スケート   テニスウェア

エッセイ


私のヰタセクスアリス 1


 森鷗外のヰタ・セクスアリスを読了した。折しも図書館からの借り出し期限が近づいていて、延長申請をしたばかりだった。それが当初の期限が来る前に読了してしまった。思いの外、注解のページが多かったこともあるが、後半に行くに従って面白みが増してきたというのもあるのだろう。内容はと言えば、予想を悉く裏切ったものだったということは出来るだろう。これまでその存在は知っていたものの、本を開いてみることさえなかった。最初の一行目から全くの予想外だったのだ。性的な描写がふんだんに書かれているという前評判だけは何から得たのかは分からないが知ってはいた。しかし性的な描写という表現からするといささか拍子抜けするもので、むしろ今とは全く異なる通常の生活習慣がここまで違っている時代があったのかという方に驚きと共に興味が湧く。性的な描写に関して言えば、鷗外が自分は性には淡白な性分であったという言い訳をくどいほど繰り返し述べているのばかりが目立って、発禁処分を受けるに値するほどの衝撃的な描写は全く無いと言っていい。
 私にも、鷗外の書くヰタ・セクスアリスは若しかしたらこういう内容ではないかと想像しながら自分自身の性的体験談を書いたエッセイがある。「性への憧憬」という題目を付けている。今、それを読み返してみて、ポルノグラフィーというには恥ずかしいほど控えめな内容でしかなく、鷗外の時代背景を考えれば、似たような思いではあったのかもしれない。私の場合では、幼年期の家にあった百科事典に載っているテニスウェアやアイススケートの女性の衣装の写真に垣間見れる太腿に、興奮を憶えたことから始まっている。最後には小学生の終り頃、友人であったY君が兄貴だか兄貴分の先輩かだかからこっそり貰ってきた大衆雑誌の付録になっていたエロ冊子について触れているが、女が眠り薬を嗅がされて正体を失っている間に縛られて下着を脱がされるというのが、ややエロティックな記載ではあるかという程度である。
 「性への憧憬」と似たような手記に「思春期」と題されたものがあってそれを開いてみると冒頭にヰタセクスアリスという単語から始まっていて、明らかに鷗外の作品を意識して書かれたものには違いなにのだが、この時も間違いなく鷗外の彼の作品を一文たりとも読んでいた訳ではない。こんな内容なのではないかと想像しながら自分なりの体験を書いてみたものだ。そちらは小学校高学年から中学校に掛けての頃、クラスメートなどを思い描いて自慰をした際の妄想が綴られていて、この位であればポルノグラフィーとして扱われてもおかしくはないかと思われる。鷗外のヰタセクスアリスに期待していたのが、この位の内容だったのだろうと今では分析できるのだ。
 少し毛色は違うが、「女性遍歴」というのと「通り過ぎた女達」という二つの手記もある。実在した女性を扱っていて、両者の間で一部重複はしているが、前者は高校生時代の恋愛の相手、後者は幼年期から結婚前の時期までの女性との関わりを綴っている。が、極一部を除いてプラトニックな恋愛に関するものが多く、性的な衝動に関するものはあまりない。いずれもヰタセクスアリスとしては鷗外並程度と言ってもいいかもしれない。


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