エッセイ
ミニスカート進化論
一昨日、電車にのっていて考えたこと。
最近、やけに美人が多い。美人というのか、ごく一般の女のこ、ギャルというのが顔が整っている。昔は思い直してみれば、醜女が多かった。
そして、その十人並のそこそこの女の子が短いスカートを平気で穿いている。その剥き出しの腿も、すらっとしているし、肌もきれいだ。
ちょっと前まで、といっても10年くらい前ということになるのだろうか、短いスカートを穿く女というのは醜女が多かった。後ろからミニの娘に近づく。おお、いい女かな、と思って抜きざま振り返ると、「うおっ、、、。(絶句)」ていうのがよくあった。
従って、この時期の女の子は、醜女は自分が顧られる為に、ミニを穿くという行為を利用していたのである。逆にこの時期の美女は自分はそんなことをしなくても十分魅力があるのだということを誇示していたのである。
しかし、時代が欧米化するにしたがって、日本人の女性の身体の形態も変わってきた。つまり格好がよくなってきたのである。すると、それを誇示するには、身体を露らわにする必要がでてきた。従って、美人もミニを穿くようになってきたのである。こうなると、醜女は自分の身体を恥ずかしい部分まで露らわにすることでアドバンテージを持つということがもはや出来なくなった。従って、美しくないということを何かで補うのではなく、美しくなるほか方法がなくなってきたのである。
つまり、ミニが巷に氾濫することで、女は誰も美しくならざるを得なくなったのであり、ミニが女を自然淘汰し、美女化に拍車を掛けてきたのだといえる。これがミニスカート進化論である。
これが、最近美女が巷に多くなってきた理由ではないかと思う。女の子は誰もそれなりには美しく可愛くそしてミニスカートで肌を、腿を露らわにするのである。
これは世の男たちにとっては大きな恩恵であるかのように見える。
しかし、これが本当に恩恵であるかについては、議論が分かれるところである。これについては、非定常性と勃起についてということで別に論じ無ければならない話題であると思っている。
1996年6月頃
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