電車に乗って少し離れた街にある教会に通っていた。その教会では一般信徒が使うトイレは男女共用で、司祭館兼信徒館の細長い建物の一番端に作られていて、外から入るようになっていた。トイレの内部に大用の個室と、仕切られていない男子小用の便器があって、その二つの後ろ側に掃除用具棚などが置かれたちょっとしたスペースがあった。多分、初夏の頃で教会の庭でバザーが開かれていた時だったと記憶している。トイレに行きたくなり、この建物の外から入るトイレのドアを開けたら個室ではないスペースの場所に女性が居たのだ。それもスカートを大きく捲り上げていて、下着が露わになっており、女性は捲り上げたスカートから丸出しの股間に手をやって何かをしていたのだ。女性の先客が居ると知って慌ててドアを閉めて外に出たのだが、その光景はしっかりと目に焼き付いてしまった。どうなるだろうとトイレから少し離れて様子を窺っていると、同じ様に今度は大人の男性がトイレに行ったと思ったら慌てて頭を掻きながら出てきた。おそらくは同じ光景を目にしたのだろうと思ったが、かなり長い時間女性はそんな格好をしていたようだ。当時は意味が判らなかったが、おそらくは生理のナプキンを付け替えていたか、位置がずれてそれを直していたのかもしれない。とても生なましい光景で、何度も思い返していたが、生理の事をちゃんと知ったのはその何年も後の事だった。


shorts

 次に古いものは「A・H子のパンツ晒しもの事件」である。それは小学校の高学年頃の事だったように記憶している。A・H子は同級生のクラスメートだった。勉強はかなり出来るほうで、美術(当時は図画工作)でも私と公募ポスターを競ったりしていた記憶もある。卒業アルバムを開くと、すぐにこの子だと判る、ちょっと日本人離れしたバタくさいというのか、エキゾチックな雰囲気のある子だった。
 ある時、体育の授業か何かで教室で男女に分かれて体操服に着替えた後の事だったと思われる。このA・H子のパンツが持出されて教室の教卓の上に置かれたのか、黒板に貼り付けられていたようなのだ。晒されたパンツそのものは私自身は観ていないが、後でそんな事があったことをクラスの男友だちから聞いたのだったと思う。その後、教室の片隅で泣いていた彼女の姿だけは実際に見ている気がする。だから、それは本当に実際、起きた事件だったのだろう。
 女の子のパンツというと、当時は提灯ブルマ型のものが多かった時代の筈だ。それがその事件を教えてくれた男友達によれば、三角パンツだったという。今でいう所謂ショーツの事だ。
 A・H子は普段から身なりも洒落ていたし、クラスで一人だけ髪を三つ編みにしていたりで、ちょっと気取って浮いているようなところもあったので、わざと狙われたのかもしれない。体操着に着替えるのに、何故下着まで脱いだのか不思議なのだが、何らかの事情があったのだろう。小学生の自分には充分刺激が強いエピソードではある。
 小学校高学年で同じクラスだったのは間違いなく、中学も同じ学校だったので顔と名前が間違っていないか確認してみたら、中学の卒業名簿の住所欄には渡英中とだけあった。普通の家庭ではなかったのかもしれない。

脱がされたベッツィ
 (イメージ画)

 もうひとつのエピソードも同じ小学校高学年での同じクラスの出来事だ。この件も自分が目撃したのではなく、やはり男友だちから聞いた話だった。クラスには双子の姉妹が居た。タイプで言えば姉の方はベッツイ&クリスのクリスタイプ。妹は逆にベッツイタイプで男の子には好かれるタイプ。姉はどちらかといえば嫌われる、あるいは煙たがられるタイプだった。
 その妹のほうが、悪戯好きなクラスの悪ガキにこっそり後ろから近寄られ、いきなりスカートの中に手を入れられてパンツを下されてしまったというのだ。その後、ずっと泣いていたそうだが、その泣いている姿も私自身は観ていない。しかし、目に浮かぶようで、何度もオナニーの度にパンツを下されてしまう双子の妹の方を妄想していた。

クリスパンチラ
 (イメージ画)

