エッセイ
まさかの邂逅
決して短くはない人生を生きて来て、もう二度と出遭うことはないだろうと思ってきたものが幾つかある。その幾つかにこの数日間に立て続けに出遭うことになった。
まだ青春時代、憧れていた女性タレントのグラビア画像ですごく大事にしていたものがあって、おそらくは結婚直前ぐらいに後々支障があるかもしれないと思って廃棄していたものだった。一枚は中学時代から密かに好きだったタレント、小山ルミのエロチックな画像で、もう一枚は同じ様に高校生時代から好きだった女優の五十風じゅんのグラビア画像だった。どちらも自作エッセイの「我がヰタセクサリス」という題名のエッセイの中にその事を記している。
2000年頃からネットでかなりの古い情報が得られることを知って何度もこの二つの画像について検索を掛けて探していたがヒットすることはなかった。それでもう二度と人生で邂逅することはないだろうと思っていた2枚の画像だった。
最初に見つけたのは小山ルミのほうだった。この画像を見つける前にほぼ同じ構図の似たようなモノクロ画像を見つけている。2020年の末頃で篠山紀信が撮影した若き日の小山ルミのグラビアで、超ミニスカートなのに膝を立ててスカートの裾の奥にちらっとだけパンティが覗いて見えるものだ。
これを見つけた時、私が記憶していた画像とは違うものであるのはすぐに判ったが、おそらく同じ日に別アングルで撮られたものなのだろうと確信したのだった。着ている衣装も超ミニスカートに白っぽいタートルネックのセーターというのがその頃の定番の衣装だったからだ。
それがつい先日、偶々だがネット検索で「小山ルミ パンチラ」と検索してみて自分の記憶にあるそのものの画像がヒットしたのだった。先の2020年のモノクログラビアと構図はほぼ一緒なのだがカラーでトップスはタートルネックかどうかは不明だがクビにスカーフを巻いていた。
顔だちは先に見つけた篠山紀信のモノクログラビアよりずっと大人ぶっていてデビューより大分後のものらしかった。しかし間違いなくこの画像は私が長年大事に取っておいたグラビアの一内に間違いなかった。ミニスカートの裾の奥にちらっとだけ白っぽい下着が垣間見れるのも記憶にある映像そのものだった。
きっかけははっきりしないのだが日曜の夜に何故かビートポップスのMCをやっていた元ミュージックライフの編集長だった星加ルミ子の顔がどんなだったか思い出そうと検索してみたことに始まる。そのついでに湯川れい子、木崎信二と出演者の顔を確認していた際にビートポップスのwikiの頁に小山ルミ、杉本エマの名前を見つけて過去に何度も駄目だったが駄目元で
「小山ルミ パンチラ」というワードで検索してみて偶然見つけたのだった。
特筆されるのはその画像の出展が音楽雑誌GUTSだったことだ。GUTSは高校生時代から大学生に至る頃に時々購入していた雑誌だった。しかし小山ルミのずっと捜していた画像がGUTSに載っていたグラビアだったとは想像もしていなかった。高校生から大学生初期と言えばそんなに自分自身の資金も潤沢ではなく雑誌を購入するにおいても吟味に吟味を重ねてやっと購入していた頃の筈だ。そんな時に偶々買ったGUTSの中に憧れていた小山ルミの、しかもパンチラがぎりぎり映りこんでしまっている画像を見つけて、その頁だけ切り取ってクリアケースに入れてお宝としてずっと保存していた。
その画像を見つけてしまった後、ふと同じようにずっと捜していた五十風じゅんのグラビア画像ももしかしたえらGUTSに掲載されていたものだったのではないかと思い至ったのだった。正確に言うとこの時まだGUTSのグラビアだったとは確信はしておらず、小山ルミのグラビアを見つけた後に同誌の画像をずっと検索していた時に自分の頭の中にずっと探し求めていた画像を偶々見つけたのだった。
私の記憶の中では先述のエッセイの中でもそう書いているが、黄色いTシャツに真っ赤なホットパンツで腕を挙げてヨットハーバーに立っている姿となっていた。しかし実際には真っ赤だったのは背景にあるヨットの船体で、ホットパンツは黄色で臍を大胆に丸出しにしたうえに羽織っていたのは真っ白なTシャツだった。
この画像に再度辿り着く為に50年の歳月を要したことになる。しかもこの写真に辿り着いたのは前述の小山ルミのパンチラ画像と同様奇跡的なことで、どちらも雑誌GUTSの中古品のネットオークションの紹介画像でどちらも既に売り切れだった。つまりこの先ネット上にアップされる可能性は極薄だったということだ。
