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エッセイ


ワンピースの女の謎


 2020年はコロナ禍で様々なものがこれまでと違う形態を余儀なくされた年だったが、相撲界も例外ではなく、中止や無観客での開催が相次いだ。そんな中、秋場所は本来の九州場所を両国国技館での開催に変更し、且つ入場者を絞っての開催となったのだが、一部の相撲マニアやファンに間では本来の相撲ではない部分で一躍注目された出来事があった。
 事情通の間ではひと言「ワンピースの女」と称する観客の連日の観戦である。

 3時過ぎ頃の中入りから結びの一番まで、連日東の花道、最前列の升席いわゆる砂カムリの桟敷席を一人の女性が占有していたのだ。
 これまでも有名人や銀座のマダムとおぼしき女性、芸妓衆などがテレビカメラに映り出て注目を集めることはままあるにはあったのだが、秋場所のその女性は一般人とおぼしきだけに、マスコミもどこまで触れていいのか扱いに苦慮したようだ。
 何より注目を集めたのはその佇まいと言っていいだろう。服装は毎日違ってはいるものの、基本的には明るめの色の膝丈までのフレアなワンピースという洋装で、升席のほぼ中央にきちんと正座して中入りから結びの一番までの約三時間の間、背筋をピンと伸ばして丹精な姿勢を崩さないのだ。時節柄、毎日マスクをきちんと着用している為に、顔はマスクの上半分の特徴のある眼しか判らないのだが、その眼にも大きな特徴がある。くっきりと目張りを入れているので目立つというのはあるのだろうが、殆ど顔の向きを変えずに目線だけを動かして視線を変えるので、まるでバリ島の伝統舞踊の踊子がする見栄のような眼の表情を時たま見せるのである。
 この眼を嘗て何処かで観た事がある気がしたのだが、思春期に初めて観た洋画「世にも怪奇な物語」でアランドロン扮するペテン師に騙されて持ち金全てを奪われた上に、身体の自由まで賭けて賭博客の前で背中に鞭打たれて辱めを受ける良家の令嬢をやっていたセクシー大女優、ブリジッドバルドーの化粧を彷彿させるのだと気づいた。この話の原作は怪奇小説の元祖とも言えるエドガーアランポーで、作品は「ウィリアム・ウィルソン」だったと記憶している。
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 毎日柄こそ変わるものの、似たようなワンピース姿に、髪もポニイテール風に後ろで纏めていて、年代はそこまで若くはないだろうと思われるものの、大正から昭和初期の女学生を思わせる雰囲気がある。正座のまま凛とした端正さを崩さないのは良家の子女を彷彿させるのだが、年齢不詳の不自然さがないでもない。

 わたしがこの女性に妖しさを感じたのは、連日の観戦は決して相撲を愛好するがゆえでなく、誰かにその場で端然としていることを命じられて、それを顔に苦しさを出すことなく必死で堪えて動かないように見えることだ。
 わたしにはその姿が特定の誰かにずっと見張られていて、姿勢を崩す事も許されずに堪えているようにしか見えなかった。そしてそうしなければならない本人と、それを命じている誰かだけにしか判らない事情に、只ならぬ妖しさを感じてしまったのだ。


 この手の話題は私の妄想癖を猛烈に刺激せずにはおかない。現在、この話を題材とした妄想小説を構想中である。近日中にはアップロード出来るのではないかと考えている。

 おまけとして以下にこの女性の画像と、隠されたマクスの下の顔を想像して構成してみたものを掲載してみる。

ワンピ横顔

マスク下想像2

マスク下想像3

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