 この双子の姉のほうにもエピソードがある。もう小学校も卒業間近の頃だったと思う。新しく出来た鉄筋コンクリートの新校舎の三階の教室で何かの授業中の事だ。その子も私も前から二番目の列で、その子が窓際から二番目、私は三番目か四番目辺りの席だったと思う。何故かその子は授業中にも関わらず、私の方に膝を向けていて、その両膝を広げていたのだ。その時代の女子児童は皆短いスカートを穿くのが当たり前だった。だから私の方からその子のパンツが丸見えだった。女の子のパンツを偶然ちらっと見ることはあったにしても、多分女の子のパンツをしっかり、じっくり観た最初の体験だったのではないかと思う。気は強そうなのだが、睫毛が長くて顔立ちの整った子だったので、密かにその子の事を気に入っていただけに、パンツを覗くのは悪いような気がしながら目が離せないでいた。
 後になって、もしかしたらわざと見せていたのでは、見られていると知ってて脚を開いたままにしていたのではないかと思った。私は運動は得意ではなかったが、勉強は出来るほうで、クラスでも勉強が出来る女の子には密かにだが人気はあったようなのだ。
 その子を含めた何人かの女の子を休みの日に招待して、友だちとクリスマス会を子供等だけでこっそり開こうという計画をしたのだが、何故かそれは実行されないまま終わってしまった。会場として使わせてくれると言っていた友だちの家の空き部屋が都合が悪くなったというような理由だったと思われるが、当時はとても残念に思ったものだった。

剥された女優達 (イメージ画)

 幼年期の性に関する初体験の一つに、今ではもう死語になってしまったエロ雑誌というものに始めて触れた経験というのがある。青年向けの性風俗も扱う雑誌が売られるようになったのは、私で言えば小学生高学年から中校生に掛けての頃だったが、その前にも大衆向けと称して一般週刊誌とは異なり、性風俗を専門に扱う雑誌があった。そういうものに初めて触れたのは、小学五年の夏に行われた信州でのある教会主催の錬成会に出掛ける際の事だったと思う。教会で選抜された三、四人程度で、青年一人が引率してくれ、上野から特急電車に乗って行ったのだった。その上野駅で特急の発車を待つ際に、引率の青年が途中で食べる駅弁を買いに行った隙に小学生仲間のうちの一人が目敏くホームのベンチだったか、ゴミ箱だったかにその手の雑誌を見つけ、ボックス型のシートで小学生同士で頁を繰ったのだった。すぐに引率の青年が戻ってきてしまい、最初のページをちらっと見た程度で終わったのだったが、とても衝撃的で鮮明に記憶している。白黒のグラビア写真があって、そこに名前を知らない女優が立っているのを下から覗き上げるように撮られたもので、下着が覗いていたような気がする。タイトルも「脱がされた女優たち」とか「剥ぎ取られた女優たち」のような感じのものだったように思う。ちらっと見ただけなのに、その後もずっと夢に出てきたように思う。いけない事をしたという気持ちでいっぱいではあったが、もっとしっかり見て起きたかったという残念な気持ちも多分にあったと思う。

CARSEX
 (イメージ画)

 これも男女の営みについてはまだ疎かった時期なので、小学生の頃だったのは間違いない。小学三年から教会が運営するカブスカウトに入団し、その数年後にボーイスカウトになった。おそらくボーイスカウトになって直ぐの頃だろうと思われる。しょっちゅう追跡ハイクと呼ばれるハイキングとはちょっと異なる集団散歩のようなことをしていた。最初のグループが道のあちこちに印しを残していって、二番目以降のグループがそれを見つけながら追跡するというものだ。
 教会の周辺は当時はまだ開発されていない野山も多かった。ある時の追跡ハイクの際に私がグループの先頭を務めていて、年長の先輩たちが少し遅れて付いてきていた。その先輩が突然「おい、まずいぞ。止まれ。止まれったら。」と叫んだのだった。私は意味が判らずどんどん進んでいったのだが、草深い野道に停められていた車をやり過ごしてちらっと振り向くと男性がハンドルに顔を埋めるようにしていた。その横には女性がやはり蹲っていて白い下着と生の肌が垣間見られたのだった。その頃、カーセックスなる言葉さえまだ知らない時期で、「え、何?」と思ったに過ぎなかった。ボーイスカウトの追跡ハイクの中でこうしたシーンに出喰わしたのは確か二度ほどだったと思う。当時はまだ核家族化は進んでいなくて、若い男女が家で二人っきりになることが難しかった時代なのだろう。またそんなに家も建て込んでいない野原も多くて、車で少し遠出をすれば誰にもみつからない場所がいっぱいあった時代だったのに違いない。

セーラー逆立ち
 (イメージ画)

 中学にあがってすぐ男女共に友だちが出来る。女友だちでも好きだからとか付き合うとかいうのではない。気が合ってしょっちゅう休み時間に話しをしたりする程度だ。中学に入ってすぐ念願の油絵の道具を買って貰って、油絵を描き始めていた。その女の子も油絵をやっていて、美術部だった。お互いに本を読むのが好きで、いろいろ本の話でも盛り上がったりした。綺麗な顔立ちの可愛い子ではあったのだが、愛だ恋だという感情ではなかった。実は別にこっそり好きな子がクラスに居たのだ。その事に気づいていたのかもしれない。何かにつけ私の気を惹こうとしているのが何となく感じられた。
 ある日、廊下で男友だちとその子と三人で話している時に、突然その子が「今、ここで逆立ちしてみせようか。」と言ったのだった。勿論、制服のセーラー服を着ていた時だ。こちらがどんな反応をするかみようとしたのかもしれない。どぎまぎして何も答えられなかったように思う。それでもその後、その女の子がスカートで逆立ちをする様子を何度も夢にみてオナニーをしたのは事実だ。おきゃんな性格でふざけてみせただけなのだろう。しかし、忘れられない思い出となった。
 その子と同じ美術部にも入ったのだが、男子は私一人しかいない部だったのですぐに幽霊部員となり、その子とも次第に疎遠になっていったように思う。

nozomi
 (イメージ画)

