スリットミニ

エッセイ


脚の美醜 美脚か大根足か


 一

 暫く前からだが、女性の脚、特にミニスカートから露わにされる脚について美しい、あるいはセクシーに感じるものと、醜いというと言い過ぎかもしれないが、あまり魅力的でないものがあって、それが何故違うのだろうかと考え始めた。
 きっかけは、最近のネット記事を観ているとやたらに女性モデルの紹介文、キャッチコピーに「美脚」という文字が乱用と言っていいぐらい多用されていることに気づいたことだった。美脚と書いてあるとどうしてもどんな脚なのか見てみたくなる。大抵は「え、これが?」とがっかりさせられることが多いのだが、それは脚が美しくないというよりも、脚の露出度が期待していたほどではないことによるものが多い。それだけ男性は美脚という文字に弱いのかもしれない。
 もう27年前になるのだが、「ミニスカート進化論」という短文のエッセイを書いたことがある。90年代半ば頃、東京の街を歩いていて感じたことだが、ミニスカートの美女が最近(つまり当時という意味だが)多くなったことに気づいたというところから始まるものだ。
 そのエッセイの要旨は、以前はミニスカートというとそれほど魅力的ではない顔立ちの女性が自分を引き立たせる為に穿いているという事が多かったのが、美しい女性がミニスカートを穿くようになって、魅力的でない女性が駆逐された、いや駆逐されたというより魅力的でない女性は魅力的になるよう努力せざるを得なくなり、つまり女性の美の進化を促したという仮説だ。
 そのエッセイでは主に女性の顔立ちについて語っているのだが、これとは別に「ブスだから ミニ」という短文を3年ほど前にしたためている。これも趣旨は「ミニスカート進化論」と似ていて、ブスはミニスカートで自分を引き立てていたが、もはや美人なのにミニスカートを穿く時代になってしまったということを時代の変遷とともに考察したものだ。
 「ミニスカート進化論」も「ブスだからミニ」も主に女性の顔立ちの美醜について語っているのだが、本編では顔立ちよりも脚そのものの美しさの変化について述べてみようというのが本題だ。
 60年代半ば頃、世界的にミニスカートが流行するようになり女性のファッションが画期的に進化するという出来事が起こる。その頃、この流行と共に巷で叫ばれたことばが「大根足」というものだ。ミニスカートで女性が脚を露出するのは嬉しいが、必ずしも美しいとは限らず大抵はちょっと見苦しいことも多く、その象徴としてそういう脚を大根足と呼んだのだと思う。

60年代ミニ


60年代街角

 60年代巷に溢れていたミニスカートから太腿を丸出しにして闊歩する女性の姿の報道写真を見ると、すぐにああこういうのが大根足というのだなというのはすぐに判る。
 当時、日本人は脚が短くて太いからこうなるのだとよく評されていた。その対極にいたのがミニスカートを広めた張本人と言われる英国のツィッギーだろう。

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