小山ルミの方はGUTSへの掲載時期は不明だがおそらくは五十風じゅんのものより先だがそんなに時期は離れていないと思われる。五十風じゅんの方は1971年、高校三年生の時で8月号だった。クラシックギター式の演奏法一辺倒だった中学生時代から、徐々にフォークギターの奏法を習得しつつあった高校生時代に雑誌GUTSは大いに貢献していてサイモンとガーファンクルの「四月になれば彼女は」のスリーフィンガーピッキング奏法を知ったのもこのGUTSに依ってだった。
ちなみに所謂エロ雑誌と呼ばれていたものを購入し始めたのは高校二年か三年の頃で初めて買ったのはA市 某商店街にあったU書房で購入した週間プレイボーイだった。その後少し後に同じように保存していた表紙画像にハニーレイヌの画像があった。ハニーレイヌは高校同級の悪ガキグループのNから教えて貰った当時の有名モデルだった。
エロ雑誌というと相当品の無い雑誌を想像してしまいがちだが、今から思い起こせばとてもソフトな雑誌であったようで、当時の双璧は平凡パンチとプレイボーイの2誌だった。勿論ハニーレイヌのグラビアもオールヌードのものなどは存在していない。
この当時のオールヌードはまだ股間の恥毛も映りこんだ画像が掲載されることは禁止されていてモザイクがまだ普及する前の黒塗りで保護されている時代だった。更にそういう際どい画像が誌面に掲載されるのは、何らかの問題がある肢体を持つモデルだった。パンチラもかなり厳密に規制されていて、有名女優が誌面にパンチラを載せるなどは考えられない時代だった。
そういう意味でGUTSに掲載された小山ルミのパンチラまがいの画像は(これはパンチラのように見えなくもないがもしかしたら違うのでは・・・ )と思わせるような画像だった。
1970年代は日本の中でもミニスカートが全盛の時代だった。しかしそれでもミニスカートからパンツを見られてしまうことはかなり恥ずかしいあってはならない行為だった。
初めてリアルな社会で女性がミニスカートからその裾の奥にパンティを覗かせてしまっているのを目撃したのは、某私鉄線のZ駅から隣駅へ向かう上り電車でのことだった。時期ははっきりしないが高校二年の最終学期からはA市に移り住んでいたのでZ駅、隣駅間を各駅停車の電車に乗るのは滅多に無くなっていた頃だったが、Z駅から乗り込んできた紺色のミニワンピースの女性が目の前のシートに座る際には既に反対側のシートに座っていた筈なのでZ駅に棲んでいた高校2年よりは後だったかもしれない。ミニスカートの女性が座る際に裾の奥にパンティを覗かせてしまうことがあるなどとは思ってもみなかったが、その時初めて本人は全く気付かずに自分が座る席の真正面で何気なく腰を下ろしてその瞬間からスカートの裾の膝奥に真っ白なパンティを暫く覗かせていたのだった。それはあまりに衝撃的な事件だった。
その後、予備校生時代に満員電車の往きの電車とは異なりガラガラに空いた某私鉄線下りの電車でミニスカートの女性が真正面に座る際に、シートに腰を下ろす直前に裾奥にパンティを見せてしまうことに気づいたのはそれより少し後のことだった。それからすると初めてリアルにミニスカートから覗くパンティを目撃したのは高校2年か3年の時だったに違いない。
予備校時代には電車や予備校校舎内で何度もリアルなパンチラを目撃しているが、雑誌で有名なタレントがパンチラを晒して掲載されているのを見たのは世間を席巻するようになる直前のペッパー刑事が流行り出す直前のピンクレディだった。時期としては大学に入学した直後ぐらいだった筈だ。
ピンクレディはデビューの時から超ミニのスカートで舞台に立つのが当たり前だったがテレビなどでパンチラを晒してしまうことは滅多になかった。それが雑誌の取材に応じた際にミーのほうが迂闊にソファに座った写真でもろに真っ白のパンティを撮られてしまっていたのだった。ピンクレディ級の有名人がパンチラを撮られてそれが堂々と雑誌に掲載されてしまうのを目にするのは初めてだっただけに自分にとっては衝撃的なことだった。是非その雑誌を手に入れたいと思ったのだったが、それは叶わなかった。それは社会人になった後の1977年4月の平凡パンチのグラビアだったようだ。
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