 中学に入った年に、その中学に新卒で新任の女性教師が二人入っている。一人は理科が担当で、二年と卒業年の時に担任になっている。エピソードはもう一人のほうで、数学が担当で髪をショートカットにしていて自分の担任になった方の先生には申し訳ないが、こちらの方がとても美人だった。身体は華奢な感じで夏場に半袖から覗く二の腕などもとても細かった。
 事件は多分中学にあがった最初の年に起こったのだったと思う。直接見聞きはしていないのだが、この若い華奢な感じの先生が襲われて、体育用具室の中に連れ込まれて犯されたという噂が立ったのだった。あまり大っぴらには話されていなかったが、あちこちで密かにその事が囁かれていたと記憶している。どこまでされてしまったのか、相手はどんな男だったのか判らないだけに想像を逞しくさせて、妄想に耽ったのは間違いない。その先生には直接習う時期は無かったのだが、私に担当になった数学の先生が休みの時に何度か代理で授業に出てくれた。感じのいい先生だった。体育の男性教師と付き合っているらしいという噂もあったが、この暴行事件のせいもあったのか、卒業するまでは少なくとも独身でその後どうなったかは消息不明だ。

優等生虐め2
 (イメージ画)

 中学二年になった時にK・E子という女性と一緒のクラスになる。私自身は好きになった訳ではないが、クラス内では広く男子の間で注目を集めていた女子だった。頭が良くて、いわゆる優等生というタイプだった。それだけに密かに恋心を抱いていながら、虐めてみたいという対象になりやすかったようだ。
 クラスのどちらかと言えばあまり行儀がよくない、悪ガキたちの間でひそかに話題に昇っていた。羨望のような気持ちがあって、却って貶めてみたいという気持ちにかられたのだろう。私がそういう男子の間で話されているのを聞いたのは、あのE子を縛って胸元に蛙や蚯蚓をぶら下げて虐めるのだという。勿論、妄想なのだが、蛙を近づけられて「もう赦して」と叫ぶ姿が想像されるようで妙にリアル感があったので記憶に残っている。サドとかマゾという言葉もまだ知らない男子たちの自ら編み出した妄想なのだろうが、何かのエロ雑誌で感化されたのかもしれない。
 実際の彼女は私とコンビを組んで学級委員、副委員を担当していて、土曜の昼下りに開かれていた月一回の生徒会主催学級委員会で、生徒会長が行うつまらない話を無視して、陰でこっそり映画の話や音楽の話を得意になって話し掛けていた際に、頬杖を突いてこちらをじっと見つめている視線に気が付いたことがあった。何かの思いを持って見つめていたのかもしれないが、自分の方は別に好きな女性が居たせいで、このE子のことは眼中になかったのも事実だ。

ナポリと女と泥棒

 中学生の頃に初めて独りで映画を観に行くようになる。当時は中学生が親の随伴無しで一人で映画館に行く事は校則で禁じられていた。しかし当時私が棲んでいた町には映画館はなく、映画館があったのは、毎週教会に行く為に訪れる電車で四駅目の隣町とも言えないぐらい離れた場所だったので、学校関係者に見つかる心配はなかったのだ。
 最初に一人で観に行った映画は「ナポリと女と泥棒たち」というイタリア映画だったようだ。何故その映画を選んだのかは、ずっと忘れていたが、後年大人になってからビデオで見直してみて気づいたのだが、映画の宣伝をするポスターが街角に貼られていたのだが、若い金髪のシスターが尼僧服が肌蹴るのも構わず、赤い下着をちらちら見せながら逃げているシーンの映像が使われていたからだった。下着をちらっと見るだけで欲情していた時期で、どんな話なのかどうしても観てみたかったのだ。話自体はそれほどお色気性の強いものではなかったが、ちらっとだけ見えるブラジャーや尼僧服を絡げた際に覗く太腿は当時の中学生には充分興奮を憶えさせるものだった。

