伊達龍彦 三部作 読後感想 その4
読後感想
伊達龍彦の作品、三作を久々に読み返してみた。三つの作品に共通するのは、主人公の女教師が理不尽なことで脅されて恥ずかしい行為を強いられ、その事で次第に自分が露出狂のせいなのだと洗脳されていく過程だ。
最初に理不尽なことで脅されるネタを作られてしまう過程は三作品でさまざまだが、ちょっとストーリー仕立てとしては安易にも感じられる。ひとつは深夜ひとりで駐車場に向かうところを暴力で自由を奪われ全裸で犯されて写真を撮られるというもの。もうひとつは脱糞しているところを隠し撮りされるというもの。最後の作品は同僚の教師に相談に行ったところでお茶に仕込まれた薬で眠らされその間に両手両足の自由を奪われ、いかされてしまうところの映像を撮られてしまうというものだ。いずれも現実性には少し乏しいところがあってそれだけでは感情移入しにくい。しかし、その脅しには屈しないと誓って立ち向かおうとするところを、写真を貼り出されて動揺し、葛藤しながらも屈していく過程は、なかなか読みごたえがある。太腿を露わにしたテニスウェアで授業をさせられる恥ずかしさ、夜の校庭に自ら目隠しを嵌め、自分で掛けた手錠で樹に繋がれることを強要され、実行するのに逡巡するさま、そしてテニスルックに加えてノーパンで授業をさせられる緊張感、屋上で脱いだ服を地上に落され服を返して貰う為に全裸で奉仕させられる屈辱、白昼に首輪で曳かれてグランドを横切りトイレと指定された樹に吊られて放尿を強いられる苦痛、貞操帯に埋め込まれたバイブの合図で授業中の教室内で服を一枚ずつ脱ぐことを強要されるパニック感。これらの過程の描写はなかなか力量を感じさせるものがある。
最終的な結末の、無力感のまま永遠の奴隷奉仕が続いていくことを想像させるくだりもこの手の作品の終わり方としては秀逸とも言える。
ちょっと物足りないのは犯人側の心理描写があまりに少なく、無機質に感じられることだ。ここは下手に書き過ぎても感情移入しづらくなることが多く、却ってあっさりしているところにこれらの作品の魅力となっている面があるのかもしれないのだが。
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