ロシュフォール


 この時代に観た映画で最も印象深く記憶に残っているのは、カトリーヌ・ドヌーブが実姉のフランソワ・ドルレアックと共演していたミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」だった。以来、生涯観た映画の中で一、二を争う好きな映画ではあるのだが、これを観に行きたいと思った動機は不純なものだった。この映画の宣伝に使われていたポスターはウェストサイド物語で一世を風靡したジョージチャキリスが、さほど有名ではない女優の腰を抱いて踊りの中でターンするシーンだった。短い襞スカートのスコートが捲れ上ってその下に穿いている黒いアンダースコートが丸見えになる。ところがそればかりではなくて、その黒いアンスコの脇にその下に穿いている筈の白いパンティがちらっと覗いているのだ。この写真が映画ポスターに選ばれたのはおそらく偶然の事ではなく、ちらっと覗いてしまっているパンティが男性たちの視線を惹くであろうことが期待されていたからだろう。女優のほうはもっと有名だったらポスター使用はきっと断ったに違いないが、さほど有名でない女優が注目されるようになるには大きなチャンスだと思ったのだろう。若い日の性的なものに飢えていた私はまんまとこのちらっと見える下着のせいで、なけなしのお小遣いをはたいて映画館へ脚を運んだのだったが、映画そのものはとても満足のいくもので、この映画のサントラ盤のレコードまで購入している。
 カトリーヌドヌーブもフランソワドルレアックもこの映画で好きな映画女優のトップにあがったのだが、二人のうちでも特に姉のドルレアックの方が気に入っていた。しかし、この映画の撮影直後位に事故で他界してしまうのだ。カトリーヌの方はその後も順調に映画界のトップスターの座まで昇り詰める。カトリーヌの作品ではエロチックなシーンに溢れている「昼顔」があり、彼女の作品の中では一番好きなものだが、初めてみたのはもう充分大人になってからだった。

セシルの歓び

 中学生時代には当時、いわゆるピンク映画と称してエロチックなものを売りにしている映画があったが、それらには殆ど接していないものの、極普通の洋画でもエロチックなシーンが紛れている作品も数多くあった。その中の代表的なものが「セシルの歓び」というものだった。この作品は宣伝ポスターでの扇情的なシーンに惹かれて観たものでも、俳優で選んだものでもなかった。偶々観たのだったか、二本立てのもう一方の方のセクシーポスターに惹かれてみたのかも知れない。演じていた超有名な女優、ブリジットバルドーもまだその当時の私は知らなかったのだ。
 記憶に焼きついているのは映画の後半で女主人公が男性主人公に誘われて古城で泊まることになるのだが、その際に女の方を縄で縛って女が嫌いだという牛乳を無理やり呑ませようとするシーンだ。嫌がる女を縛って言う事を聞かせるというのが何とも扇情的で興奮したのをずっと忘れられなかった。大人になってDVDでその作品を見返してみた時には、あまりにもあっさりしていて、違う映画ではないかと思ったほど大人の目にはさほど刺激的でなかったのが如何に当時若く幼かったかという証拠であるように思われた。

バルドー鞭

 蠱惑的な女優、ブリジットバルドーだが、その数年後にアランドロンと共演しているちょっとエロチックな映画をテレビで観ている。「世にも怪奇な物語」というオムニバス形式のドラマで、莫大な遺産を相続した伯爵家の娘がカジノでサディスティックなイカサマ師の男にカード賭博で大負けをして支払の代りに背中を肌蹴させられて鞭で打たれるというものだ。まだサディズムについてあまり知らない時代で、初めて女性が打たれて辱められるシーンは物凄い興奮を憶えたので忘れられない。

ジェスティーヌ

 映画ポスターのエロチックさで忘れられないものに、「マルキ・ド・サドのジェスティーヌ」がある。この映画のポスターを街中で目撃したのは高校生の時だが、実際には高校生の時にはポスターしか観ていない。それは通っていた高校の正門のもうすぐ近くの通学路の脇の壁にあった。若い女性が両手を吊られて縛られていて、裸の胸には鎖といばらの蔓が巻かれていた。サド、マゾという言葉自体は中学生の時の悪友に教えられて知ってはいた。彼がいうには変態というものがあって、それにはセックスマニア、サド、マゾという三種類があるのだと教えてくれたのだ。彼の知識自体も兄貴分の先輩から教えられた受け売りだったので、その真の意味は判らなかった。高校の同じクラスにはこの手のことに詳しい三人組の男達が居て、彼等からサドはマルキ・ド・サド侯爵というフランス文学家、マゾとはマゾッホというロシアの文学家の名前で彼等の作品からサディズム、マゾヒズムという言葉が生まれたのだと教えられたのだった。早速図書館でサド侯爵の作品と呼ばれている「肉体の悪魔」などをこっそり借りて読んでみたものの、言葉遣いが古臭く、それほどエロチックには感じなかったのを思い出す。「ジェスティーヌ」を実際に観たのはもう大人になってからのことだった。

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